マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

聖書100週間・聖書通読会・・・『キリストの十字架には「神の知恵」が示されている。』 そして 『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』

2021-11-19 14:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
11月19日。金曜日。快晴。


今日の金曜日も、
聖書100週間・聖書通読会。
オンラインクラスです。


     『聖書100週間・聖書通読会 オンラインクラス』 
 

  私たちのクラスは、
  決められた聖書の範囲を前もって詠んできて・・・

  ♡一人一人が聖書を読んで感じたことや心に響いたことを発表します。
      
     感想が述べられている間、
     参加者は、互いに心を開いて黙って聞き、
     発言している人が、神の言葉を味わって感じた喜びを、
     共に味わうようにします。
     
  ♡主の御名によって集まった人々の貴重な恵みを聞き逃さないようにします。

     批判も評価も、説明も、ほめることも、禁止です。
     他の人との比較ではなく、黙って聞くとき、
     聖霊が思いのままに、一人一人を育ててくださるのです。

  ♡思いのままに自分の考えを話し、それを黙って聞いてくださる方がいることは、
    ♡♡何よりも心の解放となり、自分に自信が生まれてくるのです♡♡
 
   

    今日の通読範囲は、『コリントの信徒への手紙Ⅰ 1章~7章』  
       使徒パウロがこの手紙を書いたのは、西暦56年頃。


     今日のパウロは、
     ※『伝えられる福音・キリストの十字架は、
        ギリシャ人・異邦人には愚かな理屈に聞こえるとしても、
      キリストの十字架には『神の知恵』が示されている。
        それを受け入れることができる『謙遜な心』が必要である。』
           コリントの信徒への手紙Ⅰ 1章18~31節   と述べます。

    又、

     ※『キリスト者は、主の体の一部であって、
       神を礼拝するための神殿となっているのです。
     又、一人一人に与えられている才能、カリスマがあります。
        それらは、個人が自慢したり、誇るものではなく、
        共同体の中で、
        その団結と成長のために役立つために、与えられているのです。』
          コリントの信徒への手紙Ⅰ 6章12 ~20節    と述べます。
      

     今日も、皆様お仲間のお考えの発表が、とても楽しみです。
                   感謝!感謝!


そして。

今日は11月19日。年間第三十三金曜日。

『今日の入祭唱』

   『主よ、あなたは御自分の息を送って彼らを創造し、
        地の面を新にされる。』
         詩編 104章30節


『今日の福音 イエスの御言葉』

  『そのとき、 イエスは神殿の境内に入り、
  そこで商売をしていた人々を追い出し始めて、
 
       彼らに言われた。

      「こう書いてある。
 『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』
            イザヤ書 56章7節
 ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。」


    毎日、イエスは境内で教えておられた。
    祭司長、律法学者、民の指導者たちは、
  
      イエスを殺そうと謀ったが、
      どうすることもできなかった。
民衆が皆、夢中になってイエスの話に聞き入っていたからである。』
       ルカによる福音書 19章45-48節


       今日のイエス様は、
     神殿から商人を追い出しました。


   イエスは、毎日、境内で、『神の言葉』を教えておられました。
   民衆は皆、毎日、夢中になってイエスの話に聞き入っていました。
   ところが、
   商売人が、境内で、商売をしていたのです。


     そんな時・・・
     境内の中での商売の騒音で、
     民衆は、イエスの話を、落着いて聞くことができなかったのです。
     すると、
     イエスは、『神の家は、祈りの家でなければならない。』と言われ、
         商売人を境内から追い出しました。
     一方、
     祭司長、律法学者、民の指導者たちは、イエスの話しや行動が気に入らなくて、
         イエスを殺そうと謀っていたのです。


今日、私が思い出すのは・・・
 イエス誕生の時です。

     『この子は、反対をうけるしるしとして定められています。』
                ルカによる福音書 2章22ー35節
   両親がイエスの誕生を祝い、イエスを主に献げるために神殿を訪れたときに、
     正しい人で信仰あついシメオンが、母マリアに言った『言葉』です。


      イエスは、※『逆らいのしるし』※となると予言するのです。
     ※イスラエルの多くの人を、倒したり立ち上がらせたりする。
     ※イエスの言動に賛同する人もあり、反対する人もある。
     ※イエスにおいて、神の働きを見る人があり、見ない人もいる。
     ※イエスを救い主と認める人もあり、反対する人もある。

       シメオンの『言葉・予言』は、その通りになりました。
   人々の間で、イエスに賛成と反対、『逆らい』が起きていくのです。


  私たちも、
  イエスと出会う時は、決心しなくてはいけませんね。
  イエスを受け入れるのか? イエスを受け入れないのか?
      祈りましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。
    わたしはその羊を知っており、羊はわたしに従う。』
       ヨハネによる福音書 10章27節   アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
コロナ禍で行動が制限されて、閉塞しがちな私たちの心です。
友人や家族に電話で思いっきりおしゃべりするのはいかがですか?心が解放されますよね。 お元気で!

聖書100週間・聖書通読会の予習・・・『使徒パウロの人生』 そして 『 もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。』

2021-11-18 14:01:53 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
11月18日。木曜日。晴れ。

今日は
明日の『聖書100週間・聖書通読会』
のための予習日です。

    我が家のシンボルツリー   『もみじ』 
 

        色づいてきたましが、例年のような鮮やかさに欠けます。
           これも気候温暖化のせいでしょうか。
      暖かい日が続いた今年以上に、来年はより暖かい年になるのでしょうか?


    明日の聖書通読範囲は、『コリントの信徒への手紙Ⅰ 1章~7章』

    使徒パウロは、
    多くの町を巡りながら『福音』を述べ伝えていましたが、
    宣教した町に長く留まることができなかったので、
    宣教した町の信徒たちに手紙を送り、彼らを支えたのです。
      ※キリストを信じる者としてどう生きるか。
      ※日中生活の中の諸問題にどう対処するのがよいか。
         ・・・と、指導したのです。


  パウロは、
  
            クロード・ヴィニョン作品

  どの使徒たちよりも早く、新約聖書の中で、一番に書き始めたのです。
 
     西暦51年~53年頃。
       『テサロニケの信徒への手紙』ⅠとⅡ
     ※主イエスの再臨と、信徒たちの復活について、特に取り上げました。

     西暦54年~58年頃。
       『コリントの信徒への手紙』ⅠとⅡ
       『ガラテアの信徒への手紙』
       『ローマの信徒への手紙』
     ※人が救われるのは、律法の規則を守ることに夜のではなく、
     神のあわれみと主イエス・キリストへの信仰によることを強調しました。

     西暦61年~63年頃。
       『フィリピの信徒への手紙』
       『コロサイの信徒への手紙』
       『エフェソの信徒への手紙』
     ※獄中生活を送っていたパウロは、キリストの神秘を一層深く悟り、
      『イエス・キリストこそ全世界全宇宙を支配し、治める王』
     であることを益々深く確信し、それを信徒たちに書き送った。

     西暦65年~67年頃。
       『テトスへの手紙』
       『テモテへの手紙』ⅠとⅡ
     ※殉教してこの世を去る前に、教会共同体の存続を考え、
      その運営と組織についての具体的な指導を書き送った。
          以上。『聖書100週間手引』より

 パウロは宣言するのです。

     『わたしたちは、十字架につけられたキリストを述べ伝えています。
      神の力、神の知恵であるキリストを述べ伝えているのです。』 と。
         コリントの信徒への手紙Ⅰ 1章23&24節


