まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

無冠の帝王に花束を

2009年03月10日 21時22分00秒 | 日々雑感
評価のひとつに「世界に通用する」というものがある。

スポーツ競技はわかりやすい。

陸上でも水泳でも結果がはっきりと出るので、国内では1位でも

世界大会では入賞できないということもあるわけで

そんな中で外国人選手に混じって健闘すれば、それは「世界に通用する」実力といえるだろう。

だが、スポーツのように記録の出ないものはどのように比べたらいいのだろう。

ミスユニバースなんか見てると、いずれ劣らぬ水準の容姿で

誰が優勝してもおかしくないというか、順位を決めるのは不自然というか。

結局は審査員の好みということになるのではないだろうか。

三ツ星レストランに選ばれたからといったって、それは別に世界に認められたのではなく

フランスのひとつの権威に選ばれただけである。

正直なところ、日本人にフランス料理の味が本質的にはよくわからないように

外国人にも日本の味はわからないのではないだろうか。

こんな乱暴なことを言うのは、とある日本人シェフが書いたものを読んだからだ。

そのシェフは数年フランスで修行していたのだが、まかない料理を任されるとき

夏はあっさりとしたものを作ることが多くなったという。

すると同僚のフランス人たちから「こんなもの食べてたら身体がもたない」と

クレームの嵐だったそうだ。

そこでシェフは悟るのだ。

彼らは子供の頃からおふくろの味といえば生クリームとバターなのである。

夏になるとそれらを受け付けなくなる自分とはバックボーンが違う、と。

だからわたしも思うのだ。

味噌と醤油で育ったわたしは、フランス料理を美味しいと感じても

理屈ではなく身体で理解することはできないだろうと。

それでいいと思うのだ。

どちらの味が繊細だとか、優れているとかそんなことではない。

バックボーンの違い、土地の違いはあって当たり前なのだ。

誰の口にも合う料理なんて、つまらない味に決まっている。

「アカデミー賞」に選ばれることは確かに栄誉かもしれないが

選ばれなくても素晴らしい映画はいっぱいある。

「アカデミー賞」に選ばれることは「世界に認められた」というわけではなく

単にアメリカのひとつの賞に選ばれたというだけのことだ。

選ばれなかったら人々が映画館に殺到することはなく

地味ながらよい作品として細々と上映されたことだろう。

しかし芥川賞や直木賞に選ばれた途端に著書が売れるように

ブランドというか「お墨付き」に弱い人は多い。

わたしは誰もが評価する対象に、まったく興味を覚えない。

例えば地方でしか人気のない歌手とか芸人とかもっといっぱいいてもいいのに

東京で、全国区で評価されなければ意味がないという風潮がどうにも解せないのだ。

テレビで一時脚光を浴びて消費されるより、地方で絶大な人気を誇り続ける人がいてもいいと思うんだけど。

で、その土地に来ないとその人のライブは見られないとかね。

地域活性化なんていうつもりはないが、一極集中ってつまらないことじゃないんだろうか。

もっとも様々なメディアがあり、インターネットが普及しているのだから

今や地方の出来事でさえ、瞬時に世界中に広がってしまうんだけど。

なんでも知れるということは、案外つまらないことだなあ。

世界は広がっているようで、徐々に狭まっているような・・・
コメント
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