たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

(23)フランス・スイス紀行(20日間) パリ(3)

2011年01月29日 | 旅行
コンコルド(平和)広場の周囲は車の往来が激しくなかなか渡る事が出来ない。
命がけの横断でシャンゼリぜ通りに入るとパリ祭の後片付けの最中で折角の美観が損なわれる光景だったが
青々と繁る並木はとても美しかった。
コンコルド広場から2キロほど歩いて凱旋門に到着
友達に頼まれたヴィトンのバックを買うためルイ・ヴィトンへ
話には聞いていたが店内は圧倒的に日本人客が多い。
預かってきたカタログの切り抜きを渡したところ数人で色々調べてくれたが在庫が無いらしく店員の言葉は手をあげて
「フィニッシュ」「ナッシング」だった。



以前エトワール広場と呼ばれていたこの広場は
ド・ゴールの功績をたたえて現在はシャルル・ド・ゴール広場と呼ばれている。
その広場に建つのが凱旋門だ。
建てられた当時は見渡す限り野原だったと言うから
ナポレオンが今の街並みを知ったらきっとこんな顔をしたのではなかろうか
写真は壁面のレリーフだが市街戦で血を流しながらも戦った雄々しい戦士を描いたものだ。



                       凱旋門が見えるシャンゼリゼの一角で昼食
                       ピザを一皿頼んだのだが二人でも食べきれない量だった。

ここから再びコンコルド広場方面に少し戻り途中で右折してジョルジュ・サンクス大通りを抜けアルマ橋を渡ってエッフェル塔に向かった。
アルマ橋と言えばダイアナ妃がトンネル内で事故死したところで、このニュースを知らない人は居ないだろう。



「もう、そろそろ曲がった方がいいだろうか」
「いや、もう少し行ってから曲がろう」
私達は塔を常に視野に置きながら特に目立った建物も無い通りをノンビリ歩いた。
ライン川を渡ったこちら側一体は昔、湿地帯で人も集まらない寂しい所だったという。
しかし人間の力を褒めるべきか嘆くべきか分らないがここも大きく変貌した街となったのである。
エッフェル塔が段々近づいてその真下にやって来たとき東京タワーすら見た事の無い私はその巨大さに立ち尽くした。
高さ320Mのこの塔は1889年の万博の為に建造されたパリの象徴の一つである。
この塔が照明で夜空にキラキラ輝く様はオテルですでに楽しませて貰っている。



時刻はすでに16時を過ぎていたが観光客の波は耐えなかった。
イエナ橋でセーヌ川を渡り返しエッフェル塔と向かい合うシャイヨー宮へ。
この建物は1937年のパリ万博のパビリオンとして建てられた半楕円形の博覧会場である。
その広場の一角で黒人の民族楽器が奏でる音色に耳を傾けた。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