昨10月1日は話題が多かった:
(1)西武の秋山翔吾の新記録:
正直なところ、私は今年の秋山のシーズン途中までのヒット量産を見るにつけて「この勢いではシーズン最多安打の記録を作るかな」とは思っていた。だが、彼の素質にはヤクルトのトリプル・スリーの記録達成確実の山田哲人ほどには将来性を見出していなかったのだ。私はこの二人が目覚ましく記録を伸ばすのを見て、私の好みである「運動神経型」の選手である事が嬉しかったし納得がいっていた。
そこで秋山と山田を比較すると、両名ともプロ経験の5年目であるが、前者は大卒で後者は高校からのプロ入りである。前者は1988年生まれで後者は1992年生まれである事は同年にプロ入りしたことになる。山田は早くプロに入ったことで早く素質を伸ばしたことになる。相対的に秋山は大学4年間が遠回りだったかも知れないが、山田とともに若く未だ将来があるので、これから先どれほど伸びていくかに興味がある。
私は高校の頃から運動選手を「運動神経型」と「(運動神経が)鈍くても力がある型」と大きく分けてみてきた。その点から見れば、近年のプロ野球には後者が激減し秋山と山田に代表される運動神経型が増えてきたと思う。言い方を変えれば「投球の行き先は球に訊いてくれ」という粗雑な感がある投手と、嘗ての「三振かホームランか」との打者が減ってきたということになる。それだけムラのない素材が揃ってきたとも言えるのではないだろうか。
(2)中畑清DeNA監督が辞意表明:
確かにDeNAは前半の好調から一転して今やセントラル・リーグの最下位である。だが、中畑監督の努力の甲斐あってかティームの興行成績は向上しているとか。プロ野球は商売である以上それで十分ではないかと言えるだろうから、オウナーは中畑に留任を要請したのだろう。中畑の美学はそれを潔しとしなかったのだろうが、私にもその点は理解出来る。
私は野球選手として、あるいは素材としては中畑を低く評価していたし、監督としての手腕は嘗て日本代表の代理監督を務めた際に「不適格」との評価を下していた。しかし、人気取りの上手さは相当なものだと認めていた。その彼をDeNAが見込んで監督に据えたのは解らないでもないが、あのティームの選手たちの現時点での出来上がりを詳しく見れば、誰が監督になっても短期間に強化するのは至難の業だとみていた。
解りやすくいえば、DeNAの野球の質がそれほど緻密さを欠き雑だという意味だ。中畑監督はその点を是正しきれずに終わるのだろう。あるいは、彼はそこを目指していなかったのかも知れない。あるいは興業にも技術面の改善の何れにも徹しきれなかったのだろう。
その点を出来る限り分析すれば、評論家としての野村克也が4番打者・筒香嘉智を評して「彼に野球とは何かと訊いて見ろ。恐らく答えられないだろう」と切って捨てたのが象徴的で、あのティームの野球は粗雑だし深い慮りなしに投手は投球し、打者はバットを振っているだけなのだ。即ち、選手たちはその局面で投げてはならいところに投げ込んだり、振ってはならないというか当たってもヒットになる訳がない投球に手を出しているということ。
恐らく中畑以前の監督を含めた指導者が「野球とは何か」をジックリと教え込んでいなかったのだろうし、私がサッカーの日本代表を批判する際に言う「あそこまで来る高校やJリーグの下部組織で何を仕込まれてきたのか」のように、基礎が固められていないにも拘わらず、プロになってしまったと言う意味の批判である。その欠陥を短期間に是正するのは容易ではないし、オウナーが興行成績を重視していたのならば、中畑に責任はあるまいと思う。
しかも、マスコミは常に中畑の存在をある時は面白おかしく、ある時は熱心な指導者として、またある時は敬虔なる長嶋教信者として採り上げたのもDeNAの興行成績好転には大いなる応援団となったのではないだろうか。プロ野球には「興業」という面がある以上、南部オウナーが留任を望んだのは解るが、中畑は「高度な技術をファンに見せるのがプロ」との信条があって辞任を選択したのかとも考えている。
尤も、これ以上見世物にはなりたくないとの感情も働いたのか。私は中畑監督は新人の山崎康晃をあれほどのクロウザーに育て上げただけでも一つの立派な業績を残したと考えているのだが。
