新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

10月14日 その3 善悪・正邪

2015-10-14 16:51:36 | コラム
翁長沖縄県知事は邪な存在だ:

簡単に言えば、この知事の振る舞いは全く腹立たしくて不愉快だ。中国か北朝鮮であれば国家反逆罪(そんな罪があるかどうか知らないが)に問われて粛清されるかも知れないほど、時の政権に逆らっている。私には彼は明らかに某国の邪な意を受けていないまでも、その歓心を買うべく敢然と安倍内閣に逆らっているのではないかと疑っている。

彼は辺野古移設反対を打ち出して知事に当選したのであるから「民意を代表している」とは言うが、百田尚樹ではないが沖縄県の民意は地元の二紙の論調に大いに影響を受けているのではないのだろうか。私はあの知事は辺野古移設は以前の自民党政権の際に苦労して到達した結論であるとか、同盟国アメリカのとの約束事である事も十分に承知の上で「民意を背負って戦っている」のだと真剣に疑っている。

即ち、善悪・正邪の観点から見れば、彼は沖縄県民のために、我が国に存在する米軍基地のほぼ全てを背負っている沖縄県のために「善」である事を成し遂げようと企てている確信犯だと思って見ている。だが、遺憾ながら彼の企ては我が国自身にとっても、日米の同盟関係にとっても「正」ではないのであって明らかに「邪」と「悪」ではないのか。彼の脳裏には「国益」など存在しないのではないのか。

私は安倍内閣はこれ以上彼のやりたい放題を許すべきではないと思うし、海外に出ては恥を曝し続けた鳩山元総理のパスポートを召し上げたらとの声いつだったかあったと同様に、翁長知事をこれ以上海外に出ることを許して、我が国の内部事情を諸外国に自発的に示させないようにすべきではないかとすら考えている。尤も、それ以前に辞任させるべきだが。

10月14日 その2 衣替え

2015-10-14 10:22:41 | コラム
“Façonnable”のジーンズが出てきた:

かなり遅くなったが、10月も半ばとなって漸く衣替えに着手した。とは言っても、当方は家内がしまっておいた秋冬物を取り出す作業を見守っていて、これから先に着るか廃棄するかを決めるだけの役割だった。何故廃棄するかと言えば、今年前半の大病の結果で体重が減り胴回りが極度に細ったので、ほとんどのズボンがぶかぶかで直しも効かないだろう状態なので、何とか履けそうなものと着られそうなジャケットを選ばねばならなかったのだ。

2006年1月の第一回目の心筋梗塞から退院出来た2月からは62 kgあった体重を6ヶ月かけて54 kgまで食事療法で落としたものが、昨年末には56 kgまで戻っており、それが8月下旬には45 kgと痩せ細っていたのだった。しかも、体調がどうやら安定した現在でも体重の所謂「リバウンド」はなく、本14日朝の測定では48.5 kgだったほどだ。

この状態では最早ほとんど着る機会はないだろうと思っている長年買い集めたスーツ類で体系に合っているものがなくなったし、シャツも同様だ。そこで普段着のズボンとジャケットだけを何としても見つけ出そうとするのが衣替えの趣旨だった。結果として、何とか着られそうなジャケットが4~5着と、ズボンは3~4本だった。それだけあれば贅沢ではないかと言われそうだが、この中には何か正式な会合の席でもあれば着用に及べそうなものはないのだ。

その合格だったズボンの中に「未だとってあったのか」と言いたいような1987年にシアトルの有名なデパートの”Nordstrom”で買った当時は大いに流行っていたフランスのcasualなブランド”Façonnable”のジーンズが出てきたのだった。私は体系からしてもお洒落の観点からしてもジーンズは買わない主義だった。簡単に言えば「似合うまい」と危惧していたのだが。

