マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

『主・イエスの洗礼』の不思議・・・二つ。

2017-01-09 14:45:22 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

今日は1月9日。月曜日。  『主の洗礼 祝日』

  『イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。
          彼から洗礼を受けるためである。
     
            『主の洗礼』        エル・グレコ作品

   『ところが、ヨハネはそれを思いとどまらせようとして言った。
「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。」
    しかし、
イエスはお答になった。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」
    そこで、ヨハネはイエスの言われるとおりにした。』     マタイ福音書 3-13~15節  

 

『主・イエスの洗礼』の不思議・・・一つ。

       罪の汚れもしみもない神の御子に、どうして洗礼が必要なのでしょうか?


   それは・・・

     イエスが、
     『ヨハネの洗礼』を受けるのは、、
     洗礼を必要とする人間たちと同列に加わる。 という意味があったのです。
    
     『キリストは神の身分でありがなら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、
       かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。』
                                      
フィリピの信徒への手紙 2章6-8節

     ヨハネは、
     将来、罪の赦しを得させるために、『悔い改めの洗礼』 を人々に宣べ伝えていました。
          今、神に背を向けている生き方を方向転換して・・・
        『神の方を向いて生きる』 その 『方向転換の印』 としての洗礼を授けていました。


では・・・
『洗礼』とは何か?

   人祖・アダムとイブが、
   神への背信=禁断の実を食べる=によって、楽園・神の国を追われて、『罪人』としてこの世に送り出されました。
      そして。 この世での生を終えたのち、
   罪が許されて、楽園に戻るためには、水をくぐり生まれ変わる『洗礼』が必要だということです。

旧約時代・・・
『ノアの洪水』: 義人・ノアとその家族が洪水から箱舟で救われたことは、『洗礼による救いのしるし』です。
『エジプト脱出』:イスラエル人が紅海を渡って解放されたことは、『洗礼による救いの前表』 でした。

新約時代・・・
『キリストの磔刑の受難』: キリストは、『自分の受けるべき洗礼』と言いました。
『十字架上のキリストの血と水』:新しい命の秘跡である、『洗礼と聖体』の象徴といわれます。

      キリストは、
      人間と同列の立場から、人間の苦しみに寄り添いながら・・・

      御自分の死と復活により、『死』に勝利し、
      洗礼を通して、私達に、『復活の新しい命』 をもたらし、『神の救い』を完成させたのです。

     『イエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な祭司となって、民の罪を償うために、
           すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。
事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。』
                                                     ヘブライ人への手紙 2-18

                                         
                                          以上。 『カトリック教会の教え』 を参考にしました。

イエスが洗礼を受けた後・・・

『驚く事実』が起こります。

 『イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。
    イエスは、神の霊がのように御自分に降って来るのを御覧になった。
     
     もう一つ。           『主の洗礼』          エル・グレコ作品

  『そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」 という声が、天から聞こえた。』 
                                               マタイ福音書 3-16&17 

ここで。
『主・イエスの洗礼』の不思議・・・二つ目。

  天から聞こえた 「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」 の意味は何?』 

  それは・・・

     キリストこそ、神の愛する子、神の心に適う者、『神の僕』 『救い主』。 ということです。
           天から聞こえた『言葉』 は 『神の宣言』でした。

     キリストは、
     イザヤ書42章1-7で言われている 『神の僕』 の預言の成就なのです。

   『見よ、わたしの僕、私が支える者を。 彼の上にわたしの霊は置かれ、彼は国々の裁きを導き出す。
   見ることのできない目を開き、捕われ人をその枷から、闇に住む人をその牢獄から救い出すために。』
                                                        イザヤ書 42章1-7

      イエスは、
      『ヨハネの洗礼』を受けた時・・・
      天から預言とおりの神の声が聞こえ、聖霊がイエスに降り、
      神の人間救済計画を実現するための力が、イエスに与えられました。
    
      ヨハネの洗礼によって・・・
      聖霊が降り、神の人間救済計画を実現させる活動を始める、『出発点』を迎えたのです。


       私達も、
       『イエスの洗礼』を受ける時・・・
       聖霊がイエスの上に降ったように、私達にも聖霊が降るのです。
       聖霊の力が私達にも働き、知恵も信仰も深まっていくのです。 嬉しいですね。

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今日はおめでたい成人の日。 皆様はいかがお過ごしでしたか? 熟年者の我が家は、夫はゴルフ。
私は、新聞の「終活として、書きにくくなったボールペンなどから、一日3点捨てましょう」の『記事』に啓発され、断捨離の一日でした。