マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

友のお見舞い・・・『春の花束』 そして 『主が、御自分の民の指導者とされた。』・・・『油注がれた者』

2020-01-18 07:30:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

1月17日。金曜日。曇り時々晴れ。


    友の訪問・・・  『春の花束』
   
         「どうぞお身体おいとい下さい」

      
        私のブログのこの一ヶ月ほどの記事から
         私の様子を案じてくださった友が
             電車に乗って
        『見舞いの花束』を届けて下さった。
     私の手を握って、励ましと見舞いの言葉を下さった。


  人は、人に支えられて、人に助けられて、生きている。

私の見知らぬところで、
私の健康や癒やしを祈っていてくれる人がいるのだと教えられました。

ましてや、
神様は、私の友のように私をいつも見守り、守っていてくださるのです。
          
   友の優しさから、『つながり』を考えた一日でした。
            友に感謝! 神に感謝!


そして。

今日は1月18日。年間第一土曜日。

 今朝は朝ミサに与りながら、『神の御言葉』を味わいました。
  今日も、『御言葉』の感動の分かち合いです。よろしく。


『今日の第一朗読 イスラエルの初代王・サウルの誕生の次第


    『ベニヤミン族に一人の男がいた。
             名をキシュといい、勇敢な男であった。

           彼には名をサウルという息子があった。
 美しい若者で、彼の美しさに及ぶ者はイスラエルにはだれもいなかった。   
             民のだれよりも肩から上の分だけ背が高かった。

        あるとき、サウルの父キシュのろばが数頭、姿を消した。
キシュはその子サウルに言いつけた。
        「若い者を一人連れて、ろばを捜しに行ってくれ。」

                   彼はエフライムの山地を越え、
     シャリシャの地を過ぎて行ったが、ろばを見つけ出せず、
 
             シャアリムの地を越えてもそこにはおらず、
          ベニヤミンの地を越えても見つけ出せなかった。


         サムエルがサウルに会うと、は彼に告げられた。

          「わたしがあなたに言ったのはこの男のことだ。
                    この男がわたしの民を支配する。」


城門の中でサウルはサムエルに近づいて、彼に言った。
        「お尋ねしますが、先見者の家はどこでしょうか。」
サムエルはサウルに答えた。
      「わたしが先見者です。先に聖なる高台へ上って行きなさい。
             今日はわたしと一緒に食事をしてください。

                  明朝、あなたを送り出すとき、
    あなたの心にかかっていることをすべて説明します。


      サムエルは油の壺を取り、サウルの頭に油を注ぎ、

       
彼に口づけして、言った。
「主があなたに油を注ぎ、御自分の嗣業の民の指導者とされたのです。」』
                 サムエル記上 9章1-19節 & 10章1節


    『油注がれ』イスラエル初代王となった『サウル』
 
  『サウル王のために竪琴を奏でるダビデ』 レンブラント作品
     後にダビデがイスラエル第二代王となります


紀元前10世紀頃。            
サムエルが士師としてイスラエルを指導していた頃。
  
     民の中から王を求める声が強くなった。

年老いたサムエルは、

『王を求めることは、神が王であるイスラエルには、罪である』と民に説明する。

そんな時。

神は、サムエルに、
『王を、私が指示する王となるべき男を捜し、定めなさい。』と言いました。


サムエルは、
  『神の言葉』に従って、
  ベニヤ民族出身のキシの息子で、父親のロバを探すサウロに会い、
  サウロこそが神が選んだ人であることを悟って、油を注いだのです。

 
          『油を注ぐ』
        
            『聖油』

旧訳時代。   

    『油注ぎ』は旧約時代から行われていました。 
       王、祭司、預言者たちは、
神の特別な働きのために聖別され、神からの権威と力を賦与されたのです。

新訳時代。

   『キリスト』 とは 『油注がれた者』 という意味です。

キリスト・イエスは、
『神からの油注ぎを受けたであり、大祭司であり、そして預言者 なのです。

私たち・キリスト者も、
 洗礼の時に、神から油を注がれ、聖霊が注がれ、
   『王職』 『祭司職』 『預言職』 を受け継いだのです。
     イエスのものとなった私たち・キリスト者は、
      イエス様にならって『三職』を行使して
 『神の御国』の発展のために働く義務を持つ者となったのです。
                  喜んで働きましょう!


ここで。
最大の疑問が沸いてきます。
     
       『神は何を基準に人を選ぶのか?』

まず。
サウルの場合。
     
サウルは、
その出身はベニヤミン族で、長身の美男子でした。 サムエル記上 9章1&2節
又、
神が王として選ばれていることを告げた当初は謙遜の人でした。
  『私はイスラエルで最も小さな部族ベニヤミンの者ですし、
  そのベニヤミンでも最小の一族の者です。
  どんな理由でわたしにそのようなことを言われるのですか。』9章21節
                     と謙虚に答えています。

次に。
神の民:『選民・イスラエル』の場合。

 『あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、
  御自分の宝の民とされた。
  主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、
  あなたたちがたのどの民よりも数が多かったからではない。
  あなたがたは他のどの民よりも貧弱であった。
  ただあなたに対する主の愛のゆえに、
  あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、
  主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、救われたのである。』
                       申命記 7章6-9節


最後に。
私たち・キリスト者の場合。

 『あなたがたがわたしを選んだのではない。
       わたしがあなたがたを選んだのである。』
            ヨハネ福音書 15章16節


『神の選びの基準』は、人には計り知れない、『神の御心』によるのです。
  そして  謙遜。貧弱。愛。忠実。 かもしれませんね。
       

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
『神の御国』の発展のために働く。『家庭』のために働く。
同じことですよね。皆で仲良くして義務を果たしてまいりましょう。 お元気で!