マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

金木犀の満開・・・『立冬』 そして 『この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。』

2021-11-07 05:30:00 | 自然・花々・樹木・ガーデニング・畑
11月7日。日曜日。快晴。

今日・7日は『立冬』
暦の上では冬の始まりとなりました。
立冬から数えて15日目ごろの
今年は11月23日の『小雪(しょうせつ)
までが冬の始まりの期間です。


  やっと満開を迎えた我が家の・・・    『金木犀』
 
                       香り高く、美しい。

      『立冬』になってやっと満開を迎えました。
    気候の変動・温暖化が花々の開花にも影響しているのでしょうか。


    北国から雪の便りが届いたのですが・・・
    今年は、
    金木犀の開花は一ト月遅れでした。
    我が家のシンボルツリーもみじの紅葉時期も一ヶ月ほど遅れました。      
       

      『気候変動』が、自然環境を狂わせています。
       くれぐれも
    一人一人が『努力目標』を決めて、努力を重ねたいものです。

  
  昨年は・・・ 

       『窓をあけたら 秋の香りがやってきた』
   
                      昨年の私の作品です。

       昨年は、秋盛んな頃・10月には満開の『金木犀』でした。

    
        今年は、世界各地で相次いだ自然災害でした。
  世界では、2000年からの20年間で、気候変動による災害が82%も増大したそうです。
  台風・洪水・干ばつなどの異常気象は、気候災害を引き起こします。
  気候変動は今、世界中の人々の安全を脅かす問題となっているのです。

      異常気象が増えている一因として考えられているのが、
      『地球温暖化』の進行(CO2・二酸化炭素・排出量の増加)です。

        くれぐれも、
        只今、世界中からの知恵を集めている『COP26会議』で、
        世界中がCO2排出量減少の適切な『努力目標数値』を決めて、
      世界中の全員で、『努力目標』達成のために、努力を重ねたいものです。

    
     今日から立冬です。 冬が始まります。
     

     朝夕冷えみ、日中の陽射しも弱まって来て、
     冬が近いことを感じさせる今日この頃。
     木枯らし1号やあちこちから初雪の便りも届き始めます。

       
     私は、今朝は、『冬の始まり』を捜しながら・・・
  穏やかな美しい気候の中で、ウォーキングを楽しむことが出来ました。
                       感謝!感謝!
      


そして。

今日は11月7日。年間第二十二主日。

『今日の入祭唱』

 『主よ、わたしを救ってくださる神よ、昼は助けを求めて叫び、夜も、御前におります。
   わたしの祈りが御もとに届きますように。 わたしの声に耳を傾けてください。』
           詩編 88章2&3節


『今日の福音 イエスの御言葉』

    『そのとき、イエスは教えの中でこう言われた。

      「律法学者に気をつけなさい。
 彼らは、長い衣をまとって歩き回ることや、広場で挨拶されること、
    会堂では上席、宴会では上座に座ることを望み、
   また、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。
   このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。」


       イエスは賽銭箱の向かいに座って、
     群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。
       ※大勢の金持ちがたくさん入れていた。
 ところが、  ※一人の貧しいやもめが来て、
 
   レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。

     イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。
      「はっきり言っておく。
   この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、
      だれよりもたくさん入れた。
      皆は有り余る中から入れたが、
  この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、
      生活費を全部入れたからである。」』
            マルコによる福音 12章38-44節


     今日のイエス様は、
     律法学者や金持ちたちの傲慢を批判します。


 イエスは弟子たちに※警告※するのです。
  律法学者に倣うことがないように。
    律法学者の中には、
    人から尊敬されることを望んで、
    長い衣をまとって、自分は学者であることを見せながら歩き回ることや、
    長い祈りをして、自分が人より熱心だと見せたがったりする。
    又、
    他の人を軽蔑したり、
    困った人を助けることを怠ることがある。
          ・・と、イエスは指摘するのです。
  金持ちに倣うことがないように。
    彼らは人の前で、熱心であることを見せびらかすために、
    献金箱に多くの献金をいれるかもしれません。
    それは、彼らにとってはつらい金額ではなく、
    それは、彼らにとっての本当の施しにも、犠牲にはなりません。


     一方、
     イエス様は、献金をするやもめをほめたたえるのです。
      やもめは、乏しい中から献金をするのです。
      しかも、生活費全額を、献金するのです。
      それは、やもめにとって、明日の生活にも困る、本当の犠牲です。
      