     
     パウロの後半の人生は、
     紀元5年。イエスの誕生の5年後。 タルスス(今のトルコ)まれる。
     36年。31歳。 イエスの死後約3年後、イエスに呼びかけられ、改心し、
     その後、数年間。 パレスチナやシリアなどで宣教しました。
     更に、
     49年頃。44歳頃。 アンティオキオの教会から、バルバナと共に派遣され、
         小アジアのガラテア地方の町々を巡り歩いて、宣教したのです。
     53年~58年。48歳~53歳。『三回目の派遣』で、 特にエフェソに2年間滞在しました。
     58年。53歳。 エルサレムに上り、そこで危険人物として逮捕され、
     58年~60年。53歳~55歳。 2年間、カイザリアで獄中生活を送り、
     60年。55歳。 囚人としてローマに護送され、
     60年~64年か67年。 4年間 あるいは 7年間、ローマで獄中生活を送り、
     67年。62歳。 ローマで殉教しました。


      パウロ自身、
      イエス・キリストのためにすべてを捨てて、
      自分の命までも献げて、30年間、宣教しました。
      自分が宣教した教会へ、12の『手紙』を書きました。

      人生最後の、獄中生活の10年間ほども、
         各教会の信徒へ『手紙』を書き続け、送って、
            信徒たちを励ましました。


   パウロの人生は、
      『宣教活動』に邁進した人生でした。
      人々に『信仰の模範』を残した人生でした。


    現在に生きる私たちも、
    パウロの『書簡』によって、キリストやキリスト教を深く理解することができます。
       使徒パウロの『恩恵』にあずかっているのです。
            感謝!感謝!
     
     
そして。

今日は11月18日。年間第三十三木曜日。

『今日の入祭唱』

   『わたしたちの神は来られる、黙してはおられない。
神は御自分の民を裁くために、上から天に呼びかけ、また、地に呼びかけられる。』
        詩編 50章3&4節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『1エルサレムに近づき、都が見えたとき、
   イエスはその都のために泣いて、言われた。    
  

「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。
    しかし今は、それがお前には見えない。

    やがて時が来て、
 敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、
   お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、
    お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。

 それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。」』
              ルカによる福音書 19章41-44節


    今日のイエス様は、エルサレムを見て、泣かれるのです。

  イエスは、
  エルサレムの街に入ろうとなさったとき、
  オリーブ山の上からエルサレムの街を眺めて、泣かれたのです。
  以前に、
  イエスは、エルサレムの人々が改心するように、何回も呼びかけました。
  しかし、人々は、イエスの呼びかけに答えなかったのです。
      イエスには、とても悲しい出来事でした。

そして今回、

  イエスは、
  もう一回、エルサレムで、呼びかけられるのです。
   『もし今日でも、平和をもたらす道が何であるかを知っていたならば・・・』 と。


      エルサレムは『平和の町』という意味です。
     本当の『改心』は、『平和への道』なのです。


  イエスの時代、
  イスラエルの人たちは、
  律法を守ることにより、救われると思っていました。
  そこで、イエスの呼びかけには応えなかったのです。断ったのです。
  後に、彼らは、『救い主』の件で、暴走を起すのです。
  それがきっかけで、ローマ軍は、エルサレムの町を滅ぼしてしまうのです。


     エルサレムに近づき、都が見えたとき、
     そのエルサレムのために泣かれたイエスは、
   『都が敵に包囲され、破壊されてしまう』ことを『予告』されたのです。
   そして、
   紀元70年。
   イエスの予告の通り、エルサレムはローマ軍の攻撃によって陥落してしまいます。


      神は、
      旧約時代は、神に選ばれた人たち・ユダヤの民:『選民』を通して、
         御自分を現わそうと考えていました。
   しかし、
      神は、
      新約時代、イエスの誕生後は、『新しい民』を選び、
      イエスを信じる人々を通して、
         御自分を現わしておられるのです。
      

   私たちも、イエスの呼びかけに応え、
     『神の働き』を見いだしたいものですね。
       祈りましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『今日こそ、神の声に聞き従わなければならない。
      あの日のように、心を頑なにしてはならない。』
        詩編 96章7&8節    アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
穏やかな小春日和の日々が続きます。皆様の日々も穏やかでありますように。 お元気で!

早朝デート・・・『紅葉見物』 そして 『聖エリザベト(ハンガリー)修道女 記念日』・・・『良い僕だ。よくやった。お前はごく小さな事に忠実だった。』

2021-11-17 07:30:00 | 私のこと
11月17日。水曜日。晴れ。


朝7時半。
早朝デートのスタートです。

       公園前で・・・    『紅葉見物』  
  
                      公園前の道路に駐車
 
    暖かい車の車窓から 🍁『紅葉』🍁 を楽しみました。


      今朝は、早朝から、友人とデートでした。
  その友人は、70歳になる頃に難病が与えられ、10年ほどになります。

     旅行好き、読書好き、教会好きだった友人です。
      子育てを終え、夫さんが帰天された後、
      しばらくの間『一人旅』を楽しんでいた友人です。 
     そんな時、原因不明の『難病』が、友人を襲ったのです。 


     今の友人は、何の補助もなく独りで生きるのは困難です。
     ところが、
     美しく若々しい彼女は、座っていると外目には健康そのものに見えるのです。
       でも、
         『難病』の根底と難題は完治しないことであり、
        薬は、治療薬ではなく、現状維持を助けるものなのです。
     正に、
     今までの友人のキリスト者としての生き様は、難病に見舞われて、益々輝いています。



  友人と私の💓『デート』💓は、
  歩行が困難な彼女を私の車に乗せて、近所の自然の中に入り、
  季節の移り変わりを楽しみながら『おしゃべり』することが『目的』です。
  月に2~3回、体調をみながら友人の方からお声がかかり、成立するのです。
         勿論、折りにつけて、私からもデートの打診をします♡♡
  又、
  読書好きの友人に代わって借りた図書館の本、お渡しするのです。
         難病のために目もかんばしくない友人が、一時も長く読めるようにと祈ります。
  そして、
  友人が睡眠後の体調の良好な早朝に始めたデートを、疲れる前に終わりにするのです。
   
 
        今朝の友人と私の『デート』
     体中の痛み、今朝は特に背中の痛みでした、に堪えながらも、
      笑顔を絶やさない友人から、私は多くを学びました。
        車を運転でき、走ることすらできる私、
         元気な私は、昔の彼女の姿です。
       そんな私は、彼女とおしゃべりしながら、
     彼女の一時の癒やしとなれますようにと、祈るのみでした。
        楽しい時間でした。 感謝!感謝!

   
そして。

今日は11月17日。年間第三十三水曜日。

   『聖エリザベト(ハンガリー)修道女 記念日』
   

 1207年。 ハンガリー国王アンドレアの娘として、まれた。

 4歳の時、ドイツのチューリンゲンのヘルマン伯の子息ルートヴィヒと婚約。

    将来皇后としての必要な教育を身につけるため、ヘルマン伯の城で教育された。
    エリザベトは、幼いときから敬虔であり、宮廷内の批判を受けることもあったが、
    ヘルマン伯とルートヴィヒによって大切に保護された。

 1221年。14歳。 結婚し、1男2女をもうけ、子どもたちをよく教育した。
 1227年。20歳。 が十字軍の遠征中に病死。

    夫の死後、エリザベトの子どもが後継者として認められた後、
    エリザベトは、宮廷から退き、聖フランシスコの第三会に入り、清貧の生活を送り、
    持っている財産で病院を建て、そこで貧しい人びとの看護にあたった。

 1231年。24歳。 マールブルクで死去。 


『今日の集会祈願』

  『すべての人の父である神よ、
 ハンガリーの聖エリザベトは、貧しい人々の中でキリストに仕えました。
   聖女の取り次ぎに支えられてわたしたちも、
苦しんでいる人、困っている人をいたわり助ける者となることができますように。』


