まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

伏線脱線

2020年06月19日 23時31分55秒 | 日々雑感
小説やドラマや映画の感想で「見事な伏線回収!」とか「伏線が回収されないままなのでもやもやが残った」などと言われることがあり

確かに、ああここでつながるのか!などと感心することもあるけれど

伏線って、そんなに大事だろうかと思うことがたまにある。

それは、有名ではない昔話を読んだ時。

童話と民話の違いも良く分からないわたしだが、昔話が好きで日本のものも外国のものも読む。

昔話にもお国柄は現れることがあり、寒い国と暑い国では考え方からして違ったりする。

よく知られて有名なお話、グリムとかアンデルセンなどはなぜ有名かと言えば

やっぱり物語としてまとまっていて、人の心も惹きつけて伝承もしやすい内容だからだろう。

貧しくても優しい子が報われたり、賢い子が大金持ちになったりする。

勇気のある人が悪い魔物をやっつけてお姫様と結婚する。

聞いた人も納得できるはなしである。

ところが、最近読んだイタリア民話がことごとく、納得しづらいというか

なんでやねん!とツッコミを入れたくなるような内容で面白いのだ。

全然苦労をせずに、何かを手に入れたり、なんならちょっとずるい方法で幸せになったりしている。

しかも伏線が全く回収されないことも多く、例えば「さらわれたお姫様は農家で暮らすことになりました。そこには5人の娘がいました」

とあるから、5人の娘が意地悪するのかな?

それにしても人数多いな、と思っていると全く5人の娘のエピソードは出てこないうちに

場面はお城にうつり、王子さまに4人の姉がいた、という展開。

4人、多いなと思っていると上の3人は意地悪で末娘だけが優しいという、やっと王道に戻ったか?と思いきや

末娘のおかげで王子と幸せになれたお姫様に末娘が言うのである。

「あなたのためにいろいろしてあげたわたしには、何もないの?」

見返り強め!

優しい娘のまさかの見返り要求に脱力。

なんか、吉本新喜劇を見ているみたいなんである。

もしかして寝る前に子どもにお話をせがまれて、早く眠らせるために

5人の娘とか4人の姉とか適当な数字言ったのかしらん。

なんだかイタリアの適当さと陽気さが感じられて、これを読んでいると

伏線なんかどうでもいいじゃん、面白ければ!という気持ちになるのである。

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