       やもめの献金は、
       額にすれば少額で、人からほめられることはないでしょう。
       困った人たちに気づいて、彼らを助けたいという思いからする献金で、
          なんでもご存じの神様を喜ばせる献金なのです。


              献金は、
          その額が一番大切なのではなく、
       どういう気持ちで出すかが、一番大切なのです。


  私たちも♡献金♡するときは、
  『私の兄弟であるこの最も小さな者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのです。』
        という『イエスの言葉』マタイによる福音書 25:40 
     忘れることがないようにしたいものですね。
  『やもめの献金』に倣って、神様を喜ばせる献金をしたいものですね。 


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『心の貧しい人々は幸いである。天の国はその人たちの者である。』
      マタイによる福音書 5章3節  アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今日は立冬。コロナ対策とともに風邪対策にも気をつけてまいりましょう。
両方の予防対策は同じなので助かりますね。手洗いとうがいが第一ですね。
今日の休日が穏やかな一日でありますように。 お元気で!

聖書100週間・聖書通読会・・・『あの者は、私が選んだ器である』 そして 『この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。』

2021-11-05 14:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
11月5日。金曜日。快晴。

今日の金曜日も、
聖書100週間・聖書通読会。
オンラインクラスです。


      『聖書100週間・聖書通読会 オンラインクラス』 
 
   
     今日の通読範囲は、『テサロニケの信徒への手紙ⅠⅡ』
     
      使徒パウロがこの手紙を書いたのは、西暦51年頃。
        新約聖書の中で、一番古い手紙です。

           『使徒パウロ』
      
      私にとって・・・
      キリスト教理解の上で、パウロは絶対なる教師です。


各宗派の教会も、
パウロを使徒と呼んで崇敬しますが、
イエスの死後に信仰の道に入ってきたためイエスの『直弟子』ではなく、
「最後の晩餐」に連なった十二使徒の中には数えられません。


    使徒パウロは   
    ユダヤ教信者であり、ギリシア語とヘブライ語を話すことができ、
    熱心なファリサイ派に属する律法学者でした。
    西暦30~33年頃。 イエスは宣教活動をしていました。
      その頃、パウロは聖書を学ぶために留学中で、主イエスには直接出会ってはいないのです。
    西暦33~36年頃。 イエスの死後。パウロは留学を終え、再びエルサレムに戻りました。
      その頃、エルサレムでは、キリスト教が盛んになっていました。
      これに驚いたパウロは、ユダヤ教が根本から揺るがせられる危険を察知し、
      怒りに燃えて、キリスト者を捕らえようと、迫害者の仲間に加わったのです。
 
     
しかし、
そんな折、西暦36年。
迫害者の一員として熱心に活動するパウロが、迫害の旅の途中で、突然、
天からのが彼の回りを照らし、イエスの天からの『声』が聞こえたのです。
『パウロ、パウロ、なぜ私を迫害するのか。私は、あなたが迫害するイエスである。』   
その時に目が見えなくなったパウロは、
三日の後に、目が回復し、回心し、イエスの示すアナニアから洗礼を受けたのです。 
その時、イエスは、アナニアに、パウロについて告げました。 
『あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らに
わたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。』と。
 以上。 使徒言行録 9章1~22節 『サウロ(パウロ)の回心』より


      パウロは、 
      初めは、イエスをメシアとして受け入れることを、必死に拒んでいました。
      しかし、回心後は、各地を巡り歩き、『イエスの福音』を熱心に宣教しました。
      最後に、囚われの身としてローマに送られたパウロは、牢獄で数年過ごします。
      61~62年頃。 殉教する。


        二人がともに6月29日に記念される
           ペトロとパウロ
        
        『使徒の頭』であるペトロと共に
        二人は『首座使徒』と呼ばれるのです。


      パウロの宣教の中心は、『十字架のキリスト』でした。
       十字架にかかり、人類の『贖罪の業』を成し遂げ、
       復活によって『神の子』として現わされた、
        『キリストの福音』でした。 
 

     今日のクラスは、
     その生涯をキリスト教の布教にささげたパウロの『手紙』の通読です。
     私が尊敬をして止まないパウロの、『キリスト教の解釈』の通読です。

       今日は、仲間の皆様の発表が、一段と楽しみです。
                   感謝!感謝!