だが、この年は余りに頻繁に日米間を往復するだけではなく、アメリカ国内も飛び回っていたので濃紺のブレザーの下に履く週末用のフラノのズボンが皺クチャになってしまったので、その代替に何の心配もなく履いていられるジーンズを選択したのだった。ところが案に相違せず余りにジーンズが似合わないと鏡が教えてくれたので、その出張以降は蔵入りとなっていたのだ。因みに、プライド高き畏友YM氏はジーンズ類は一切排除している。

”Façonnable”は1980年代末期には我が国でもお洒落な人たちの間では結構流行っていた記憶があるが、昨今は余り見かけなくなってしまった。その点では街中でアメリカの”Tommy Hilfiger”を着ている若者を見かけないような気がする。因みに、”Façonnable”は「ファソナーブル」と読むようだ。

と言うような具合で、これから先に襲ってくる冬の季節に何とか着用出来そうな衣類が普段着用には揃ったので、敢えて衣類に新たな投資をしないで済む見通しが立ったのは大いに結構だった。今思い出しても、今年になってスーツにネクタイという装いだったことがない。しかし、今週中には黒のスーツの上下に黒のネクタイが必要なことがある。実は、私は所謂「喪服」となるスーツを買ったことがないのだ。


ラグビー日本代表が凱旋した

2015-10-14 07:07:53 | コラム
空港での記者会見に思う:

今やラグビー代表の動きは社会現象にまでなってしまったかの感がある。確か日テレのニュースで中継放映を見ていたが、キャスターが「あの椅子では選手たちの大きさでは座れないのでは」との疑問を呈した気配り?には恐れ入った。日テレは忠実にUKでの試合を中継して筈だから、そこまで言うのも尤もかなと思って聞いていた。サッカーにもそれくらいの気を遣ってくれよと言いたかった。(僻みか?)

あの会見を見ていて思い出したが、我がサッカー代表も岡田監督の時にあれと同じような記者会見があり、監督が今野が言いたいことがあると言って指名し、今野が良く解らないTulioの「集まれー」というCMを真似て見せて、選手たちだけに受けたことがあった。言いたいことは、マスコミなのか協会なのか知らないが、サッカーにもチャンと予選リーグ突破の後では記者会見があったという点だ。それだけのことで、それなりの公平さがあったと思う。

あの会見で初めて気付いたことは、あの31人だったかの代表選手たちが29歳前後の者が過半数で22歳前後は一割程度だったという事実。即ち、元外国人選手も含めて彼らは年齢的にも十分に成熟し、国内外での経験も十分に積んでおり、ジョーンズヘッドコーチも良い人材に恵まれて存分に指導出来たからこそ、あそこまでの実績を残せたのだと、私なりに納得していた。山田等はつい最近大学を出た選手だと思っていたが、最早30歳だったとは驚かされた。

ということは、巷間と言うべきかマスコミがと言うべきか知らないが、2019年に我が国で開催されるW杯までには現在の22歳前後の者を中心にして、現代表級の実力者を(もし可能ならば)日本人の候補者の中から鍛え上げて30数名を揃えねばならないということ。ジョーンズ氏が今年までの4年契約だったのか、自発的辞任かなどは知る由もないが、彼は引き時を誤っていないのだと思わせてくれた。

即ち、後任はこれまでになかった大いなる期待を背負って、予選突破以上の成績を挙げるような鍛え方をしていかねばならないのだから大変な責任を持たされることになるのではないのか。それは何故か彼らが「ハードワーク」(”work hard”の誤りのような気がしてならないが)と呼んだジョーンズ式練習以上のことを課すか、更に一層の何か革新的な科学的な要素も加えるかといったような工夫が必要になりはしないかと思ってしまう。

換言すれば、偉大な前任者の後を継ぐのは何時の世でも、どのような世界でも大変なことになってしまうので、責任が余りにも大城というか過剰になるのではという意味だ。名乗りを上げていると報じられている清宮ヤマハ監督は、そこまでにの覚悟をしているのかと思ってしまう。