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは 一つのたとえを話された。
      エルサレムに近づいておられ、
 それに、人々が神の国はすぐにも現れるものと思っていたからである。

       イエスは言われた。
    「ある立派な家柄の人が、王の位を受けて帰るために、
      遠い国へ旅立つことになった。
    
         『主の昇天』

     そこで彼は、十人の僕を呼んで十ムナの金を渡し、
  『わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい』 と言った。

   しかし、国民は彼を憎んでいたので、後から使者を送り、
     『我々はこの人を王にいただきたくない』 と言わせた。

       さて、彼は王の位を受けて帰って来ると、
     
            『主の再臨』

        金を渡しておいた僕を呼んで来させ、
       どれだけ利益を上げたかを知ろうとした。

     
         『最後の審判』

  最初の者が進み出て、
  『御主人様、あなたの一ムナで十ムナもうけました』 と言った。
  主人は言った。
   『良い僕だ。よくやった。お前はごく小さな事に忠実だったから、
       十の町の支配権を授けよう。』

  二番目の者が来て、
  『御主人様、あなたの一ムナで五ムナ稼ぎました』 と言った。
  主人は、 『お前は五つの町を治めよ』と言った。

  また、
  ほかの者が来て言った。
  『御主人様、これがあなたの一ムナです。布に包んでしまっておきました。
   あなたは預けないものも取り立て、蒔かないものも刈り取られる
     厳しい方なので、恐ろしかったのです。』
  主人は言った。
   『悪い僕だ。 その言葉のゆえにお前を裁こう。
    わたしが預けなかったものも取り立て、蒔かなかったものも刈り取る
     厳しい人間だと知っていたのか。
    ではなぜ、わたしの金を銀行に預けなかったのか。
    そうしておけば、帰って来たとき、利息付きでそれを受け取れたのに。』

 そして、

  そばに立っていた人々に言った。
   『その一ムナをこの男から取り上げて、十ムナ持っている者に与えよ。』
  僕たちが、
   『御主人様、あの人は既に十ムナ持っています』 と言うと、
  主人は言った。
   『言っておくが、
    だれでも持っている人は、更に与えられるが、
    持っていない人は、持っているものまでも取り上げられる。
    ところで、
    わたしが王になるのを望まなかったあの敵どもを、
    ここに引き出して、わたしの目の前で打ち殺せ。』」


     イエスはこのように話してから、先に立って進み、
        エルサレムに上って行かれた。』
                 ルカによる福音書 19章11-28節


    今日のイエス様は、
    『ムナのたとえ』で『終末の裁き:最後の審判』を告げたのです。
      『ムナ』は、ギリシャの銀貨で、1ムナ=100ドラクメ=『100日分の賃金』

    今日のイエス様は、
    たとえを用いて、ご自分の話をしておられるのです。 


   『偉い人』は、
    イエス様御自身です。
    『王の位』をうけるために、御受難後、御父の元に戻る、帰天の旅に出ました。
    その時に、
    地上に残した僕たちに『お金・ムナ』を預けたのです。
    再び、『王位』を受けたイエス様が地上に戻る『再臨の時』が必ず来ます。
    その再臨の時、
    王は、預けたお金をどのように使ったかを、一人一人に聞かれるのです。
    偉い人・国王は、預けたお金を増やすように期待していたのです。
    再臨の時は『最後の審判』の時でもあるのです。
    預けておいた『ムナ』の使い方の応じた『報いの審判』がなされるのです。
    私たちの人生が、善いようにも悪いようにも、総決算の時を迎えるのです。


   『僕』は、
    イエスの弟子であり、私たち・キリスト者でもあるのです。
    僕は、『ムナ・恵み・タレント・宝』を大いに利用して、
     ※『イエスの福音』を伝える『使命』を、与えられているのです。
     ※お人のために大いに役立たねばなりません。
    頂いた『宝』を、守るだけでは足らず、お人の役立たせねばなりません。
     

     私たちも、
     頂いた『宝・信仰』を、多くの人のために役立たせたいですね。
         祈りましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『わたしがあなたがたを選んだ。
あなたがたは行って実を結び、その実が残るようにと、私があなたがたを任命したのである。』
       ヨハネによる福音書 15章16節    アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様もいろいろの友人たちとデートを重ね、毎日を素晴しい日々にしてください。 お元気で!

冬到来・・・『山茶花』と『インフルエンザ注射』 そして 『人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。』

2021-11-16 08:30:00 | 自然・花々・樹木・ガーデニング・畑
11月16日。火曜日。晴れ。


我が家にも冬が来ました。

  垣根に冬の花・・・     『山茶花』
 
     垣根に点々と続く花の紅色は、葉の緑色と見事に調和し、美しく、
         観る私を元気にしてくれます♡♡
 

         『山茶花を雀のこぼす日和かな』 正岡子規


   小春日和の一日でしょうか。
   『陽だまりの中、山茶花の咲く枝をスズメが飛び交い、花びらがこぼれ落ちる』
        そんな情景を詠んだのは俳人の正岡子規でした。

   小春日の今日。
   私は、冬の到来を感じさせ、心を和ませてくれる山茶花の垣根、を眺めています。
        正岡子規が詠うように、
        花びらがひらひらと舞うようにこぼれ落ちるのは、
          奥ゆかしくて、私も好きです。

 
冬到来といえば、
もう一つ。

    亡き母が植えた・・・  『椿』
    
    今年最後の花を咲かせてくれる母の椿は、品良く、少しもの悲しく、
      それでも観る私を元気にしてくれます♡♡
 

    昨年の冬同様に、   
    今朝は、早々に、『インフルエンザ・ワクチン注射』を受けてきました。

    本格的冬の到来で・・・
    今年の冬も、新型コロナウイルス感染症真っ最中、インフルエンザ流行時期、 
       到来します。 油断大敵です。


     皆様も、
      コロナもインフルエンザも、予防対策を万全に、
       お元気に今年の冬を乗り越えてください。


そして。

今日は11月16日。年間第三十三火曜日。

『今日の入祭唱』

 『新しい歌を主に向かって歌え。 主は驚くべき御業を成し遂げられた。
  右の御手、聖なる御腕によって、主は救いの御業を果たされた。』
         詩編 98章1節


『今日の福音  イエスの御言葉』

  『そのとき、イエスはエリコに入り、町を通っておられた。
      そこにザアカイという人がいた。

     この人は徴税人の頭で、金持ちであった。
  イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、
     群衆に遮られて見ることができなかった。
  それで、
     イエスを見るために、走って先回りし、
       いちじく桑の木に登った。
                        
    そこを通り過ぎようとしておられたからである。
   
   イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。
           
     「ザアカイ、急いで降りて来なさい。
    今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」

      ザアカイは急いで降りて来て、
        喜んでイエスを迎えた。

     これを見た人たちはつぶやいた。
   「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」

   しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。
  「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。
     また、だれかから何かだまし取っていたら、
      それを四倍にして返します。」

        イエスは言われた。
     「この人もアブラハムの子なのだから。
 人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」』
      ルカによる福音書 19章1-10節


   今日のイエス様は、『金持ちのザアカイの改心』 を導きます。


   ザアカイは、
   徴税人の頭として、社会的地位は高いが、皆からは嫌われていました。
   徴税人として、人をだますこともあり、『罪人』のレッテルを貼られていました。
   宗教上でも『破門』されており、友人もいなかったことでしょう。
   さびしい人生を送っていたことでしょう。