そして。


今日は11月5日。年間第三十金曜日。

『今日の入祭唱』

 『主の命令はまっすぐで、心に喜びを与え、主の戒めは清らかで、目に光を与える。
 主への畏れは清く、いつまでも続き、主の裁きはまことで、ことごとく正しい。』
         詩編 19章9&10節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは、弟子たちに言われた。
   
     「ある金持ちに一人の管理人がいた。
 この男が主人の財産を無駄遣いしていると、告げ口をする者があった。
     そこで、主人は彼を呼びつけて言った。
   『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。
        会計の報告を出しなさい。
     もう管理を任せておくわけにはいかない。』


         管理人は考えた。
 『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。
     土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。
         そうだ。こうしよう。
        管理の仕事をやめさせられても、
    自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』


    そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、
  まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。
          『油百バトス』と言うと、
    管理人は言った。
        『これがあなたの証文だ。
     急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』


  また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。
         『小麦百コロス』と言うと、
    管理人は言った。
        『これがあなたの証文だ。
        八十コロスと書き直しなさい。』


    主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。
この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。」』
                ルカによる福音書 16章1-8節


   今日のイエス様は、
   『「神の国」を得ようとする者は、知恵深く、賢く振る舞いなさい。』
            と、弟子たちに、たとえで話します。


  たとえ話の、
  不正なことをした人の話をイエスにしたことが、弟子たちにあったのでしょうか。
  その時、
  イエス様は、『あなたたちは、この人から学ぶことがある』と話したのでしょう。


     イエス様は、管理人の不正をほめたのではなく、
     管理人が、仕事を失うという危機に直面しても、ものごとをあきらめることなく、
       友人を作ることが一番大切だと思ったのでしょう、
       すぐに対策を『考え』、すぐに『実行』したのです。
       イエスは、その知恵と実行力、をほめたのです。


       イエスの到来で、『神の国』は来ました。
       私たちは、イエスの話を聞き、
       すぐに考え、すぐに実行に移して、信じました。
       では、その後、
       その『恵み』を、どのように管理しているでしょうか?

       『恵み』を皆と分かち合うなら、友人が出来るのです。
        神から頂いた『恵み』は一人占めするのではなく、
          お人にも役立つものとしたいですね。
        

『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
 『神の言葉を守るなら、まことにその人の内には神の愛が実現しています。』
     ヨハネの手紙Ⅰ 2章5節   アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
小春日和で、紅葉も真っ盛りになってきました週末です。
紅葉狩りでもしながら、穏やかな週末をお過ごしください。お元気で!

『We love peace』・・・文化祭 そして 『自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、又 自分の持ち物を一切捨てないならば、わたしの弟子ではありえない。』

2021-11-03 14:00:00 | 娘と娘家族
11月3日。水曜日。快晴。

穏やかな小春日和。
孫息子の小学校の『文化祭』です。
孫息子にとって小学生最後の文化祭です。
祭日の今日も仕事の両親の代理出席の私です。


 小学六年生の文化祭のテーマは・・・

           『We love peace』
  
                   於:小学六年生の展示室・図書室

       『平和の象徴:鶴』の折り紙が部屋の中心を飾ります。

       卒業旅行・修学旅行の広島行きがコロナのために中止となり、
       その代わりに 都内の『第五福竜丸』等、三カ所を訪ね、
       『平和』について考えた発表展示が並んでいました。


        『今も核兵器は、13895発もあります。
    核兵器をなくすために、仲間や家族と話し合うことから始めてみましょう。』
 
         『1945年8月6日8時15分 原爆投下
          死者(~1945年12月):約14万人
          主な被害:爆風・放射能・熱練』


          『1945年8月6日8時15分
     都市の大きさ、地形など、の理由から広島に原爆が投下されました。
        その戦争により、人々は後遺障害で苦しみ、
         土地は荒れ果ててしまいました。』


     広島と長崎の原爆投下、東京大空襲、第五福竜丸、風船爆弾、等々、
     小学六年生一人一人が自分で選んだ『テーマ』、その研究発表。
        全員の展示が図書室いっぱいに並んでいます。
  
                     孫息子とお友達

     体も大きくなり、思考力も発達し、立派な自分の考えを持ち、
         小学校での六年間の学びを身に着け、
       来年には中学生として羽ばたく青年たちです。

      
     もう青年と呼ばれるにふさわしい小学六年生の発表の立派な『展示物』
            それらを見させて頂きながら・・・
      彼らの健やかな成長をお祈りさせて頂いた『文化祭』訪問でした。



   今回の旅。故郷・東京への旅でした。
   土曜日の夜~水曜日の夕方まで。 4泊五日の娘家族訪問でした。   
   コロナ禍のために、私の神戸から娘家族の住まいの東京までは、かなわなかった娘宅訪問。 
        一年十一ヶ月ぶりの訪問に、
    娘家族全員の無事をこの目で確認でき、感謝と安心の旅となりました。


