24,25日、冬型の気圧配置が強まり群馬も北部の山間部では60cmの降雪に見舞われたらしい。その風が関東平野に流れて来るのですからその冷たさは想像できるかと思います。
午前中、雄さんのお姉さまが見えたので久し振りに「蕎麦何処おおの」へ行く事に。お姉さまの用事と言うのは父親の戦時中(原爆投下当時)の日記(本人の挿絵付き)を出版したく文字の不明な個所を検討し合う為に古い日記を持ってやって来たのだ。側で聞いていてもその惨劇の凄さに今更ながら身震いする程だった。
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そんな事で朝一番に雪寄せ草を見に行くと根元に白い物。シモバシラがビッシリ付いていたのです
冷え込みがもう少し強ければ驚くような形状が見られるのですが、ここではこれが限度です
霜柱ができるには、いくつかの条件が必要なようで
なかなかお目にかかることができないのですが、
寒い中をお出かけになられた甲斐がありましたね。綺麗なものですね。
戦争の記録、世界各地で戦争が起こっている時だからこそ
経験された、その悲惨な事実を後世に伝えなければなりませんね。
薬用植物園で一度だけシモバシラを見ましたがこんな立派じゃなかったです
戦時中の記録が残ってるんですね
なかなかそれを本に迄しようとする人がいなくてそのまま時間が経って廃棄されたりしてるのでしょう
記録として残せるもの残せるといいですね
今年もシモバシラできました
この冬一番の冷え込みでしたものね
やっぱり寒い場所なんですね
根っこの周りは水分が多いのでしょうか。
雄さんのお父様の日記貴重な資料(しかも挿絵つき)ですので出版が待たれますね。
花の直売店にお勤めの近所の方から一株頂いたのが今では10株くらいに増え秋に真っ白な花を咲かす様になりました。
なかなか見る事が出来なかったシモバシラでしたが昨年と今年、2年続きで見られたのは幸運な事でした。 後は、もっと冷え込んで色んな形になってくれる事が望ましいのですが、それは期待薄かもしれませんね。
義父は喜寿を迎えた年、実際、体験した事を手帳に残していた物を自分の生い立ちなども交えながら文に残そうと思い立った様です。
それを書籍化する事は頭に無かった様で父親の遺品を整理していた時に棚の隅から見つけたと義姉は言っておりました。 読まなければ解らない戦争の生々しさは体験した者でないと分からない部分が多々ありますね。何時の日にか1冊の本となり後世に伝える事が出来れば義父も本望でしょう。
出版が何時になるか分かりませんが
この様な貴重な体験は、子供心に戦後の貧しさは多少知っていても戦時に尽いては殆ど霧の中の様なもです。
一兵の身で綴った義父を通して当時の生の言葉は貴重な資料となりますよね。
シモバシラ、東京とここでは気温も随分違うでしょうから立派なものは見られないかもしれませんが
見る事が出来たのは幸せな事では有りませんか。 東京では高尾山で素晴らしいのが見られますよ。
現在ある日記は筆まめな義父が出兵していた時に窓から射し込む月明かりで手帳に書きなぐっていたものを77才の時に新たに書き綴ったものです。
義父の他界後、仕舞われていた戦争期を見つけた義姉が、このまま埋もれたままにして置くのは惜しいと書籍化する事を思いつきました。 字が達筆すぎて崩し字などの判読が難しく雄さんに協力を乞う為の来宅だったのです。
昨年に引き続き、今年も霜柱が見られました。 北側の山中で有れば一日を通して芸術的な形状が見られるのでしょうが
ここは早朝の気温が0度Cでしたのでこんな程度のシモバシラしか見られませんでした。
太陽が昇ればすぐに融けてしまうと言う儚いシモバシラ。まぁ、それも良いのかもしれないですね。
雪寄せそうに咲く霜柱の花は茎の中の水分が上昇し割れ目から染み出た水分が凍ってこの様な花を咲かせてくれます。
植物全てにこの様な現象がみられるかと言うと必ずしもそうで無く主に紫蘇科の様に茎が空洞化した植物でないと駄目らしいです。
不思議なものですね。
義父の体験記を書籍化しようと思い立ったのは義姉の素晴らしい思い付きだったと言えましょう。
文才、画才と長けていた義父の手記ですから読みごたえはありそうです。
書店の棚に置かれる日が何時になるのか未定ですが新聞社との話し合いも進んでいる様ですので私も待ち遠しくなりました。