新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

10月21日 その2 三井不動産レジデンシャルが巻き起こした騒動

2015-10-21 19:33:20 | コラム
旭化成の責任を追及する案件ではないと思う:

先ずはRI氏を介してこの問題に見解をお聞かせ下さった業界人のYIさんに御礼申し上げたい。有難う御座いました。私はIさんが

<三井不動産レジデンシャルは名前の通り不動産やさんだと理解しています。単に右から左へ動かす『商社』ではなくたとえば駅近のこのあたりにこういう土地があるのでこういう建物を建てれば こういう数字になり…と『付加価値』を大いに付け それを『開発』と表現してもいいのかなと理解しています。>

と指摘された辺りが重要だと解釈しております。私は確か三井不動産レジデンシャルのような会社は自社では何も造り出す機能を備えていない言わば「商社のような存在」と言った気がします。その辺りを解説して下さったことに感謝します。したり顔で(と言っても顔を見たわけではない)報道するマスコミは建設業界の伝統的な仕組みは承知しているはずなのに、如何にも初耳のように報じる。そこが気に入らないのです。

ここで私が思い出すことはアメリカで民主党のクリントン政権が発足した頃に、連邦政府が何を思ったのか「世界最高の品質を誇るアメリカの紙を輸入せずパルプやチップ等の原料しか買わない日本は怪しからん」と激しく且つ厳しい圧力をかけて来た事実でした。そして事情を知らないくせに「複雑な流通機構が輸入紙の促進を阻んでいる」とこれまた不勉強と無知の塊のような批判を展開しました。

建設業界の仕組みや紙流通機構の江戸時代からのありようなどを、一般の消費者が知らなくても何の不思議もないでしょう。しかし、私が見ている限りでは、このままに推移すればマスコミは世間一般に「建設業界の元請けに始まって孫請けから曾孫請け等に至る仕組み」の批判を始めはしないかと秘かに危惧し始めました。問題はその仕組みにあるのではなく、どのように歴史的にも運用されてきたかでしょう。圏外からの批判は無用でしょう。

紙の流通機構の解説をするのは本稿の主旨ではありませんが、ざっとそのあらましを。紙の流通機構には現在は整理統合が進んで昔の名前は消えた、その昔の電信略号が「元禄」だった代理店(=一次販売店)があったほどの江戸時代からの歴史がある店が多いのです。それが販売店の大きさと需要先の規模と購入量に対応すべく都内は愚か各都道府県に二次、三次、時には四次さらには個人商店のような卸商から小売店までありました。

メーカーとその各社の販売を代行する代理店も相手先の規模と購入量に従って販売していくのです。即ち、大きな規模と人員を要する販売店が細分化された大都市や地方の需要に対応する仕組みでした。言い忘れましたが、需要家というか最終の「エンドユーザー」(アメリカの会社に変わって知ったのですが、これは英語でした)は各次元の販売店の先におられます。即ち、個人営業のようなごく小規模の印刷業者に代理店や一次販売店は売らないように昔からシステム(カタカナ語でした!)が出来上がっていたのです。

ここまででお察し頂きたいのですが、私は建設業界でもこのような一次から始まっている複雑と言うよりも二重三重になっている機構と似たような段階的に分業になっている構造があり、その仕組みの中で長い年月にわたって事が進んできたのかと思っております。その有り様を事情を知っていながら(その業界を担当する記者ならば当然承知しているべきでは)、もしもそのあり方を云々するとしたら、それはアメリカ政府の無知と似たような誤りでしょう。

事はあの危うい建築になってしまった集合住宅の問題を如何にして可及的に素早く、且つ居住者にとって最も経済的に解決するかの方法というか手段を考え出すべきであって、責任の所在や不正な杭打ちの犯人を洗い出すことや責任ある会社の首脳陣が謝罪するかではないはずだと、私は考えております。

あの頃の紙流通機構への批判に対しては、私は公式にも非公式にも、業界内でご依頼を受けた講演会でも「事情を知らない者を雇って売り込みをかけて失敗したからと言って流通機構の複雑さのせいにするのは全く不当。潔く機構への道案内人の選択を誤った手落ちを認めよ。極論すれば、アメリカの内側にいた私が言うことを信じなさい。彼らは黒船でも何でもないと、乗組員だった私が保証する」だったのです。