    安心して・・・
    帰路の新幹線の中。

    金曜日・『聖書100週間』の予習です・・・   『聖書通読』
  

     私の乗った新幹線車両は、ガラガラの車中、五人だけの乗客でした。

     金曜日・聖書100週間の『通読範囲』は『テサロニケの信徒への手紙ⅠとⅡ』
     全部で8章だけなので、
     ゆっくりと心を込めての予習が、東京=神戸間で終了できました。


   娘家族と息子家族の応援で一歩踏み出した『新しい日常』スタートの旅となりました。
      私も、更に賢く慎重に、明日からの日々を充実させることに致しましょう。
                    感謝!感謝!


そして。

今日は11月3日。年間第三十一水曜日。

『今日の入祭唱』

   『わたしは主を愛する。 生涯、わたしは主を呼ぼう。
    主は嘆き祈る声を聞き、わたしに耳を傾けてくださる。』
        詩編 116章1&2節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、大勢の群衆が一緒について来たが、
     イエスは振り向いて言われた。
   

   「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、
 父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、
   これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。

    自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、
     だれであれ、わたしの弟子ではありえない。


    あなたがたのうち、塔を建てようとするとき、
    造り上げるのに十分な費用があるかどうか、
    まず腰をすえて計算しない者がいるだろうか。

    そうしないと、土台を築いただけで完成できず、
      見ていた人々は皆あざけって、
   『あの人は建て始めたが、完成することはできなかった』
                    と言うだろう。

         ※また、どんな王でも、
      ほかの王と戦いに行こうとするときは、
      二万の兵を率いて進軍して来る敵を、
    自分の一万の兵で迎え撃つことができるかどうか、
      まず腰をすえて考えてみないだろうか。

        もしできないと分かれば、
   敵がまだ遠方にいる間に使節を送って、和を求めるだろう。


       だから、同じように、
     自分の持ち物を一切捨てないならば、
   あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。」』
         ルカによる福音書 14章25-33節


    今日のイエス様は、
    『主の呼びかけに応じて従う弟子の覚悟』について、
     イエスの後についてきた大勢の群衆に向かって話します。


   イエス様は、
   今日の話をする時に・・・
   御自分は、エルサレムに向かっていき、
       そこで『十字架』につけられ、
    
      苦しみをうけることを、ご存じでした。   

    イエスの弟子になる人は、
    『そこまで:十字架まで』イエスについていく『決心』をしなければなりません。
              と、話したかったのです。


  ルカが、
  この福音書を書いた時は、イエスの亡き後。
  ローマの町では、キリスト者に対する迫害が起こっていました。
  この福音書を書いた時には、すでにペトロとパウロは殉教をしていました。


       そのように・・・
       その頃、信者になりたい人は、
       『勇気』がいりました。
       自分の命をも棄てる『覚悟』でなければなりません。
       イエスに倣って、自分の『十字架』を担うことが、自分に出来るかを、
          まず腰を据えて考えなければなりません。
    

  イエスは、
  『自分の十字架を背負って』 又 『自分の持ち物を一切捨てて』
      親兄弟以上に、イエスを愛する。
  『イエスに従うことは、第一のことであり、すべてに勝る価値がある』
    ・・・と、厳しい『言葉』をおっしゃいます。そして励まします。


       そのように・・・
       信仰を求めている人は、
       親、兄弟の反対があっても、
       『決心』する必要がある場合もあります。
       その時は、必ず、キリストが『力』となってくださいます。


   私たち・キリスト者も、
   信仰を続けることが出来るように、キリストに指導して頂きたいものです。
         祈りましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『キリストの名のためにの非難されるなら、幸いです。
 栄光の霊、すなわち神の霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。』
        ペトロの手紙Ⅰ 4章14節  アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
寒さの後のぽかぽか陽気の小春日和が続きます。
寒い冬の冬眠前の『食料集め』『筋力貯金』のために、大いに散歩を楽しみましょう。 お元気で!

