まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

全て同じということも全て違うということもない

2012年09月21日 22時07分35秒 | 日々雑感
映画でもドラマでもバラエティでも「赤裸々な女性の本音」のようなものを宣伝文句にされるとげんなりする。

同性ならではの悩みに女性の共感を得られること間違いなし、とか。

女同士なら分かり合える、という乱暴な幻想も嫌だし共感できたから好感を持つとは限らないじゃないか。

共感=同族嫌悪ということだってある。

大体、他人が自分と同じ悩みを持っていると知ったことで軽減される悩みなんて

ほとんどの場合、大した悩みじゃないだろう。

もちろん、大した悩みかどうかは人それぞれだし、大したことじゃなければ悩んじゃいけないというつもりはない。

わたしも日々、こんなことで悩むのはくだらない、ということをぐじぐじ思い悩んでいる。

しかし、だからこそ、そのくだらなさに他人の共感を得たいとは思わないし

みんな同じことで悩んでいるというような安心感を得たいとも思わない。

しかしまた、こういう女性ならではの赤裸々な本音、のようなものに

共感を覚えて喜ぶ人がいることも事実なので、それはその人の勝手だからわたしがどうこう言うことはできないだろう。

嫌なのは、人と同じことを喜ぶ人の中に、排他的な人が多いことだ。

ちょっと違う意見を言うと、警戒して異端視する。

違う意見=敵意と受け取る。

正しいとか正しくないではなく、こういう考えもあるという議論の余地がない。

「みんな同じ」みたいなもので喜んでばかりいると、違う意見に聞く耳を持てなくなることがある。

知人に、子供のいない夫婦に向かってすぐ「まだ作らないの?」とか「まだできないの?」と聞いてしまう人がいる。

親しい間柄でもデリケートな質問だと思うのだが、そんなに親しくない人にも聞いてしまう。

メディアでは随分と不妊で悩む人のこと、不妊治療の大変さが取り上げられているのに

こういう人は、そういうものを見聞きする機会はないのだろうか。

それとも自分には簡単に子供ができたから、子供ができないなんてことはないと思っているのだろうか。

結婚すれば子供ができるのが当たり前だとか、作るのが当たり前だとかいう考えが

欲しくてもできない夫婦を一層つらくさせるということが分からないのだろうか。

或いは、不妊で悩む人がいることも分かった上で、好奇心と興味本位と優越感から

「まだできないの?」と聞いているのではないかとさえ疑ってしまう。

不妊治療している人の中にも

「特に子供好きというわけではなかったが、他の人に簡単にできたことが自分に出来ないことがショック」という声があり

それは確かにつらいだろうけれど、それで不妊治療に励むのでは目的を見失ってしまうだろう。

子供が欲しいのか、他の人と同じことがしたいのか。

わたしは子供が欲しいと思ってきたが、年齢的にもう無理だろう。

伴侶もなく、安定した収入もない。

外国の女優のように、体外受精を受けて一人で子供を産むという選択肢もあったのだろうが

そこまでの強い決心も欲望もなかった。

結婚はしたくないと思って生きてきたけれど、子供は欲しかった。

しかし、もうどうにもならないことである。

子供の頃から周りの人に出来ることができなかったわたしにとって

周りの人の得ている物が自分に得られないことは、よくあることだ。

みんな違ってみんないい、とかオンリーワン的な考えもまた好きではないのだが

人って、そんな大した生き物じゃないだろうと思うのだ。

周りと違うからって大げさに悩むこともないし、共感できることに過剰に喜ぶこともない。

同じ角が生えてる!ってカブトムシが喜ばないのと一緒だ。

・・・何のことかわからなくなってきた。
コメント
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