     イエス様は、『失われた人』を捜して、救うために、
       神からこの世に派遣されたお方です。


   ザアカイは、
   イエスが、『罪人をも迎え入れるお方』だといううわさを聞いていたのでしょう。
   どうしても、”イエス様にお目にかかりたい!” と思ったのでしょう。
   しかし、それは、ザアカイには簡単なことではなかったのです。
     群衆がザアカイの妨げとなりました。
   そこで、ザアカイは、人を避けて、木に登りました。
   

      ところが、イエスは、ザアカイを見ておられました。
      それどころか、イエスは、ザアカイに頼み事をしました。
       『今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。』 と。


   当時の社会では、
   罪人の家に泊まることは、宗教上『汚れた者』になると考えられていました。
   同様に、
   罪人と共に食事をすることを、熱心なユダヤ教の人たちは、断りました。


      イエスは、そんな回りの人たちを、諭しました。
     ※この人・ザアカイもアブラハムの子なのだ』※
   だからイスラエル人として、『救いの資格』を持っている者である。
     回りの者に、ザアカイを認めるようにと、諭したのです。


   ザアカイは、期待したとおりに、イエスから迎え入れられ、
       『イエスの愛』に触れたのです。
      そこで『改心』の『決心』ができました。
      そして、
        改心の『しるし』として、
     財産の半分を貧しい人々に施します。』
   ※『だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。』
         と約束しました。


        イエスを自分の中に迎え入れる人は、
       『新たな人』、『別人』になるのです。


   私たちも、
   イエス様のように、お人を迎え入れる人になりたいものですね。
      祈りましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『神が私たちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、
      御子をお遣わしになりました。』
       ヨハネの手紙Ⅰ 4章10節   アレルヤ、アレルヤ。

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
穏やかな小春日和が続きます。散歩を楽しむのも素敵ですね。 お元気で!

17,1km・・・『歩く会・月例会』 そして 『何をしてほしいのか』・・・『主よ、目が見えるようになりたいのです』

2021-11-14 09:00:00 | 登山・ハイキング
11月14日。日曜日。晴れ。


仲間とひたすら歩きました。
灘駅から住吉駅まで、
神戸港海沿い~住吉川沿いまでを辿ってみました。


9時。灘駅出発。


  海岸線まで下って・・・   『港町・神戸』
  
       港町・神戸の海岸線から歩き始めます♡♡


      今日は、私にとってはおよそ2年ぶりの仲間との再会です。
      仲間はコロナ禍中も感染防止対策を実施して歩いましたが、私は二年近くパスしていました。
      
       私が属している三つの「アウトドアグループ」の一つ、
     1982年(昭和57年) 11月に関東で成立した『3Day マーチ・かぢ歩会』。
      私の学生時代の先輩が、39年続く『会』の発起人の一人で、現在の関西支部の支部長です。
          今日はその関西支部会の『月例会』です。


     この会は、歩くことの好きな人々の集まりです。
     毎月定例会ウォークを開催して、各地の自然の中に入り、
     季節の移り変わりを楽しみながら『歩く』ことが『目的』です。
     時には、名所旧跡や各地の産業や文化施設を見学して歩くこともあります。


灘といえば・・・

    いい酒との出逢い・・・  『灘の酒蔵探訪』
 
                      『酒造処・魚崎郷』

        『灘五郷』四カ所を巡りました。


 四つ目・最後の酒蔵は・・・

 ノーベル賞の晩餐会の『祝酒』となった  
            『福寿』
 
 

  今年も誇り高く、真鍋淑郎氏(90歳)、『ノーベル賞・物理学賞』受賞です。
  日本人(米国籍含む)のノーベル賞受賞は、28人目、物理学賞では12人目です。
      
       『大変光栄です』と受賞発表後の第一声でした。


 私たちも、ノーベル賞晩餐会に連なっているつもりになって、
 
    薫り良く、味良く・・・ 『純米吟醸・福寿』
 
      仲間と・・・   『試飲』  ・・・楽しみました♡♡


午後2時半。

三カ所の蔵での試飲(一蔵では試飲はなしでした)にほろ酔い気分?で、
最終目的地に向かって、
住吉川に沿って、ひたすら歩き、上ります。


      そこは・・・

   谷崎潤一郎宅・・・      『倚松庵 いしょうあん
 
         『倚松庵』とは、『松に寄りかかっている住まい』 との意味です。


    『ここも又すむべかりけり住吉の 月ほのかなる松の下庵』
                     谷崎潤一郎

 
      谷崎潤一郎は、この『倚松庵』に、
      昭和11年11月~昭和18年11月まで、七年間、
      関西移住の中では一番長く住んでいました。
      

   この住吉川畔には松が多く、『倚松庵』の名に使われました。
   『松』は、『松子』のことでもあり、松子婦人への深い愛を表わしています。
   この家で、理想の人・松子や彼女の妹・重子、信子らと暮らしました。
   船場の女である姉妹の日常を観察し、『細雪』を書き始めたのもここでした。
                      『倚松庵』パンフレットより

   
 そこは・・・
 
    一階    『応接室と食堂』
 
               当時のままの食卓と椅子。素敵な空間です。

    一階は、他に和室一間、一面のガラス窓は庭に面して、明るく、
      とても素敵な『空間』でした。
    昭和11年頃では、とてもモダンなお住まいだったことでしょう。


   『家族は自分たちが団欒するにも、来客に接するのにも洋間を使い、
      一日の大部分をそこで過ごすようにしていた。』
          『細雪』より


    二階は、和室の三室、各個人のプライベートが守られる空間でした。
    入居の翌年・昭和12年、谷崎は敷地内に、『書斎』を建てました。
                             今は書斎はなかったです。


      私は、各部屋の写真を撮りました。
      素敵な『空間』を真似して、私のうちにも実現したいと、頑張りましょう。
                     とても楽しみです。


最後は・・・   『打ち上げ会』

    コロナ対策の徹底したレストランで、
    私にとっては二年ぶりの『おしゃべり』に、仲間皆の心が更にうちとけました。
     健康で歩き続ける事ができますように! と再会を約束しました。


          黙々と『歩く』事が大好きな私です。
        今日仲間と歩いた距離は、17,1kmでした。
                感謝!感謝!


そして。

今日は11月15日。年間第三十三月曜日。

『今日の入祭唱』

 『主よ、あなたの御言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯。』
          詩編 119章105節


『今日の福音 イエスの御言葉』

     『イエスがエリコに近づかれたとき、
    ある盲人が道端に座って物乞いをしていた。

    群衆が通って行くのを耳にして、
   「これは、いったい何事ですか」 と尋ねた。
   
   「ナザレのイエスのお通りだ」  と知らせると、

彼は、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」 と叫んだ。

    先に行く人々が叱りつけて黙らせようとしたが、
ますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」 と叫び続けた。

        イエスは立ち止まって、
     盲人をそばに連れて来るように命じられた。
    

    彼が近づくと、イエスはお尋ねになった。
       「何をしてほしいのか。」
 盲人は、「主よ、目が見えるようになりたいのです」 と言った。

       そこで、イエスは言われた。
    
   「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」

      盲人はたちまち見えるようになり、
     神をほめたたえながら、イエスに従った。
    これを見た民衆は、こぞって神を賛美した。』
              ルカによる福音書 18章35-43節


   今日のイエスは、エリコの近くで、盲人を癒やしました。

   盲人が、
   エリコの街で物乞いをしていました。
   イエスがお通りになるのを聞いて、大声で叫びます。
    「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」 と。
   盲人は、思い出したのでしょう。
   旧約聖書の中の『ダビデの子が来て、盲人を癒やす』と書かれていたのです。
             イザヤ書 29章18節 & 35章4~5節
   盲人は、イエスこそが『その方』であると分かったのでしょう。


     弟子たちですら、
     イエスが本当にどなたであるか、分かっていなかったのです。
               浅い信仰でした。
     ところが、
     目に見えない子の盲人は、
     信仰の目で、イエスを認めていたのです。分かっていたのです。
           深い信仰を持っていたのです。


     イエスは、
     そんな盲人を、『あなたの信仰があなたを救った』、と癒やしました。
     その後、
     盲人は『イエスの弟子』となったのです。『信仰の模範』となったのです。


   私たちも、誰にも、苦しみや悲しみがあります。
   イエスを信じて、盲人の『あきらめない信仰』を持って、イエスに癒やしていただきましょう。
         祈りましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『わたしは世の光。わたしに従う者は暗闇の中を歩まず、命の光を持つ。』
     ヨハネによる福音書 8章12節   アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今日から新しい週の始まりです。
皆様の今週一週間が、穏やかな毎日でありますように。 お元気で!