墓参・・・『死者の日』・・・『子を見て信じる者が永遠の命を得、わたしがその人を終わりの日に復活させる。』

2021-11-02 11:00:00 | 父と母のこと 兄弟のこと
11月2日。火曜日。快晴。

穏やかで美しい一日。
カトリック教会の『死者の日』です。
私の父の命日の前日です。


           『東京都経営の大霊園』
 

         父の好きだった武蔵野連山が一望できます。
          私の両親と兄たちの眠る墓もあります。

 
   コロナ禍のために、私の神戸から墓地の東京までは、かなわなかった墓参り。 
        二年ぶり墓参です。 懐かしさに涙が出た。
        平日なので、一人占めのような霊園、静寂で、
         ゆっくり心を込めてお祈りが出来ました。
           父の命日の祈りも出来ました。


       『神よ、御子キリストはわたしたちに約束されました。
          「わたしは復活であり、いのちである。
         わたしを信じる者は人は、死んでも生きている。」 
        神よ、御許に召された私の両親と兄たちに、永遠の安らぎを与え、
           あなたの光の中で憩わせてください。

          私も、キリストの恵みに支えられて希望に生き、
          人生の旅路を終えて、ふたたび親兄弟とまみえ、
            私の涙がすべてぬぐわれますように。』
              カトリック祈祷書『祈りの友』より


        今日は穏やかな一日。二年ぶりの墓参りです。
        私は、一人で、大好きな両親や兄たちと、
        あの世とこの世の隔たりもなく、あいまみえながら、
        二年間の諸々の報告をして、これからの夢を語り、私の家族の見守りを頼み、等々、
          ゆっくりと、心を込めて沢山のお話しが出来ました。
                     感謝!感謝!


そして。

今日は11月2日。年間第三十一火曜日。

           『死者の日』
     
カトリック教会では、11月2日は「死者の日」とし、亡くなったすべての方々を記念します。
  諸聖人の祭日(11月1日)の翌日にすべての死者を記念する習慣は、
  998年。 クリュニー修道院院長のオディロンによって始められ、
        その修道院の修道士たちの影響によって
  11世紀。  広く行なわれるようになりました。

    ローマ教会には1311年の暦に始めて記されていますが、
   それ以前からローマでも死者の日の記念日が行われていたと思われます。
           『毎日の読書』より

『今日の集会祈願』

 『恵み豊かな神よ、
 復活された御子キリストに従うわたしたちの信仰を強め、
 死者の復活を待つわたしたちの希望を不動のものとしてください。』

『今日の第一朗読 使徒パウロの言葉』
  
 『わたしは確信しています。
 死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、
 高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、
   わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、
     わたしたちを引き離すことはできないのです。』
       使徒パウロのローマの教会への手紙 8章37-39節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは人々に言われた。
   

 「父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。
  わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。

      わたしが天から降って来たのは、
      自分の意志を行うためではなく、
   わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。

     ※わたしをお遣わしになった方の御心とは、
    わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、
      終わりの日に復活させることである。

        ※わたしの父の御心は、
   子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、
 わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」』
        ヨハネによる福音書 6章37-40節

 
     今日のイエス様は、
     『神はすべての人の救いを望んでおられる。
     そのことを教えるために、私はこの世に神に遣わされたのです。』
              と、人々に話しました。


           神のなさることは、
        すべて、わたしたちの幸せのためです。
       イエスの生活を見ていると、神の御心が明らかです。


     私たちが、
     イエスに従うのは・・・
      ※イエスの教えが素晴しい。 そのためです。
      ※イエス様が神から遣わされた方であるからです。
      ※イエスの言動、イエスのすべてが、私たちの模範となられたからです。
      そして、
      ※イエスはその言動で、神の愛を示してくださった。 そのためです。

    私たち、
    イエスを信じる者、イエスを模範としてついていく者には・・・
      ※『本当の命』があります。
      ※イエスを通して、『神の心』を知る事が出来ました。
      ※神の心を知り、神の愛を知って、『希望ある生活』を送ることが出来ます。    
      ※イエスを通して、『神への信仰』が出来ていきます。


         神は亡くなる人々をお捨てになりません。
           彼らを復活させるのです。
       信仰によって頂いた『永遠の命』はずっと続くのです。
        私たちもいつか亡くなり、神と一緒になるときに、
     神様が私たち一人一人になさったことを知ることが出来るのです。
          すべてわたしたちの幸せのためだと知り、
           心からの感謝出来ますでしょう。
   

      私たちも、神の導きによって、信仰を持つことが出来ますように、
            祈りましょう。

『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
『わたしの父の御心は、子を見て信じる者が永遠の命を得て、終わりの日に復活することである。』 
    ヨハネによる福音書 6章40節   アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様のご両親様は、ご健在ですか?お亡くなりですか?
どちらのお立場のご両親様も、皆様を見守り続けてくださっておりますことでしょう。 お元気で!

