自分のおとしどころを、自分であらかじめ決めている
ちょっと、うなった。まさに、うなった。
そうだよ、そう。まさに、私の場合はこれだ。
この、おとしどころ という言葉を他の言葉に代えてみよう とすると、もっと明らかになる。私の生徒に説明するとしたら・・・
おとしどころ
絶対に違うのが、限界 おとしどころは、限界ではない。
妥協点 と、いうこになるだろうか。一応やらなかった訳ではない。でも、ここまでしかできなかった という 体裁のいいできない理由がきちんと存在するところ・・。
福島正伸 著 [リーダーになる人の たった一つの習慣] を読んで考えた。
別に私は、リーダーになりたいわけではない。
甲子園の花巻東高校の野球部をみていて、このチームの監督さんは生徒たちに、メンタルトレーニングをやっているはず という 私の主張に 息子の友達の野球部キャプテンのお母さんが、この人よ と貸してくれた本。やはり、キャプテンの母はよくご存知だ。キャプテンズ ママがおっしゃるに、同校の監督さんが、福島氏の影響を受けている人?らしい。
昨日から、いろいろとあって・・・
昨日は修了式。次期の授業についての話も個別にはあって・・・。私は、生活のクオリティーを高く設定しなくてはならないようだ。優先順位をつけるだけでは時間はおいつかず、何をやめるかという選択をする必要もありあそうだ。
自分があれほど生徒たちに、信じている と説きながら、自分自身が他の先生たちから 信じていますよ と見られていることに、気がついていなかった。
おとしどころを決めて、行動していたとしかいいようがない。さて。さて。
yes、I can だよ。