聖書100週間・聖書通読会・・・『人は律法の実行ではなく、ただイエスキリストへの信仰によって義とされる。』 そして 『昼も夜も、気を落とさずに絶えず祈らなければならない。』

2021-11-12 14:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
11月12日。金曜日。晴。


今日の金曜日も、
聖書100週間・聖書通読会。
オンラインクラスです。


    『聖書100週間・聖書通読会 オンラインクラス』 
 

    クラスの始まりは2時です。
    2時10分前になると、オンラインをONにします。
    クラスの始まる前の10分間は・・・
     「御家族の皆様お元気でしたか?」
     「先日転んだ時に打ちつけたお顔は大丈夫ですか?」
     「風景画の絵画展出展の作品は仕上がりましたか?」
        等々。お顔が画面に映る仲間に、順に話しかけます。
        仲間の1週間が豊かであったことを、互いに喜び合うのです♡♡
        それは、クラスのウォーミングUpタイムにもなるのです♡♡
 
   
     今日の通読範囲は、『ガラテヤの信徒への手紙』  
     使徒パウロがこの手紙を書いたのは、西暦56年頃。

     その内容は、
      パウロがガラテアの地を去った後、
      パウロに対して、又 パウロが宣教した事柄に対して、
      疑いを持つようになったガラテアの信徒たちに、
      パウロは、※「根本的な問題」※を考えるようにと、書き送ったのです。
        どうして教えたことを疑うのか。
        ※福音とは何か。
        ※イエス・キリストの福音を受け入れる人は、何を守るべきか。


      ※パウロの宣教の中心は、『十字架のキリスト』でした。
      キリストは、私たちの神であリ父である方の『御心』に従い、
      この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、
      御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです。
      更に、復活によって『神の子』として現わされたのです。
       これが 『福音』 であるとパウロは言うのです。
            『ガラテヤの信徒への手紙』1章4節より 
 
   もう一つ、

   ※パウロの宣教の中心は、
   『人は律法の実行ではなく、ただイエスキリストへの信仰によって義とされる』
                               でした。
       アブラハムは神を信じた。それは彼の義と認められた。
       信仰によって生きる人々こそ、アブラハムの子であり子孫であり、
       イエス・キリストに結ばれて神の子であり、神の相続人なのです。
        これが『私の教えたこと』であるとパウロは言うのです。
            『ガラテヤの信徒への手紙』2章15節より 


今日、『ガラテアの信徒への手紙』を読んで、
私は考えました。


  生前のキリストの足跡は、
  十字架のもとで、母マリアとヨハネとマリア以外は逃げ去ったように、消えてしまったかのように見えました。
  しかし、イエス様は、※準備※をしていてくださったのです。

        ※イエスは御昇天後、
        一同が集まっている所へ、天から、 
       
        『聖霊降臨』  エル・グレコ作品

          聖霊を送ってくださったのです。

     同様に、

     キリストは、キリスト者を迫害するパウロに現われ、
            回心させ、
      
      『パウロの回心』  ミケランジェロ・カラヴァッジオ作品

          聖霊を与えたのです。

     消えてしまったかのように見えた『イエスの足跡』
     それは、
     イエスがその土地に蒔かれた『種』は芽を吹き、
     枝が大きく広がった『木』に成長したのです。
     

     聖霊を受けた弟子たちやパウロは、
     再び誰を恐れることなく、世界中に、宣教に向かったのです。
     イエスの『木の枝』は、当時、ローマ帝国全土を覆うほどに育ったのです。

      その『枝』を育んだのは、イエスの弟子たちでしたが、
      特に、使徒パウロの働きであっともいえるのではないでしょうか。


    今日も、皆様仲間のお考えの発表が、とても楽しみです。
                   感謝!感謝!


そして。

今日は11月13日。年間第三十二土曜日。

『今日の入祭唱』

  『新しい歌を主に歌え。 主は驚くべき業を成し遂げられた。
  右の御手、聖なる御腕によって、主は救いの御業を果たされた。』
        詩編 98章1節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、
  イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを
     教えるために、弟子たちにたとえを話された。
    

  「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。
     ところが、その町に一人のやもめがいて、
        裁判官のところに来ては、
    
    『相手を裁いて、わたしを守ってください』 
          と言っていた。

   裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。
       しかし、その後に考えた。
   『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。
   しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、
       彼女のために裁判をしてやろう。
     さもないと、ひっきりなしにやって来て、
    わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』」

  
       それから、主は言われた。
    「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。

       まして神は、
  昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、
     彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。
     言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。

       しかし、人の子が来るとき、
    果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」』
          ルカによる福音書 18章1-8節


     今日のイエス様は、
    『昼も夜も絶えず祈リ求める』ことの大切さを、
            弟子たちに話しました。


   当時のやもめは、収入もなく、社会においての価値も低く、
    世話する人もなく、とても苦しい立場にありました。

     裁判官だけは、やもめを助ける義務がありました。

    そこで、
      やもめは、裁判官に何回も頼むなら、
      助けてもらえると思ったのでしょう。
    その通りでした。
      裁判官は、何回も来られては面倒だということで、
      やもめの言い分を聞きました。やもめは救われたのです。


     同様に・・・
     私たちキリスト者は、
     神の前で、『貧しい者』でなくてはならないのです。
     自分の弱さを感じても、神が必ず助けてくださると信じています。
     神様は、私たちの父であり、私たちの幸せをいつも望んでくださり、
     神様はいつも支えてくださると信じています。
        “アーメン!” ”そのとおりでありますように!” 
          と、絶えず祈り続けるのです。


     私たちは、
     祈るときに、いつも自分の貧しさを、認めているでしょうか。
     神の助けが必要であると、認めているでしょうか。
     神が一番ふさわしい方法で助けてくださると、信じているでしょうか。
     神様にすべての解決を、お任せしているでしょうか。
     神様が確かに祈りを聞き入れてくださる、と信じているでしょうか。
       すべてを神様に願いましょう。 
         祈り続けましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『神は、わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせるために、
   わたしたちの福音を通して、あなたがたを招かれたのです。』
     テサロニケの信徒への手紙Ⅱ 2章14節  アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
明日は日曜日。皆様にとって穏やかな一日でありますように。 お元気で!