コロナ感染者減少・・・『新しい日常』 そして 『諸聖人 祭日』・・・『喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。』

2021-11-01 19:00:00 | 娘と娘家族
11月1日。月曜日。晴れ。

今日の東京の観戦者数9人。
10人をきりました。
本当に嬉しいことです。


           『鮨屋 カウンタ-』
        
     冷やおろし   『加賀鳶』    純米吟醸 石川県産

          鮨屋といえば日本酒です。
        ほぼ一年十一ヶ月ぶりの、外食です。


        ”今日の東京の感染者は9人になったのだから、
        思い切って一歩踏み出してみましょうよ。”
        娘家族の応援の言葉に勇気をもらいまして・・・外食。
        久しぶりの鮨屋さんの感染対策は万全でした。
          
そういえば、今回の東京入りもほぼ2年ぶり。
”十分に対策をしていれば大丈夫ですよ!”
息子家族からの励ましの言葉に勇気をもらいまして・・・新幹線の中。
新幹線の中は、間隔を開け、黙座する乗客でした。


      我が子たちの言葉で、一歩踏み出した私です。


        ほどよく冷えた純米吟醸に、
        長い『コロナ自粛生活』からの解放の幸せを実感します。


            『いわし』   
   


        『3点ポン酢 きも しらこ あんきも』
       

           自宅料理とは一味違うプロの味


         板前さんと私との間にも、家族と私の間にも、
         透明の厚いアクリル板が存在します。
         注文を交わすのみの板さんとの会話に
         これからのウイズコロナ生活が垣間見えます。

    
            『平目」          
  

        『大トロのねぎのせ』
  


        おいしい日本酒もすすみます。

     
        大吟醸 『八海山』    新潟県産


         長いコロナ禍の二年間ほどに、
         私は何を一番に学んだのだろう。
         『シンプル・イズ・ベスト』
         一瞬にして消えてしまうものではなく
         永遠に残るものに心を砕いて、生きていきたい。
         そんなことを学びました。
         
       
         『さしみ 盛り合わせ』
  

         今日は娘夫婦にごちそうになり、
         久しぶりの外食ブログとなりました。
         料理写真の連写を楽しんでみました。
         お粗末様でございました。


            『新しい日常』
      私も、今日から、賢く慎重に、一歩踏み出し始めました。
                      感謝!感謝!


そして。

今日は11月1日。年間第三十一月曜日。『諸聖人 祭日』

『今日の入祭唱』

  『すべての人よ、諸聖人の祝日を祝い、主のうちにあって喜べ。
  神の使いも喜び歌い、救い主イエス・キリストをほめたたえる。』


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは群衆を見て、山に登られた。
    腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。
  
     そこで、イエスは口を開き、教えられた。

  「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
   悲しむ人々は、  幸いである、その人たちは慰められる。
   柔和な人々は、  幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。
   義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。

   憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。
   心の清い人々は、 幸いである、その人たちは神を見る。
   平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。
   義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
   わたしのためにののしられ、迫害され、
身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、
             あなたがたは幸いである。

      喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。」』
           マタイによる福音書 5章1-12節


   今日のイエス様は、
   『自分の足りなさを知って、神の愛に飢え乾く人は幸いである。』
        と教えます。


   イエスの時代。
   物質的に貧しく、生活の困っている人、
   精神的に貧しく、自分の力を発揮する機会の少ない人、
   そんな人々が多かったのです。

   イエスは、
   そういう貧しい人たちに、神が恵みをくださり、彼らの救いを望んでおられる。 
        と、話し、励ましました。


   今の時代も、
   私たちは、自分の小ささ、貧しさを感じます。
   その時こそ、あきらめずに、神を必要とする時なのです。
   自分では出来ないと思っても、神に希望をかける人は、幸いです。
   自分の足りなさを知って、神に飢え乾く人は、幸いです。


      神の助けを求める人、神に信頼する人、
      その人は失望することはありません。
        だから幸いです。
      神の御摂理を信じる人、柔和な人、
      その人はつぶやくことはありません。
        だから幸いです。
      苦しみにあっても神の愛を疑わない人、
      その人は神の愛を疑わないのです。
        だから幸いです。


    私たちも、神に対する信頼が深まるといいですね。
         祈りましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『労苦して重荷を負っている者はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを回復させよう。』
    マタイによる福音書 11章28節   アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
世の中、『新しい日常』が始まりました。
ウイズコロナを当たり前として、日常を楽しみましょう。 お元気で!