マリアテレジアの独り言

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  小さな感動をつづります。

『聖金曜日・主の受難』・・・『わたしたちの罪のすべて主は彼に負わせられた。』

2016-03-25 14:28:48 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

 今日は3月25日。聖金曜日。『主の受難』。

         午後3時。キリストは息をひきとりました。
御子キリストは、全人類のために御自分の血によって、『過ぎ越しの神秘』を定めて下さいました。

        『主の受難』を振り返りながら、祈ってまいりましょう

『イザヤの預言』
『主は言われる。「見よ、私の僕は栄える。はるかに高く上げられ、あがめられる。」』 イザヤ52-13

『乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように、この人は主の前に育った。』
 
           『十字架を抱くキリスト』             エル・グレコ作

  「見るべき面影はなく、輝かしい風格も、好ましい容姿もない。
  彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くに痛みを負い、病を知っている。
  彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている。

        わたしたちの罪をすべて主は彼に負わせられた。
      苦役を課せられて、かがみ込み、彼は口を開かなかった。』
                                    
イザヤ52章 13&53節

   『イエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる「されこうべの場所」、
    すなわちヘブライ語でゴルゴタという場所へ向かわれた。』 

            『聖衣剥奪』      エル・グレコ・37歳作。
      

          『兵士たちは、イエスを十字架につけてから、
     その服を取り、四つに分け、各自に一つずつ渡るようにした。』

  
        『キリスト昇架』                    ルーベンス作品
   
                                   アントウェルペン大聖堂
          
   『イエスの十字架のそばには、
   その母と母の姉妹、クロパの妻マリアと
マグダラのマリアが立っていた。』


                キリストの磔刑』       エル・グレコ作
   
  
                                ルーヴル美術館
  

     『ピラトは『罪状』を書いて、十字架の上に掛けた。
     それには『ナザレのイエス・ユダヤ人の王』と書いてあった。   

 
           『聖三位一体』   エル・グレコ作品
     

   我が独り子・イエスを抱きかかえ迎える御父・と鳩の姿の聖霊                              
                                               プラド美術館

     ≪聖三位一体≫は、神は唯一でありながら、
        その位格は、
この世のあらゆるものを創造した父なる神。人間の罪を十字架上で償ったイエス。
   使徒などに下される聖霊。 3神が同位にて存在することを意味します。


                  『キリスト降架』                ルーベンス作
    
    
  キリスト降架|ルーベンス
    
『その後、イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、
    そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフが、
    イエスの遺体を降ろしたいと、ピラトに願い出た。
     ピラトが許したので、ヨセフは行って遺体を取り降ろした。』

 
      『キリストの埋葬』                              カラヴァッジョ作

  磔刑に処され死したイエスの肉体を、
  ゴルゴダの丘の麓の小さな園に岩を掘らせて建てた墓へ埋葬する場面。

      白い布に乗せられ運ばれるキリスト。3人の運搬者。
      マグダラのマリアと悲しげにのぞき込む福音書記者ヨハネ。

                                     以上。
                                            ヨハネ福音書 18章1-42節 と 『聖週間の典礼』より。
                                            絵はネット上から拝借しました。


      『過越祭』
      春に、ユダヤ人が、出エジプトという歴史的な出来事を記念して守った祭。
      ユダヤ歴のアビブの月(西暦では3~4月)の14日の夕暮れに、
      傷のない一歳の小羊を屠り、その血を家の門柱と鴨居に塗りました。

      ユダヤ人は、エジプトにいて奴隷の民として苦しめられていたのです。
      モーセが神に選ばれ、エジプトの王(ファラオ)のもとに遣わされました。
      そして、
      「ユダヤ人は、主の民だから、解放して自由にしなさい」と言うのです。
      
ところが、
      ファラオは「おまえの言う主とは何者か」と馬鹿にして、なかなかこれを承知しません。
      そこで、
      主はモーセを通じて、様々な災いを起こし、主の恐ろしい力をファラオに見せつけます。

      それでも、
      ファラオの心はかたくなで、どうしてもユダヤ人をエジプトから去らせない。
      ついに最後の災いとして、
      エジプト中の初子が、一晩のうちに死んでしまうという災いが起こされる。

      一方。
      モーセは、エジプトに住むユダヤ人たちに言いました。
      「今月の14日の夕暮れ、それぞれ家族で小羊を屠り、それを食べなさい。
      そして、小羊の血を門柱と鴨居に塗りなさい。
      その夜、
      主はエジプト中を巡り、人であれ、家畜であれ、国中のすべての初子を殺し、
      エジプトに裁きをおこなう。
      しかし、
      小羊の血の塗られた家の中にいる者に対しては、主は過ぎ越され、
      あなたがたは裁きから救われる。」と。
      ついに
      ファラオも主をおそれ、ユダヤ人を解放します。

     『過越祭の過ぎ越し』
     裁きの主が私たちを過ぎ越され、私たちの死ぬべき命を救われるという意味です。
     私たちが死ぬ代わりに、小羊が殺される。
     そして、その犠牲の小羊の血が、私たちの救いのしるしとなるのです。


     『現代の過越祭』=『主の受難』
     小羊の代わりに、イエス様が十字架にかかり、『神の小羊』として屠られたのです。

    『今日の祈願』

      『あわれみ深い神よ、
御子キリストは、あなたの民のためにご自分の血によって過ぎ越しの神秘を定めて下さいました。
いつくしみを忘れず、この民を永遠の愛のうちにお守りください。』

皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
キリスト教の真髄である『主の受難』の祈りに、お付き合いくださいまして有難うございました。お幸せに。