まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

身ひとつで行く場所

2012年02月14日 12時52分06秒 | 日々雑感
ホイットニー・ヒューストンが亡くなったと聞いたときに、あまり驚かなかったのは

薬物やアルコールの依存症であることが公表されていたからだ。

わたしの率直な感想は、類まれなる美貌と美声の持ち主の死を悼むよりも先に

「薬は怖い」というものだった。

それと新聞のコラムに書かれていた「6歳年下の夫」うんぬんというくだりに引っかかった。

特筆するような年の差だろうか。

10以上離れていたのなら、まだ分かる。

6歳差。

3歳差なら書かなかっただろうか。

もしも、男性が6歳年上だったのなら絶対に書かれない年の差だ。

なんなんだろう、このコラムを書いた人の感覚は。

まあ、それはどうでもいい。

ホイットニー・ヒューストンといえば「素敵なサムバディ」(邦題)という曲だ。

底抜けに明るいこの曲が、わたしは好きだった。

出勤前に聴いてテンションを上げたりした。

大勢にとっての彼女は「ボディガード」の主演と主題歌の印象が強いと思うのだけど

わたしにとっては、スタイル抜群の彼女が踊りながらハイトーンで歌い上げる「素敵なサムバディ」のほうが思い出深い。

美貌、スタイル、才能、富、人気、名声。

多くの人が望んでも手に入れられないものをすべて手中にしても人生は満たされないのだろうか。

満たされてしまったからこその不安や虚しさなのだろうか。

持たざる者が陳腐な推測をしても、なんの意味もないのだけど。

ひとつ言えるのは、手にしたものはいずれ手放す日が来るということ。

生きているうちか死んでからかは分からないけど。

そして、手放すことは必ずしも不幸ではないんじゃないかと思う。

わたしはまだ、いろいろなものを欲しがったりしているけど。

今はそれでいいと思う。





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