高校の全国大会の弊害を考える:
このところ、kazkさんと有意義なサッカー論を交わす機会を得て大いに感謝している。昨日kazkさんから
引用開始
>U23はどう考えるべきか?勝ちを優先すべきか、それとも育成を重視すべきか、それを決めることが問題の根本的な解決の前提でしょう。ロンドン五輪の代表チームのFWのうち誰がいまA代表にいますか?やはり五輪用のサッカーの適性者を集めてるんだろうというのは否めないなあとしかいえません。本来はスペイン代表のようにどの年代でも同じコンセプトが理想なんでしょうが、それは不可能でしょう。
>引用開始
という極めて鋭く且つ誠に尤もなご意見を寄せられた。私が鋭いという根拠は「オリンピック用に纏めた言わば小成に甘んじた選手を作ってしまった」というところにある。だから、フル代表に選ばれないような者が育ってしまったと言いたいのだ。この点では昨日例に挙げた日大の付属高の中で日吉の日大高校の監督だった故清水之男氏は親たちに「私は高校の全国大会だけに勝てるような次元の小さくまとまった選手は育てない。だが、将来日大フェニックスのレギュラーになれるような篠竹(清水氏の大学の一期上の方だった)の役に立つ素材を育成するので、全国優勝は視野にない」と断言された。
この清水氏の方針は私は全くその通りだと思っている。フットボールでも、野球でも、ラグビーでも何でもこれまでに全国大会(野球ならば甲子園)で優勝した高校からどれほどその後に全日本級か、海外で通用する選手が育ったかを考えてみれば解ることだ。甲子園の名選手でNPBでもアメリカに行ってMLBで成功するまで育った者が何人いたか、サッカーでは具体的な高校名を出せば帝京高校や国見高校からフル代表に上がってきた者の名前を何人挙げられるかということだ。
ラグビーも採り上げたが、目下七連覇を達成している帝京大学の選手たちの出身高校を見れば皆揃って名門校ばかりで、ここでは私の主張というか理論が通用しない感がある。だが、ラグビーで先頃のW杯での大成功以前に(というか五郎丸君以前に)海外にこれまでに何名行っていたかも考えて欲しいと言うだけに止めておく。と言うか逃げておきたい。と言うのはラグビーは当方の守備範囲内にはないという言い訳だ。
実は、高校で同級だった前高野連会長の脇村春夫君には就任を祝って藤沢で開催したクラス会の際に書面で「甲子園大会を止めよ」と進言して呆れ返らせたことだってあった。本気でそう考えているから進言したのであって譲らない。甲子園野球有害論は今を去ること35年ほど前から言い出したことで、昨日今日思い付いたものではない。得意?の英語にすればあれは”I have not grabbed it out from the air.”とでもなるだろう。朝日と毎日両新聞の前世紀の遺物的な販売促進の手法であり、高野連加盟校が4,000もあるのでは、そのあり方を再検討すべき時期はとっくに過ぎている。高校サッカーも同じ欠陥を抱えている点は既に述べた。
別な見方をすれば、中学や高校で子供たちを指導される監督・コーチ部長先生がその学校の部乃至は子供たちの将来をどの辺りにおいて育てていくかである。しかも、中学と高校で3年間に区切って指導すれば子供たちは迷うことは明らかではないか。フットボールの場合は中学で曲がった育てられ方をする危険度が極めて低いので、高校から始めたり、大学で他の競技から転向してきても、素材と指導法如何では立派な選手に育つのだ。
これら以外にもう一つ加えておきたい我が国の運動部の在り方の問題点がある。それは体育会制度とでも言えば良いのだろうが、一旦ある運動部に入るとそれ以外の種目をある程度以上習得することは現実的には無理である点だ。「またアメリカか」と言われることを承知で言うが、アメリカでは野球、フットボール、バスケットボールの三大スポーツがそのシーズン制の順番に従って学校教育で教えられるのだ。そして、三種目何れにも優れた選手たちは大学を出る時点で「どれでプロになるべきか」を選択するほど、言わば万能選手に育っているのだ。これ以上の詳説は避けるが、我が国では一寸考えにくい事態ではないか。
ここでkazkさんとの意見交換に戻すが、私はkazkさんのサッカーに関する並々ならに見識の深さと観察眼と造詣に感心している。しかし、あれほどご存じではあるが、もしかするとサッカー経験者ではないのかと思ってしまうほど客観的なのだ。私は何歳になっても、自分でやらなくなっても「あの場合に自分だったらどうするか」という見方から脱却出来ずにいた。冷静なる評論家になれたのは72歳で心筋梗塞に襲われた後のことだったと自覚している。だが、kazkさんのような方と意見交換が出来たことは望外の幸せだと認識し感謝申し上げている。
