新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

10月8日 その2 代官山を訪れた

2015-10-08 17:41:32 | コラム
10ヶ月振りに代官山を訪れてYM氏と懇談した:

恐らく6日の夜に亀戸まで出掛けたのと同じくらいの、回復以来の遠征だったのだろう。暫くぶりにJRの渋谷駅南口を出て東急のコミュニティバス(正式名称は失念)で代官山駅前まで出掛けて行った。長らく新宿の片田舎でKoreatownの近くに閉じ籠もっていた身には、高級な渋谷で洒落た服装の人や英語を話している白い外国人を見ると何となく眩しい気がして落ち着かなかった。バスの中で20分弱の間浦島太郎気分を味わった。

YM氏と語り合うのも矢張り今年初。昼食は少しでも減塩に近いものをと代官山のピーコックと同じ地下にある美登里寿司本店の出店のカウンタを選択。¥800のちらし寿司にしたが、流石に美登里寿司でYM氏とともに「これならば築地の場外に行くまでもあるまい」と意見一致。我々の隣には英語を話す若い外国人が座ってメニューの写真を指さして鉄火丼を注文していた。

それから毎度のことで蔦屋とスターバックスの「コラボ」である高級喫茶店、Anjinで¥800のコーヒーを頼んで約3時間語り合った。10ヶ月振りでは話題は尽きなかったが、一般的な(personalではないという意味。privateは日本語であって、そんな風に英語では言わない)話題はアメリカの景気論だったと思うので、そこだけ触れてみたい。

彼はマスコミが伝え、識者が言うほどアメリカの景気は上昇してはいないと思うと述べた。それは景気回復していないという意味ではなく、確かに失業率も低下してはいるが、景気回復とともに所謂「格差」それも所得の格差が著しく広がってきたのは問題だと言う。即ち、低所得者層を構成する合法と非合法の移民が増えているしその連中が子供を産むから、アメリか全体の人口が増える傾向にある。だが、その連中に見合うだけの”job”というか雇用は増えていないのが問題だと指摘。

それは、依然としてリストラを続ける企業が減少している訳ではなく、中間層が失職する傾向が出ている点に難しさがある由だ。彼が言う中間層とは年収にして6万ドルから15万ドルの層で失業者が増えていると考えて良いと言う意味だ。6万ドルは$1=¥120で換算すれば¥720万円で決して低額ではないが、私の在職中でも中間層が5~6万ドルは普通だったと記憶するので、2015年の現在では低いと言わざるを得ないと思う。

しかも、その中間層が現在では容易に次ぎの仕事が見つからず、我が国で言う派遣であるとか契約社員で食いつながざるを得ないのだが、それでも失業率は低下する計算になるのだと言う。しかも、移民群での人口が増える傾向にあるから、その連中を優遇する民主党政権に人気があるのはある意味で尤もなことであるとも言えることになる由。同感である。

所得の格差が広がり、低所得者が増えれば住宅産業も期待通りに栄えず、アメリカのGDPの70%を占める個人消費も伸びていかない結果になってくると言うのが、YM氏のアメリカ景気論だった。私は長い間現実の世界から遠離っているので、興味を持って聞いていた次第。色々と語り合っていると11時半に出会ってから既に3時間半も経過していたので、再会を約して新大久保駅前まで全行程をシルバーパスを利用出来るバスを乗り継いで帰ってきた。経費節約である。


私の商社論

2015-10-08 07:56:10 | コラム
商社の機能:

先ずは情報能力から。その前に私は新卒で採用して頂いた会社が戦前の旧三井物産の流れの中にあったので、そこでの17年を加えれば商社との関係は1955年から2000年までの45年にも及ぶことになる。私のアメリカの会社での22年半の間に、この最初の会社で学んだ(文字通りの学習で試験まであった)紙パルプ学と商社員としての心得から文章の書き方までは多いに役に立ったのである。

ここで新入社員の私を教育して下さった一橋大学出身の最初の上司からは「外部の人から情報を入手する時の心得」を次のように教えられた。「情報などというものは相手が何気なく洩らした一言の中に我々にとっては飛び上がるほど貴重なものが秘められていることが往々にしてあるものだ。それと思ったら何としてもその場を切り上げて帰ってきて報告しろ。それに価値があるか否かは私が判断するから」だった。要するに「自分だけのものにせず上司と共有せよ」なのだった。