結びとしては「建設業界がどのように組み立てられているかをこれほどまでに明らかにして案件はなかっただろう。今はその良し悪しを問題にする時期ではなく、如何に可及的速やかにこの世間の注目を浴びるに至ったこの案件を解決していくかに集中するべきでは」辺りになるかと思うのです。


旭化成の首脳部の記者会見

2015-10-21 08:52:01 | コラム
旭化成は謝罪に不馴れだった:

昨日は方々のテレビ局が繰り返し旭化成首脳部の杭打ち問題についての謝罪記者会見を流していたので、見るともなく見てしまった。この会社とは在職中にも余りご縁がなかったのでどの程度の規模の会社かを調べたこともなかったが、本社が何処の何と言うビルに入っているかくらいは承知していた。Wikipediaによれば、14年3月期の売上高が1兆8,977億円、従業員が29,127人とあった。正直なところもう少し大きな会社かと思っていた。不勉強だった。

記者会見である。並んだ社長以下4人は如何にもこのような場に不馴れかと見えた。主に3人しか発言しなかったが率直に言って「謝罪」という誠意がこもっておらず、原因と結果についての表現も曖昧なのには少し呆れていた。あれでは「居住者の皆様」の心には響かなかっただろうと思わずにはいられなかった。同情的に考えて、事の重大さを認識する余りに、如何に対処して良いかが解らずあのような態度になったのかとも見えたが。

だが、私が見る最大の問題点は会見に臨む準備不足だった。即ち、担当副社長は問題の原因や他に3,000件もあると報道されている件の詳細を問われるや「目下調査中」であるとか「担当はこう言い続けております」と、まるで他人事のように答えた点。「調査中だったら出てくるな」とその場でもしも居住者に攻められたら(責められたら?)どう対応する気だったのか。不誠実の誹りは免れまいし、答えた姿勢にも真剣さがなかったと見えた。

言葉を換えれば、この会社は幸か不幸かこれまでに大きな過失がなく謝り馴れていなかったのか、あるいは頭が高い社風の会社なのかの何れかと思った。より厳しい見方をお許し願えば「巷間囁かれている(あるいは私だけが唱えている?)一般論としての『経営者の劣化』の表れかも知れないとさえ感じさせられた不出来な会見だった。

自慢にも何もならないが、当方は或る大手の得意先の工場の課長さんに「貴方ほど誠意を込めて真剣に謝る人を見たことがない。我が社のサービスマンたちに見習わせたいもの」と褒められたのか、我が社の製品がそれほど頻繁に事故を起こして本部の事故処理担当のマネージャーと謝罪に回っていたことを皮肉られたのか、瞬間的には判断出来なかったことがあった。

自分が造った不良品でもないのに、毎度頭を下げに回るのは面白いはずがない。故に当初は、不馴れな間は、通り一遍のことを言って嫌々ながら頭を下げていた。しかし、それでは通じないことが解るまでにはそう長い時間を要しなかった。そこで、本部のマネージャーにも「謝罪の文化とは」を説き聞かせ、自分でも懸命に精神修養に努めた。結果として「最高の謝り役」の称号を期せずして賜ったのだった。これが名誉か?

旭化成の首脳部は謝罪の文化を十分に把握しておられないのか、「『済みませんでした」と頭を下げていれば、何時かは嵐は頭の上を通り過ぎていくから、それまでの辛抱、辛抱」とでも認識しているのではあるまいな。実は、かく申し私も謝罪に不馴れな間はこの「嵐が過ぎるのを待つ」派だった。だが、上記のようにそれでは通用しないと学習させられたのだった。

今回の案件は旭化成が全額補償を言ったところで解決など出来ないほど複雑で難儀な要素を沢山抱えている。即ち、旭化成一社がどう謝るかなどはそのごく一部に過ぎないと思う。だが、出発点としてのあの記者会見は先行きに良い影響は与えないと危惧するに十分な(不)出来だった。