このところ、kazkさんと有意義なサッカー論を交わす機会を得て大いに感謝している。昨日kazkさんから
引用開始
>U23はどう考えるべきか?勝ちを優先すべきか、それとも育成を重視すべきか、それを決めることが問題の根本的な解決の前提でしょう。ロンドン五輪の代表チームのFWのうち誰がいまA代表にいますか?やはり五輪用のサッカーの適性者を集めてるんだろうというのは否めないなあとしかいえません。本来はスペイン代表のようにどの年代でも同じコンセプトが理想なんでしょうが、それは不可能でしょう。
>引用開始
という極めて鋭く且つ誠に尤もなご意見を寄せられた。私が鋭いという根拠は「オリンピック用に纏めた言わば小成に甘んじた選手を作ってしまった」というところにある。だから、フル代表に選ばれないような者が育ってしまったと言いたいのだ。この点では昨日例に挙げた日大の付属高の中で日吉の日大高校の監督だった故清水之男氏は親たちに「私は高校の全国大会だけに勝てるような次元の小さくまとまった選手は育てない。だが、将来日大フェニックスのレギュラーになれるような篠竹(清水氏の大学の一期上の方だった)の役に立つ素材を育成するので、全国優勝は視野にない」と断言された。
この清水氏の方針は私は全くその通りだと思っている。フットボールでも、野球でも、ラグビーでも何でもこれまでに全国大会(野球ならば甲子園)で優勝した高校からどれほどその後に全日本級か、海外で通用する選手が育ったかを考えてみれば解ることだ。甲子園の名選手でNPBでもアメリカに行ってMLBで成功するまで育った者が何人いたか、サッカーでは具体的な高校名を出せば帝京高校や国見高校からフル代表に上がってきた者の名前を何人挙げられるかということだ。
ラグビーも採り上げたが、目下七連覇を達成している帝京大学の選手たちの出身高校を見れば皆揃って名門校ばかりで、ここでは私の主張というか理論が通用しない感がある。だが、ラグビーで先頃のW杯での大成功以前に(というか五郎丸君以前に)海外にこれまでに何名行っていたかも考えて欲しいと言うだけに止めておく。と言うか逃げておきたい。と言うのはラグビーは当方の守備範囲内にはないという言い訳だ。
実は、高校で同級だった前高野連会長の脇村春夫君には就任を祝って藤沢で開催したクラス会の際に書面で「甲子園大会を止めよ」と進言して呆れ返らせたことだってあった。本気でそう考えているから進言したのであって譲らない。甲子園野球有害論は今を去ること35年ほど前から言い出したことで、昨日今日思い付いたものではない。得意?の英語にすればあれは”I have not grabbed it out from the air.”とでもなるだろう。朝日と毎日両新聞の前世紀の遺物的な販売促進の手法であり、高野連加盟校が4,000もあるのでは、そのあり方を再検討すべき時期はとっくに過ぎている。高校サッカーも同じ欠陥を抱えている点は既に述べた。
別な見方をすれば、中学や高校で子供たちを指導される監督・コーチ部長先生がその学校の部乃至は子供たちの将来をどの辺りにおいて育てていくかである。しかも、中学と高校で3年間に区切って指導すれば子供たちは迷うことは明らかではないか。フットボールの場合は中学で曲がった育てられ方をする危険度が極めて低いので、高校から始めたり、大学で他の競技から転向してきても、素材と指導法如何では立派な選手に育つのだ。
これら以外にもう一つ加えておきたい我が国の運動部の在り方の問題点がある。それは体育会制度とでも言えば良いのだろうが、一旦ある運動部に入るとそれ以外の種目をある程度以上習得することは現実的には無理である点だ。「またアメリカか」と言われることを承知で言うが、アメリカでは野球、フットボール、バスケットボールの三大スポーツがそのシーズン制の順番に従って学校教育で教えられるのだ。そして、三種目何れにも優れた選手たちは大学を出る時点で「どれでプロになるべきか」を選択するほど、言わば万能選手に育っているのだ。これ以上の詳説は避けるが、我が国では一寸考えにくい事態ではないか。
ここでkazkさんとの意見交換に戻すが、私はkazkさんのサッカーに関する並々ならに見識の深さと観察眼と造詣に感心している。しかし、あれほどご存じではあるが、もしかするとサッカー経験者ではないのかと思ってしまうほど客観的なのだ。私は何歳になっても、自分でやらなくなっても「あの場合に自分だったらどうするか」という見方から脱却出来ずにいた。冷静なる評論家になれたのは72歳で心筋梗塞に襲われた後のことだったと自覚している。だが、kazkさんのような方と意見交換が出来たことは望外の幸せだと認識し感謝申し上げている。