古道を歩く・・・『山田道散策』&『紅葉狩り』 そして 『聖ヨサファト司教殉教者 記念日』・・・『人の子が現れる日にも、同じことが起こる。』

2021-11-11 09:00:00 | 登山・ハイキング
11月11日。木曜日。曇りのち夕方から雨。


『古道』を歩きました。
いにしえからの『山田道』をできるだけ忠実に辿ってみました。
谷上駅から神戸市立森林植物園へ。


9時。谷上駅出発。

          『下界と天上界の境目』
 
      駅から少し進むと阪神高速7号北神戸線をくぐる地点。

      トンネルをくぐれば
        舗装路は途切れて・・・

      そこは、人間の知識を越える、自然道・天上界の始まりです。


  往時を思わせる・・・  『幅広い山道』
  

      今日は、およそ2年ぶりの再会、山女二人で、
      往時の人々も歩いた道を進みます♡♡

    
      
      川のせせらぎを聞きながら・・・
      川にかかる木橋を渡り、森林植物園へと向かう。 

10時半。

        『森林植物園正門』
  

    『山田道』前半終了。
    『山田道』延長線上にある植物園内に入園しました。 


   そこは・・・    🍁『紅葉真っ盛り』🍁
 

    美しい自然。
    心が癒やされます。
    体の奥深くまで、エネルギーがチャージされていきます。


 

  六甲の山並みを背景に・・・
         『森林モミジ散策』

  コロナ禍のために、二年近くも、月一度の登山会:『櫻会』が中止になっていました。
  今日は、思い切って、『櫻会』リーダーと二人だけで、山道を歩きました。
  二年の間には色々ありました。最愛のお兄様を亡くされたリーダー。
      『自然の力』が、彼女の涙をぬぐいさります♡♡


 


   この地にモミジが植えられてから、何年間の時間が流れたのでしょう?
   その美しさに、この地に『モミジ』を植えた方を偲びます。尊敬します。


  この地に蒔かれた種は芽を拭き、枝の大きく広がった大木のモミジに成長しました。
  すべてのことが、種が蒔かれ水が与えられ、大きく素晴しく大地を覆ってほしいものです。
                 ・・・と、願わずにはいられません。

 
 

       『黄色一色のモミジ』
     橙色に色づき、多様性を語ります♡♡


 

      先人たちが、同じように愛でたであろうモミジ。 
      今日の私たちも、二時間半、
        美しいモミジを堪能しました。感動を覚えました。


     帰路は、
     空模様があやしくなって・・・
     後半の『山田道』を先に行くのではなく、
     来た同じ道、『山田道』前半を降りましょうと、大急ぎです。
     自宅最寄り駅下車をすると、雨降りが始まりました。セーフでした。
                   感謝!感謝!



そして。

今日は11月12日。年間第三十二金曜日。

   『聖ヨサファト司教殉教者 記念日』
 

1580年頃。 ウクライナのギリシャ正教の家庭に生まれる。

1604年。24歳。 聖バジリオの修道会に入会した。
          後に、 司祭に叙階された。

1617年。37歳。 ポロツクの大司教に選ばれる。
    
       教会一致のために大いに献身した。

1623年。43歳。 カトリックのとの一致に反対した人々の手で殺害された。


『今日の集会祈願』

  『大地を治められる神よ、
ウクライナの司教聖ヨサファトは聖霊に満たされ、牧者として羊のために命をささげました。
   聖人の取り次ぎを求めるわたしたちを聖霊によって強め、
     兄弟のために命をささげる程の愛で満たしてください。』


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは弟子たちに言われた。
  

    「ノアの時代にあったようなことが、
    人の子が現れるときにも起こるだろう。

      ノアが箱舟に入るその日まで、
 人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていたが、
         洪水が襲って来て、
       一人残らず滅ぼしてしまった。

    ロトの時代にも同じようなことが起こった。
 人々は食べたり飲んだり、買ったり売ったり、植えたり建てたりしていたが、
     ロトがソドムから出て行ったその日に、
      火と硫黄が天から降ってきて、
      一人残らず滅ぼしてしまった。


    人の子が現れる日にも、同じことが起こる。

        その日には、
屋上にいる者は、家の中に家財道具があっても、それを取り出そうとして下に降りてはならない。
     同じように、畑にいる者も帰ってはならない。

      ロトの妻のことを思い出しなさい。
    自分の命を生かそうと努める者は、それを失い、
     それを失う者は、かえって保つのである。

       言っておくが、
    その夜一つの寝室に二人の男が寝ていれば、
    一人は連れて行かれ、他の一人は残される。
     二人の女が一緒に臼をひいていれば、
    一人は連れて行かれ、他の一人は残される。」

 そこで弟子たちが、「主よ、それはどこで起こるのですか」と言った。
 イエスは言われた。
     「死体のある所には、はげ鷹も集まるものだ。」 』
                ルカによる福音書 17章26-37節

  
    今日のイエスは、
    『イエスの再臨』の時に起こる事の様子や、弟子たちの心構えについて、
        弟子たちに語ります。


  ルカがこの福音書を書いたのは、『エルサレムの滅亡』西暦73年 の後です。
    その『滅亡』があっても、イエスの再臨はまだでした。
 
  『イエスの再臨』はまだであっても、イエスは突然に来られるかもしれません。


       イエスの再臨は、
    最初の到来の時と同様に、人を救うために来られるのですが、
       それを待つ者には『準備』が必要なのです。


  『準備』は、
   ※食べ、飲み、ものに執着し、自分だけを救おうとすることではないのです。
   ※人のことを考えながら、人に尽くす『覚悟』が必要なのです。
   ※自分自身のことは、イエスと同じように、その前に『苦しみ』が必要であると認め、
    自分の苦しみを受け入れ、後は神に任せる『覚悟』が必要なのです。


    私たちも、
    人を通して、仕事を通して、神に近づけるといいですね。 
           祈りましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『恐れずに身を起して頭を上げなさい。あなたがたの救いの時が近いからだ。』
      ルカによる福音書 21章28節  アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様今日は金曜日。花金です。一週間のお勤め、お疲れ様でした。
素敵な週末をお過ごしになり、来週のエネルギーをチャージしてください。 お元気で!



夫の誕生日・・・『老いては子に従え』 そして 『聖レオ一世教皇教会博士 記念日』・・・『この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。』

2021-11-09 19:00:00 | 夫のこと
11月10日。水曜日。曇り時々雨。


昨日・11月9日は夫の誕生日でした。
コロナ禍の中で、
記念の外食も旅行もひかえて、
自宅でお祝いでした。


          『祝宴』
 

         『老いては子に従え』

  めでたいめでたい夫の誕生日。
  💕娘夫婦から、めでたいめでいと、
   ぐい呑『金杯』と、酒に浮かべる『金箔』が贈られてきました。
      (私用の金杯は今年のMy誕生日にすでに贈与すみです)
  💕息子夫婦からは、めでたいめでたいと、
    金沢の近江市場直送便の『バイ貝と甘エビ』&丹波篠山直送便の『黒豆』が贈られてきました。
      (バイ貝は私が金沢の料亭のレシピで煮ました)
  💕私からは、めでたいめでたいと、
    『祝酒』で、純米吟醸・無ろ過原酒・しぼりたて・『雪彦山』を贈りました。
      (日本酒発祥の地の壺坂酒造 & 純米吟醸は私の好みなのです♡)


     子どもたちに『祝宴』を用意されて祝う『親の誕生日』
        美味しい肴をあてに、金箔の浮かぶ金杯。
        夫には最高の誕生日だったことでしょう。


   夫の誕生日を迎え、しみじみと考えました。
        『老いては子に従え』  

   元来は、中国の「礼記」や仏典に由来する、「三従の教え」で、
   「若い時はに従い、盛りにしてはに従い、老いてはに従う」といい、
       『三従』の『女子教育規範』とされてきたそうです。
               『大智度論』(大品般若経の注釈書)より
    『三従』の女子教育とは・・・驚きです。知りませんでした。 

  それはともかく・・・

    私たちは、我が子にいたわられる年齢になったということでしょうか。
    でも、当分は、「老いては子に従え」という気はありません。
    むしろ、私たちの人生はすでに大詰めに差し掛かっているのだから、
       当分は、「自由に、好きなようにさせてね」
             「見守っていてね」  ですね。

     今年11月9日の夫の誕生日は、まだまだ元気な夫と私でした。
                 感謝!感謝!


