昨日は、静岡市の駅ビル・パルシェのイベント広場というか、マクド○ルドの陣地というか(笑)で、テルミンとマトリョミン教室の発表会でして、合計3曲弾いてきました。
正〜直なところ、「・・・発表会?いや、別に人前で弾きたくないしなぁ〜」という感じで、いつもいつも直前まで「・・・逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ・・・ブツブツ」と、碇シンジ君化している私なのですがねぇ。
でも、昨日は違ったっ!!
何故かっていうと、会場向かう途中で、ゆり子さん↑に遭ったからさ〜(爆←猫カフェ・くるるん所属)
ゆり子さんに会うと、何かいい事が起きそうな気がする〜(はぁと)なのですが、昨日なんってまさに、私にとってはうってつけの『幸運の女神っ!!』って雰囲気です。
ゆり子さんは、大人の落ち着いたお姉さまネコのせいか、あんまり他猫よりも高い位置(この位置は、丁度窓の上枠のあたり)にあんまり来ないような気がするんだが・・・(と、思ったら今朝もいたりしたが^_^;)
で、なんか、このゆり子さんは何かに似ている・・・うーむ、と考えた結果、分かった分かった!!
クラムスコイの『忘れえぬ人』だっ!!!
ねー、なんか似てないですか?この雰囲気。
おまけ(?)で、クラムコイさんの肖像画(レーピン画)
という感じで、俄然やる気(?)になって、まずは会場設営のお手伝い。
開店までに大体終了せなばならんので、開店前に特別に搬入口から入れていただきまして、現場関係者ONLYの通路をグルグル通って会場へ。
後は、メカニック関係はムリだが、力仕事なら出来まっせ!!というわけで、お手伝い。
スピーカーとか、いろいろ多いんだよねぇ、テルミンって
で、なんとか無事終了しました。
お聞き下さった皆様、どうもありがとうございます。
参加した同志の皆様、お疲れ様でした。
そして、いろいろお手伝いお手配いただきました先生方、関係者の皆様、どうもありがとうございました〜。
なんだかんだで、思い返すとテルミンをもう7年くらいやってる計算になります。
まー、私はあんまり数字にこだわらない方なので、「何年やってるか?」とかって普段は全然意識してないし、実際のところ改めてよくよく計算してみないと判らん状態なんですがね〜。
まぁ、飽きっぽく浮気性であるところには自信のある(←サイアク)な自分が、よく7年も続いてるなぁ〜と思ったりしますなぁ、ハイ。
終わった後は、お花までいただきました、ありがとうございます。
「花福日記」で、読んだ通り、まずは水の中で切り戻しをしてから花瓶・・・がないので(爆)スープ用保存ポットに。
あ、最近、猫草買ってなかったっ!!(爆)
発表会そのもの、の方は、そのうちに音楽ブログの方に書こうかとは思ってますが。
で、発表会の後はそのまんま、通常のテルミンレッスンに行きまして、レッスンの合間に
静岡市美術館に、新見南吉展を見に行ってきました。
そしたら、別に申しあわせも全然していなかったのに、テルミン発表会に参加したメンバーの内の数名が、それぞれ全く別個に個人的にこの展示会に、発表会後にそれぞれに行っていたのが笑える、っていうかやはり、なんか共通項があるんだなぁ〜と思ったりして。
新見南吉氏は、大正から昭和初期の童話作家で、ごんぎつねとか、手袋を買いに、の作者であります。
絵もちょこっと描いてはいたようだが、本職(?)というか、現在は宮沢賢治と並ぶ童話作家としての位置づけの人です。
美術館っていえば、=絵・彫刻、っていう感じだけど、こういうい「作家」主体の展示っていうのもアリなんだねぇ、面白い。
なので、展示作品はわりと「原稿」というか、文字モノが多かったです。
でも、幼い頃からキチッとした字で、しっかりとした文章を書いてた人なんだなぁ、と思ったり。
家庭的に、母親が幼い頃に死亡して、血のつながらない祖母の家に養子に出されたとか、あーなんか井上靖の「しろばんば」みたい〜っ!!時代も結構カブるなぁ、とかと思ったりしてねぇ。
で、この方の代表作「ごんぎつね」の話は、教科書に載ったりしたので知ってる人が多いと思うけど、実は私はケッコーこの話、苦手でねぇ^_^;
っていうのは、動物が不幸な可哀想な目にあう話って苦手なんですよ、全体的にね。
これが人間だったらべつに平気(爆)
っていうのは、人間だと「可哀想なお話ねぇ〜」と、結構客観的に「お話」「架空」という見方が出来るんだけど、動物だとそれができにくいんですよぉ〜T^T
という感じなのですが、改めて考えてみると、結構ドフトエフスキーなんかとダブるねぇ〜。
なんつうか、人間は不幸・不運から逃れられない業の元に生まれ、それが宿命なのだ、っていうような感じ。
でも、だからこそ、それを知っているからこそ、それを乗り越えた先にある無償の愛、自己犠牲、とかとかの姿勢が輝きを増すのだっ!!というような感じかなぁ?
物語を読み解く4層構造で考えると(一層目は物語・キャラクターとかそのもののみ、二層目は作者の人生・体験等との兼ね合いから物語を見る、三層目は当時の社会・歴史状況から物語との関連を読み解く、4層目は人種時代性別等を超えた哲学宗教学的面から読み解く)でいくと、2層目の、作者自身の生い立ち、生きた境遇とかと物語との関連が強いんだなぁ、と思いましたな〜。
母親からの愛情を十分に得られなかった、健康上の不安があった、体格的に華奢でコンプレックスを抱えていた、そういう裏返しみたいなモノが作品から感じられる、そこが「悲しみの中に光る優しさ、美しさ」につながったんだろうなぁ、と思ったり。
原稿以外にも、彼の作品の挿絵、これが沢山あって、それぞれの作者の感じる新見南吉という人、その作品感と自身の美術感、というのが交わって昇華していく過程が感じられたような気がします。
30歳になる前に、世を去ってしまった彼ですが、ホントその作品は時代を超えて永遠に語り継がれていくんですねぇ〜。
芸術作品を見ると、特にそういう事が感慨深く感じられます・・・
3月31日、アメショー主体の譲渡会があります。
よろしくお願いします。