そこから1972年に製造業という、非常にと言うべきか全くとすべきか、文化も哲学も異なる分野で、しかもアメリカの会社に転出していったのだった。そこで私が最も重要だとして築き上げることに努力したのが「自分だけの情報網」だった。即ち、「この関連だったならば、何処の誰に尋ねれば、取材すれば正確な情報が取れるか」という、つきあいを広範囲に広げていくことだった。言葉を換えれば「各方面に顔を売っておくこと」である。

私の信念は「新聞であるとか書き物になった情報は言わば周知の事実であり、それらを承知しているか否かには余り意義はない。情報とは言うなれば自分で歩き回って顔を活かして、入手した話を自分なりに咀嚼してあらためて発信すべきものである」であって、「第三者からの伝聞を伝えて事足れりとすべきではない」なのである。極論を言えば、私は故に日経新聞は自分から積極的に読んだことはなかった。必要があれば会社にあるのだから。

私は時に自分を「前田探偵局」と戯称したこともあったように、自分の情報網から出来るだけ広範囲にニュースから”intelligence”の部類に入る情報を収集し、それを自分流に再構築して本部と上司と関係者以外に然るべき相手に発信して、それに対する見返りの情報を収集することも屡々やっていた。そこでの大原則は「肉を切らせて骨を切る」であり「骨を切らせなければ見返りの重要な情報など取れない」であった。

これはある程度以上情報源に手持ちの札をさらすことだが、そこまでやらないと相手は気を許さないものだ。探偵局としては「市況という名の噂話」の交換もするが「与論という名のマスコミ情報」は相手にしていなかった。しかし、商社の情報能力と機能は十分に評価していたので、彼らと積極的に交流した。それは、彼らの情報を基にして、それを自分で肉付けしていきたいからである。

長々と手前味噌を並べ立てたが、ここまでで私が商社の情報能力をどのように評価していたかをお察し頂けると思うのだが。我々製造業にある者は商社を始めとする流通機構の中にいる人たちの関心事である「市況」や「人事」や「倒産」等の他に、「設備投資」であるとか「新製品」であるとか「他社のコスト」であるとかいう類いの”intelligence”が必要なのである。そこには屡々専門語や技術的な知識が無いと手に入らない情報があるのだ。

繰り返しになるが、情報というものは自分で入手したか、相手が世間話の中で自発的に提供してくれた要素の中から、飽くまでも自分の力で分析して再構築して発信すべきもので、一般紙や業界紙のニュースの再構築などであってはならないものだと思っている。私の知る範囲内でそのような情報源を綿密に分析して英語にして発信していた人がいた。その情報能力は高く評価されていたが、何時かはその手法がばれて信用を落とした例もあった。

要するに商社の情報能力と情報量は積極的に活用すべきだが、それは自分の情報源の一部としておくべきではないかと言っているのだ。そこに自力で集めた情報を加えて分析し解析して初めて「自分の情報」になるのであり、それ故に「探偵局」を信頼して情報を提供して下さる方が増えていったのだった。お断りして置くが、私自身から「探偵局」を名乗ったことはなかった。半ば揶揄して言われたので、敢えてここに採り上げた次第だ。

念のために申し上げて置くと、私は商社の人たちは優秀だと認めていたが、彼らに我々製造業界にある者のような技術的専門知識を求めておらず、また期待もしていなかった。故に、何か品質的な問題が起きれば我々がその面を補っていき、彼らは我々の手の届かない、例えばアメリか以外の海外等の分野から何らかの新規の情報やニュースをもたらしてくれる貴重な存在だと認識して親しくしてきたのだった。

嘗ては「商社金融」などと称して商社の金融能力やその分野での機能を重視するか重宝に使っていた時期もあった。また商社を信用限度が低い最終需要家相手の商内のリスクヘッジに使う傾向もあった。また、販路拡張のための手足の如くに依存するメーカーもあった。全て商社の機能だが、私は情報能力を上記のように評価して相互に補完し合って活用してきた。言うまでもないが、私も商社に情報を提供してきたのだ。