そして。

今日は11月10日。年間第三十二水曜日。
    
    『聖レオ一世教皇教会博士 記念日』
 
   
  イタリア中部のトスカーナ地方にまれた。
   
 440年。 教皇に選ばれた。
   よい牧者として、また信者たちの救霊のために尽くす父として、活躍した。

   あらゆる手段を尽くしてキリスト教の正しい教えを擁護し、
   教会の一致を保つために熱心に努めた。
   また、
   民族大移動で襲ってくる緒部族の侵入をできるかぎり防ぎ
   あるいは、少なくともそれを和らげるために力を注いだ。

 461年。 在位21年間、真の牧者として活躍し、死去。

   96の説教集や多くの書簡集を残した。
   レオ1世のとき、聖ペトロの後継者として初めて、「教皇」という称号が用いられ、
   後世、大教皇という称号を与えられ、「大レオ」と呼ばれている。
           『毎日の読書』より

『今日の集会祈願』

   『父である神よ、
使徒のいわおの上に建てられた教会は、あなたに支えられて暗闇の力に打ち勝ちます。
 教皇聖レオの取り次ぎを求めるあなたの民を、真理と平和の内にお守りください。』


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『イエスはエルサレムへ上る途中、
   サマリアとガリラヤの間を通られた。

ある村に入ると、
    重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、
   遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、
   
       
  「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」
                    と言った。

    イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、
  「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」 と言われた。
      彼らは、そこへ行く途中で清くされた。

    その中の一人は、自分がいやされたのを知って、
           
     大声で神を賛美しながら戻って来た。
    そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。
      この人はサマリア人だった。

      そこで、イエスは言われた。
   「清くされたのは十人ではなかったか。
     ほかの九人はどこにいるのか。
 この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」

      それから、イエスはその人に言われた。
                   
 「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」』
     ルカによる福音書 17章11-19節


    今日のイエス様は、
   重い皮膚病の十人を癒やされます。


   重い皮膚病の十人は、
   病気を癒やす力を持っているイエスのうわさを聞いていたのでしょう。
   通りすがるイエスを見かけて・・・
   「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」
      ・・・と、イエスを主であり、神であるとは知らないままに
          「先生、癒やしてください」と頼みました。

   イエス様は、
   病人の十人をその場で、御自分で癒やすことをなさらず・・・
   「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」 
    ・・・と言い、
     ①イエスの『言葉』通りに司祭の所へ行くかどうか、
     ②そして、その後の反応はいかなるものか、
     ③治った後、イエスの所へ戻り、感謝を述べるかどうか、
     ④イエスを主と認め、イエスを通して『神の愛』を見ることができるかどうか、
           十人の反応を、見たかったのでしょう。
   
   重い皮膚病の十人は、
   イエスの言葉の通りに、司祭の所へ向かいましたが・・・
     司祭の所へ行く前に、病気が治りました。清くされたのです。
   すると、
   十人のうちの九人はユダヤ人だったのでしょう。
    喜び勇んで、飛び跳ねて、司祭の所へ、律法の定めの通りに、
        清くなったことの報告に行きました。
   ところが、
   異邦人の一人だけが、
   イエスにおいて神が働いておられることを認めたのでしょう。
     律法の定めには関係のない立場でもあり、
     司祭の所へ行かずに、きびすを返して、
     大声で神を賛美しながら・・・
     イエスに感謝するために、イエスの所へ戻って来たのです。
   
    
       病気を癒やされたのは十人でしたが、
  イエスにおいて、神の働きと恵みを見て、『神の愛』を見出して、
       信仰が生まれて救われたのは一人だけでした。


    私たちも、
    恵まれていることに気づかず、感謝が足りないことが多々です。
    神からの恵みを、自分の力だと思ったり、当然と思ってしまうこともあります。
       本当にイエスから救われたいものですね。
            祈りましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『どんなことにも感謝しなさい。
 これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。』
        テサロニケへの手紙Ⅰ 5章18節   アレルヤ、アレルヤ。

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
誕生日は嬉しい日です。
巡り来る新しい年齢を最上の年齢に致しましょう。 お元気で!

小菊の候・・・『夕風や盛りの菊に吹渡る』 そして 『ラテラン教会の献堂 祝日』・・・『イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことであった。』

2021-11-09 11:50:20 | 自然・花々・樹木・ガーデニング・畑
11月9日。火曜日。曇り。

今朝の明け方までは大雨でした。
日が明ける頃までには雨は止みましたが、
一日中の『強風注意報』が出ました。
今日は『木枯らし1号』の便りが届くのでしょうか。


  いよいよ冬も始まり・・・

       我が家にも・・・   『小菊』
 
                    白、赤、黄、小菊が美しい。かわいい。

       『夕風や盛りの菊に吹渡る』 樗良作

   吹く風に、玄関先に咲き誇る小菊の香が、我が家にも吹き渡ります。


        今日は、明後日にひかえた登山のために、
    早めに『聖書100週間』の予習を終えることに致しましょう。
        コロナ禍で遠のいていた登山の再開です。
      明後日の 未来の『希望』は、日々を楽しくします。
               感謝!感謝!


そして。

今日は11月9日。年間第三十二火曜日。

     『ラテラン教会の献堂 祝日』
   

         11月9日はラテラン教会の献堂記念日です。

 324年。コンスタンティヌス皇帝により、
    ミラノ勅令でローマの『禁教令』が解かれた翌年の324年、
    『ローマ司教座教会』として建てられました。

    大聖堂の記念は、十二世紀からこの日に行なわれたと伝えられている。

    初めこの祝日は、ローマ司教区だけで祝われていたが、
    「ローマと世界のすべての教会堂の母であり頭」
    と呼ばれたこのラテラン大聖堂をたたえるために、
    ローマ典礼の教会で祝われるようになった。
    
1123年。   はじめてここで公会議が開かれました。
毎年聖木曜日。ローマの司教でもある教皇は、この大聖堂を訪れ、「主の晩餐式」を行います。

    この祝日は、ペトロの座に対する一致と親愛のしるしである。
          『毎日の読書』より

『今日の集会祈願』

 『いつくしみ深い神よ、
 あなたは年ごとに、ラテラン教会の献堂を記念させてくださいます。
 あなたの家でいつも清いいけにえがささげられ、豊かな救いの恵みが与えられますように。』 
    

『今日の福音 イエスの御言葉』

   『ユダヤ人の過越祭が近づいたので、
   イエスはエルサレムへ上って行かれた。

      そして、神殿の境内で
    牛や羊や鳩を売っている者たちと、
  座って両替をしている者たちを御覧になった。

 イエスは
    縄で鞭を作り、
    羊や牛をすべて境内から追い出し、
    
    両替人の金をまき散らし、その台を倒し、

      鳩を売る者たちに言われた。
     

     「このような物はここから運び出せ。
     わたしの父の家を商売の家としてはならない。」

 弟子たちは、
    「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」
        (詩編 69章10節)   と書いてあるのを思い出した。

 ユダヤ人たちはイエスに、
 「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」
                    と言った。
 イエスは答えて言われた。
    「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」
 それで
 ユダヤ人たちは、
    「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、
      あなたは三日で建て直すのか」 と言った。


  イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。


     イエスが死者の中から復活されたとき、
   弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、
     聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。』
             ヨハネによる福音書 2章13-22節


     今日のイエス様は、
     エルサレムの神殿を清めた後、
     『本当の神殿』は『自分の体』であることを示されました。


  旧約時代。
  エルサレムの神殿は『神の家』と言われ、
  神がその民と一緒におられる『しるし』でした。
  民は、そこで祈り、神に出会い、供え物を献げていました。

  新約時代。
  救い主の時代になると、
  ※イスラエル人は『新しい神殿』が出来ると思っていました。
  ※イエスの到来によって、新しい時代が始まりました。
   神が人間・イエスとなられたということは・・・
   神が民と共にいたい。神が人間の中に御自分の住まいを造りたい。
      との、『しるし』でした。

    
      これからの『神の本当の家』は『イエスご自身』です。
       イエスは『新しい神殿』となっておられます。
       イエスは、いままでの神殿を清めるどころか、
       『新しい神殿』:『神の新しい住まい』を造るために
        この世に来られたのです。


     これからは、
     イエスにおいて、人は神に出会うことが出来るのです。
     そして、
     イエスは、信じる人に、ご自分の霊:『聖霊』をお与えになります。
     私たちは、その与えられた『聖霊』において、
     私たちが『神の神殿』となるのです。自分の心の中で神に出会うのです。

  更に・・・

     イエスにおいて、『新しい礼拝』が始まりました。
      『新しい供え物』は『イエスご自身』です。
           
        それは、
           イエスの体、
      すなわち人々のためになさったすべての活動、
           イエスの愛の生活、 
         特にその『死と復活』です。


       ミサの時、イエスの『死と復活』を祝います。
       十字架を囲んで集まるのです。
   十字架を眺め、イエスがすべての人を終わりまで愛してくださったと、
       思いだし、感謝するのです。

       
    私たちキリスト者一人一人は神殿なのです。
    神が共にお住みくださる神殿なのです。
    神が、その私たちから期待なさる『供え物』は『愛の生活』です。  
    私たちが、毎日、自分の神殿で、神に出会いたいものですね。
           祈りましょう。

 
『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『今後、わたしはこの神殿を選んで聖別し、そこにわたしの名をいつまでもとどめる。』
         歴代誌下 7章16節    アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
忙しい師走を迎える前の穏やかな11月の日々です。
何か楽しみを見つけて、楽しい11月でありますように。 お元気で!

移り変わる時間・・・『青年の時間と老年の時間』 そして 『一日に七回、「悔い改めます」と言ってあなたのところに来るなら、赦してやりなさい。』

2021-11-08 05:30:00 | 私のこと
11月8日。月曜日。曇り。

夜明けが遅くなりました。
それでも、
明けぬ朝はない。


    6時25分・・・      『今朝の夜明け』
 

     年を重ねた私の時間。
     今朝もゆっくりと時間が流れます。
     五日前までの、娘宅で過ごした5日間の時間は、
     今の私の時間からは無縁のように、
     朝起床時から夜就寝時まで、忙しく流れる時間でした。


        青年の時間 と 老年の時間。
    人生を形成する時間 と 人生を解体する時間。
     歓喜に満ちた時間 と 終わりを迎える準備の始まる洗練の時間。


       時間には、いろいろの時間がある。
     愛する人々と共に、つかの間の『歓喜の時間』を楽しみ、
     また、
     自分の居場所に戻り、好きな仕事や『意義ある時間』に戻る。
       両方の時間のそれぞれの良さが分かる年になった私。
       両者を行ったり来たり出来る今の私は、幸せです。


   二つの『時間』を、しっかり見極め、それぞれの時間を堪能できる者が
        人生の『勝者』といえるのかもしれません。



   我が家のモミジ・・・   『今朝の紅葉』  
   
                      部分的に色づいてきました。


      庭は、もう昨日までの美しい緑は、終わりとなった。
      葡萄の葉は黄色になり、
      空は、空高く、冷気がただよう。    

       
      自然界でも、時は移り変わります。
      それでも、人間世界でも自然界でも、
      行く手には良いことが待っているはずです。


        今朝は、まだ陽の明けぬ空の下を歩きながら・・・
        いろいろとちょっぴり考えまして、
        ぶどう酒が熟しておいしくなるように、
        ”私もいよいよ熟して、今を最上級の時間にしなければ!”
               と考えました。 感謝!感謝!


そして、

今日は11月8日。年間第三十二月曜日。

『今日の入祭唱』

   『わたしの神よ、御旨を行うことをわたしは望み、
      あなたの教えを胸に刻みます。』
         詩編 40章9節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、 イエスは弟子たちに言われた。
    
      「つまずきは避けられない。
     だが、それをもたらす者は不幸である。

  そのような者は、これらの小さい者の一人をつまずかせるよりも、
  首にひき臼を懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がましである。

       あなたがたも気をつけなさい。

     もし兄弟が罪を犯したら、戒めなさい。
    そして、悔い改めれば、赦してやりなさい。

     一日に七回あなたに対して罪を犯しても、
  七回、『悔い改めます』と言ってあなたのところに来るなら、
        赦してやりなさい。」

   使徒たちが、
    「わたしどもの信仰を増してください」と言ったとき、
   主は言われた。
    「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、
      この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』
       と言っても、言うことを聞くであろう。」』
         ルカによる福音書 17章1-6節


     今日のイエス様は、
     『弟子の共同体の在り方』について、
         弟子たちに語りました。


 初代教会の時代。
 信者の中には、
 他の信者をつまずかせる者、悪事をする者、悪事に誘う者、信仰生活に反することを行なう者、等、
                      がいました。

   それらの人々への、イエスの※『解決法』※、次のように教えました。
   ※兄弟を戒めなさい。
     彼が改心するなら、兄弟を得る事になりるのです。
   ※兄弟を赦しなさい。
     何回も同じ悪事を繰り返した兄弟を、何回も赦さなければなりません。
     兄弟を救うために、必要なことなのです。
   ※兄弟に本当の愛を与えなさい。
     神は、一番小さな兄弟も愛しておられ、その者の救いを望んでおられるのです。
     イエスは反対された時・・・いつも、誰をも赦して、『神の愛』を証ししました。
     私たちも、お人を赦す姿で、『神の愛』:『本当の愛』を証し出来るのです。
        赦しの中に『神の愛』が表われるのです。


 弟子たちは、
 ♡何回も赦すことが出来ない・・・自分の信仰が足りないのに気づきました。
 ♡『私たちの信仰を増して下さい』・・・自分が何回も赦すことが出来る力をイエスに頼みました。
    
      すると・・・
      イエス様は、弟子たちに答えました。      
    『もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、
      この桑の木に、「抜け出して海に根を下ろせ」
       と言っても、言うことを聞くであろう。』 と。
     こういうことではないでしょうか…
      イエス様は
    『あなた方の本の少しでも「本物の信仰」があれば・・・
        すべてのことは可能です。
       その人の中で、神が働きます。』 
              と、お答えになったのです。


    私たちも、
    私たちの中で、神様が働くことが出来るように、
    神に信頼して、神と協力したいものですね。
         祈りましょう。

『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『あなたがたは、非のうちどころのない神の子として、星のように輝き、
       命の言葉をしっかり保つでしょう。』
       フィリッピの信徒への手紙 2章15&16節  アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
年を重ねるにつれ、考え方や生き方をギアチェンジしなければなりません。
いままでの自分にこだわることなく、新しい自分にチャレンジしていく。
分かっていても、難しいことですね。 お元気で!