(1)西武の秋山翔吾の新記録:
正直なところ、私は今年の秋山のシーズン途中までのヒット量産を見るにつけて「この勢いではシーズン最多安打の記録を作るかな」とは思っていた。だが、彼の素質にはヤクルトのトリプル・スリーの記録達成確実の山田哲人ほどには将来性を見出していなかったのだ。私はこの二人が目覚ましく記録を伸ばすのを見て、私の好みである「運動神経型」の選手である事が嬉しかったし納得がいっていた。
そこで秋山と山田を比較すると、両名ともプロ経験の5年目であるが、前者は大卒で後者は高校からのプロ入りである。前者は1988年生まれで後者は1992年生まれである事は同年にプロ入りしたことになる。山田は早くプロに入ったことで早く素質を伸ばしたことになる。相対的に秋山は大学4年間が遠回りだったかも知れないが、山田とともに若く未だ将来があるので、これから先どれほど伸びていくかに興味がある。
私は高校の頃から運動選手を「運動神経型」と「(運動神経が)鈍くても力がある型」と大きく分けてみてきた。その点から見れば、近年のプロ野球には後者が激減し秋山と山田に代表される運動神経型が増えてきたと思う。言い方を変えれば「投球の行き先は球に訊いてくれ」という粗雑な感がある投手と、嘗ての「三振かホームランか」との打者が減ってきたということになる。それだけムラのない素材が揃ってきたとも言えるのではないだろうか。
(2)中畑清DeNA監督が辞意表明:
確かにDeNAは前半の好調から一転して今やセントラル・リーグの最下位である。だが、中畑監督の努力の甲斐あってかティームの興行成績は向上しているとか。プロ野球は商売である以上それで十分ではないかと言えるだろうから、オウナーは中畑に留任を要請したのだろう。中畑の美学はそれを潔しとしなかったのだろうが、私にもその点は理解出来る。
私は野球選手として、あるいは素材としては中畑を低く評価していたし、監督としての手腕は嘗て日本代表の代理監督を務めた際に「不適格」との評価を下していた。しかし、人気取りの上手さは相当なものだと認めていた。その彼をDeNAが見込んで監督に据えたのは解らないでもないが、あのティームの選手たちの現時点での出来上がりを詳しく見れば、誰が監督になっても短期間に強化するのは至難の業だとみていた。
解りやすくいえば、DeNAの野球の質がそれほど緻密さを欠き雑だという意味だ。中畑監督はその点を是正しきれずに終わるのだろう。あるいは、彼はそこを目指していなかったのかも知れない。あるいは興業にも技術面の改善の何れにも徹しきれなかったのだろう。
その点を出来る限り分析すれば、評論家としての野村克也が4番打者・筒香嘉智を評して「彼に野球とは何かと訊いて見ろ。恐らく答えられないだろう」と切って捨てたのが象徴的で、あのティームの野球は粗雑だし深い慮りなしに投手は投球し、打者はバットを振っているだけなのだ。即ち、選手たちはその局面で投げてはならいところに投げ込んだり、振ってはならないというか当たってもヒットになる訳がない投球に手を出しているということ。
恐らく中畑以前の監督を含めた指導者が「野球とは何か」をジックリと教え込んでいなかったのだろうし、私がサッカーの日本代表を批判する際に言う「あそこまで来る高校やJリーグの下部組織で何を仕込まれてきたのか」のように、基礎が固められていないにも拘わらず、プロになってしまったと言う意味の批判である。その欠陥を短期間に是正するのは容易ではないし、オウナーが興行成績を重視していたのならば、中畑に責任はあるまいと思う。
しかも、マスコミは常に中畑の存在をある時は面白おかしく、ある時は熱心な指導者として、またある時は敬虔なる長嶋教信者として採り上げたのもDeNAの興行成績好転には大いなる応援団となったのではないだろうか。プロ野球には「興業」という面がある以上、南部オウナーが留任を望んだのは解るが、中畑は「高度な技術をファンに見せるのがプロ」との信条があって辞任を選択したのかとも考えている。
尤も、これ以上見世物にはなりたくないとの感情も働いたのか。私は中畑監督は新人の山崎康晃をあれほどのクロウザーに育て上げただけでも一つの立派な業績を残したと考えているのだが。