まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

チクチク

2010年02月08日 17時28分50秒 | 日々雑感
久しぶりにミシンを出した。

部屋にいつもあるのだから「出した」と言うのは変なのだが

あえて言いたいほど、このミシンを使うのは大変なのである。

まず、やたらと大きい。

子供の机くらいの大きさがあり、アームを出して板を広げると

わたしが両手を広げたより大きい。

物心ついたときにはあったのだから、少なくとも30年以上前に購入したわけだ。

ジャノメの足踏みミシン。

中学高校と、家庭科の成績は2だったわたしだが(ちなみに家庭科の最低点は1ではなく2である)

卒業して生地屋に勤めると、途端に縫い物に目覚めた。

小学校の頃は「手芸フレンドピチ」を愛読していたくらいだから

元々、嫌いではないのである。

しかし学校で教わったときは興味が持てず、ちんぷんかんぷんだった。

なぜ急に縫い物をする気になったか忘れてしまったが、

熱心に布を選んだり、要尺を尋ねてくるお客さんに触発されたのかもしれない。

分からないことは教えてくれる人もいたが、基本的には本を見て

分からないなりに作った。

エプロン、スカート、テディベア・・・

一番多く作ったのは袋物だ。

裏表の生地を変えたり、マチを付けたり。

しかし、なんといっても思い出に残る力作は友人の子供の学芸会衣装である。

猿蟹合戦の栗役ということで、保育園から渡されたプリントに従い

悪戦苦闘しながら縫い上げたそれは、なかなかの傑作だった。

友人は子供が大きくなってもそれを取っておいてくれた。

その子が入園するとき、入園グッズ一式も頼まれて縫った。

これがまた量が多い上に細かい指定が多く、子育て中の母親に

こんなものを縫う時間があるのだろうかと驚いたほどだ。

コップ入れ、体操着入れ、上履き入れ、ランチョンマット、通園バッグ・・・

もっといろいろあったと思う、

それらすべてが1cm単位で大きさ指定されている。

わたしは縫い物に燃えている時期だったので(しかも暇だし)楽しんで縫ったが

縫い物の嫌いな人にとっては、苦行でしかないだろう。

かつてのわたしにとっての家庭科がそうだったように。

ミシンの糸調子を合わせ、布にアイロンをかけ、製図をしカットし縫い合わせ・・・

慣れてる人には簡単な作業も嫌いな人や不器用な人にとっては

どれだけの時間がかかるか分からない。

そういうものを一手に引き受けてくれるサービスを利用したり、

市販のもので間に合わせてもいいじゃないかと思う。

手間をかけることが愛情とは限らない。

少子化対策だといって、金銭的なことや職場の整備、保育園の増設などが叫ばれるけれど

もちろん、そういうことも関係あるかもしれないけれど

やってもやらなくてもいいような決まりや、足並み揃えなくてはいけない雰囲気が

子供を持つことを躊躇させているということはないのだろうか。

わたしは未婚の上に子供もいないけれど、もしも子供がいたとして

一番嫌なことは、学校と関わらなければいけないことだ。

他のお母さんと仲良くしたり、噂話をしたり、先生の悪口を言ったり

子供がいじめられていないか(いじめていないか)心配したり学校行事に参加したり。

そこにあるのは「群れ」のにおいだ。

楽しい群れもあるのだろうが、群れには大概、不穏な空気がある。

多くの群れにはひずみがあり、誰かの我慢や犠牲の上に成り立っている。

群れに背を向けることもまた、気苦労が絶えない。

そんなことが、あまたある少子化の原因になっているのでは・・・なんて思うのはわたしだけだろうか。