1月7日。水曜日。雨時々曇り。
読書の合間に・・・ 『お茶タイム』
抹茶好きの孫達のために『お薄タイム』
孫たちは、暇があればおしゃべりか読書、本が大好きです。
私の父は、
家での大好きな野球観戦をラジオ放送で我慢して、末子の私の大学合格発表の日にテレビを購入した。
私は、子供たちの遊びに付き合いながら、テレビも漫画(ゲームのない時代)もなしで子育てをした。
私の娘も、体験こそすべてと、テレビもゲームもなしの子育てをしている。
私も、娘も、孫達も、家では読書のみ、テレビなしの子供時代です。
そして。
娘の恩師が開始・・・ 『10冊の本 運動』
娘の高校時代の留学先の、アメリカの国語の先生。
娘に メールが届いた
「世の中の若者の読書離れをどうにかしなくては!
私は考えました。
私は教え子の中で10人を選びました。
(娘のアメリカ高校生活は20年以上も前。)
私は10人にふさわしい本を選んで送ります。
私から本を受け取った方は、次にご自分で選んだ10人に本を送って下さい。
その方が又10人を選んで、本を送って下さることを願います。
次々とこのように。
若者の手に本が届くことを願います。」
娘は、
自分が10人の一人に選ばれたことを喜んだ。
同時に、どんな本が自分に送られてくるのかをとても楽しみにしている。
又、自分の番で、10人を選び&その方々にふさわしい本を選ぶ難しさを考えている。
中国で『夜間のオンラインゲームや課金を制限する方針』が国が示した。
中国ではゲームにのめりこむあまり、
日常生活に支障をきたす「ゲーム障害」が社会問題化していて、
国が主体となって「未成年の保護」に動く形になった。
我が家系の『テレビ&ゲーム離れ』が良いのかどうかは分かりません。
それにしても、
子育ては自分の『経験が基準』となって行われるものなのですね。
若者の手に本が握られることを望まれるアメリカの国語の先生。
彼女のすばらしい『運動』が広まることを私も望みます。
本を受け取る人はきっと喜んで下さることでしょう!
そして。
今日は1月7日。降誕節火曜日。
『今日の入祭唱』
『神の名によって集まる人に神の祝福。
神は私たちを照らしてくださる。』
そして。
『今日の第一朗読 使徒ヨハネの言葉』
愛とは何であるのか?
『愛する者たち、互いに愛し合いましょう。
愛は神から出るもので、
愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。
愛することのない者は神を知りません。
神は愛だからです。
神は、独り子を世にお遣わしになりました。
その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。
ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。
わたしたちが神を愛したのではなく、
神がわたしたちを愛して、
わたしたちの罪を償ういけにえとして、
御子をお遣わしになりました。
ここに愛があります。』
ヨハネの手紙Ⅰ 4章7-10節
神は、愛です。
愛は神から来るもので、
私たちが互いに愛し合うなら、
神の内にとどまり、神をますます知るようになるのです。
目に見える兄弟を愛さない人は、
目に見えない神を愛することはできないのです。
神が先に私たち人間を愛して下さったので、
私たちは、御子イエス・キリストに結ばれることができるのです。
神は、御子イエス・キリストにおいて、私たちに『永遠の命』を与えて下さったのです。
『今日の詩編』
『すべての王はあなたの前にひれ伏し、すべての国民はあなたに仕える。』
詩編 72章11節
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様は本がお好きですか?『温故知新』。本は良いですね。 お元気で!