新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

サッカーの背番号10の不思議

2016-02-26 13:43:04 | コラム
背番号10が何故栄光なのだろう:

この度女子サッカーの日本代表の20人が発表され、栄光の背番号”#10”を澤穂希から大儀見優季が受け継ぐことになったと報じられた。本田圭佑がロシアリーグからACミランに移籍した際にも、#10を要求したことも大きな話題となって採り上げられた。兎に角、マスコミ報道では10番が一つのテイームであれ一国の代表であれ、最高の選手が担う栄光の背番号と規定されているようだ。

昭和20年(1945年)に旧制中学に入って蹴球部に喜び勇んで入部し、当時は当たり前のことだが“WMフォーメーション”の蹴球を習い覚えた私にとっては、10番は単にFW5人の中の左のインナー(LI)を意味するだけのもので、何ら特別な意味などなかった。今やその“WMフォーメーション”などと言っても「あのことか」と解ってくれる若者が一人でもいるだろうかという時代になってしまって、30番台などと言う番号を付けている者がいることすら珍しくない時代になってしまった。

念のために敢えて解説しておけば、その昔はGKの前にフルバック(FB)が2名いて、その前にハーフバック(HB)が3人で主に守りを担当し、最前線にフォワード(FW)が5人というフォーメーションだった。そして、GKを1番として、次は右側のFBが2番という順序でその番号を付けたユニフォームを着用していたものだった。従ってFWの右側からウイングが7番、次のWの引っ込んだところにいる右のインナーが8番だった。その順で行けば左のインナー(LI)が10番となるだけのことだった。

その当時はFWの真ん中にいるセンターフォワード(CF)に強力なポイントゲッターを置いていたもので、何処でも9番に優れた得点能力がある往年の釜本邦茂のような者を配置していた。即ち、少なくとも私の認識では「9番こそが栄光の番号ではないのか?」となっているのだ。しかも現代のサッカーではフォーメーションが複雑化しているので、往年のように番号を見ればポジションが解るような時代ではなくなってしまった。

しかも、私はアメリカの会社に転身しただけではない理由で、長い間サッカーから遠ざかっていた為に、如何なる経過で「10番こそが」という時代が到来したかを全く知らないし、勉強もしていなかったので、そう知らされた時には些か当惑したものだった。故に、本田圭佑如きが何故に格上のセリエAなるものに転じて、10番の拘泥するのかが本当は良く理解出来なかった。解りやすく言えば、彼は遺憾ながらそれほどの選手ではないと認識しているという意味だ。

栄光という意味合いからすれば澤穂希が最高の選手であるという認識は間違っていないと思う。だが、今回の大儀見が継承者という選択にはやや違和感があった。と言うのは、サッカーそのものの技量からすれば、宮間あやが世界的に見ても十分に10番に値するかと考えていたからだ。だが、宮間が現在の8番に執着しているのであればそれはそれで結構だろうと思う。

「ではお前は何番だったのか」と尋ねられれば、高校3年次には8番を付けていた。それ即ち、右のインナー(RI)のポジションを示しているだけで、9番(CF)か10番(LI)よりも劣る選手だったという意味ではないと冷静なる評論家の名誉の為にも、念のために申し上げておく次第だ。