新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

2月17日 その2 私が懸念すること

2016-02-17 13:27:53 | コラム
この先に何が起きるかは解らない:

例によって尾形氏と佐藤氏と現在の野党が安倍内閣と自民党に不当な攻勢をかけている状態を論じました。

私の懸念:
<実は私が最も懸念していることは、ご指摘の09年の民主党大勝利の再現です。これは我が国の民度が再三再四立証してきたようにポピュリズムが受けるのです。国会中継で鬼の首取り作戦に出れば、この民度では意外なほど効果が出る気がしてなりません。何度も言いましたが、蓮舫如きが単なる知名度だけで受けるのです。東国原も同様です。

自民党も宮崎や武藤のようなものを抱えていたのでは心許ないものがあります。アメリカでも何ら”Change”しなかったオバマを選んでしまったし、トランプが未だに落ちていない程度の民度です。22日に一時帰国中のSM氏を囲んでYM氏と昼食会をやりますので、アメリカの現状を聞けると思っております。>

尾形氏の意見:
<佐藤さんにもお答えしましたが、それは無いでしょう。確かに、甘利大臣までバカなチョンボをしますが、今の民主党を見て、どのような内閣になると思われますか?いくら、安倍憎しでも、岡田首相で世界の首脳と伍して行けると思う人は少ないのではないでしょうか?未だ、維新の会の方がまともかもしれません。>

私から尾形氏と佐藤氏に:
<これまでにも披露したかも知れませんが、私とW社東京の副社長で日本人代表者で商社出身の鋭い論客が常に語り合っていたことが「我々日本にいる者が首にされることは99%ないと信じている。だが、何か一寸したミスなり何なりが起きると残る1%が急に99%に膨れ上がってくるのだ。その1%が絶対に99%にならないように日夜努めているのがアメリカの会社で生きながらえる唯一無二の方法だろう」でした。

私は勿論もう99%民主党政権の悪夢が再度訪れるとは考えていません。だが、仮にも1%が残っているのであれば、何としてでもその1%がそのままか、消滅するように出来ることをしておかねばならないだろうと思うのです。安倍総理にも全閣僚にも谷垣幹事長以下の党員にも「1%」の恐怖を忘れないでと言っておきたいと考えます。現実的には、私は1%が少なくとも60%くらいになってしまった経験がありましたから言うのです。でも、安倍政権にとっては杞憂であって欲しいのが正直なところ。。

尾形氏の意見:
仰せのことに全面的に同感です。でもそのことを一番感じているのが安倍首相などの政治家ではないでしょうか?(除く、辞任したおバカ議員などの阿呆ども)。
2年ほど前でしょうか、ある人に誘われて首相補佐官との夕食に陪席したことがあります。そのとき、私が何かのはずみで、「この圧勝で、少なくとも向こう3年は安心ですね」

と言いましたら、「そんなことを考えたら、明日にでもおかしくなります。一日たりとも油断はできません。それが政治の世界です」と、即座に言われました。ましてや、自民党は09年の惨敗の経験があります。その痛みは骨身に滲みていると思います。あの経験が無ければ、自民党内でいがみ合いが起きているのではないでしょうか?理由は幾らでもある筈です。

だからこそ、安倍首相は靖国や歴史問題で隠忍自重されているのだと思います。一期と違って、あれもこれもやろう、というお気持ちを抑えているのだと思います。
公明党に気を使い、鈴木宗男氏の「大地の党」まで手を伸ばします。政権安定の為には何でもやる、と腹を括っておいでだと思います。

政治は、選挙で勝たなければ何もできないからです。これは、かっての利権ということではないと思います。日本が存亡の淵に立っているという認識だからだと思います。>

私より:
<お気づきの方もおられるかと思いますが、16日にテレ朝によれば民主党は今度は大串代議士が同じ音源から秘書が「レクサス」を強請ったと言い出したとか。甘利氏は睡眠障害とやら一ヶ月国会を休むとも報じられています。民主党はこの件を一体何処まで続かせる気なのでしょうか。>

マスコミに訊く「何故英単語をカタカナ語化して使うのか」と

2016-02-17 08:26:54 | コラム
琴奨菊の「ルーテイン」て何だ:

私はカタカナ語排斥論者だが、近頃のマスコミの英単語をカタカナ語化を見るに付け聞くに付け、国語と漢字の文化が忘れ去られるか消滅させられるのではないかと、心密かに本気で危惧している。カタカナ語論で再三指摘した来たことだが、カタカナ語化される英単語の多くは私の昭和20年(1945年)以来の英語歴の中でも滅多にか乃至はほとんど自分から使うことがなかった言葉が彼らに手によって見事にカタカナ語化されて日常的に使われている。

琴奨菊とは先場所で「10年振りに優勝した日本出身力士」という奇妙な枕詞が付けられた相撲取りであるが、彼が土俵上で行う何時ものフィギュアスケートのイナバウアーにも似た『手順か所定の順序乃至は動作の呼称』を、彼が出演した外人記者クラブの席上で外国人女性記者に決めて貰ったとの報道があった。ところがマスコミは私が『』内に表記した日本語ではなく、それを「ルーテイン」と表現するのだ。オーストラリアに行ってしまったラグビーの五郎丸君のキック前の一連の動作も誰言うとなく「ルーテイン」となったが、琴奨菊の場合もこのカタカナ語化された英単語が適用された。

私は五郎丸君の場合にはルーテインと表現された時にはさして気にも止めなかったが、それが徐々に全面的に普及してきて初めて”routine”の事だと気付いたのだった。さらに「まー、よくもこんな単語を持ち出したものだ」と、寧ろマスコミの諸君の英単語の語彙の豊富さに敬意を表していた。と言うのも、また同じ事を言うが、私は日常的に”routine”という言葉を使った記憶がなかったのだ、”routinely”の副詞形では使った記憶があるが。

上記の手順云々はジーニアス英和から採ったが、Oxfordには”the normal order and way in which you regularly do things”とあり、次には”(disapproving) a situation in which life is boring because things are always done in the same way”とある。「ルーテイン」は前者を採ったのだろうが、何故「手順」と言わないのかが私には解らないのだ。漢字を使った熟語を敬遠するのは、AHOな視聴者か読者が理解出来ないかと恐れてカタカナ語を使ったのならば、とんでもない心得違いではないか。

次に採り上げたいのが、「ノミネート」だ。この度小澤征爾氏が栄えあるアメリカのグラミー賞を受賞したと報じられ、同氏が「これまでに再三ノミネート」と言う。だが、英語の”nominate”は通常は受身で使われるものだ。即ち、”He was nominated for 何とかかんとか賞.”という具合だ。だが、マスコミは受身も過去形も無視してすべて「ノミネート」で処理する。英語の勉強がどうの、TOEICで何点を取れだの、英会話が出来ないとなどと言うのであれば、せめて原語に忠実に「ノミネートされた」とでもしておいて貰いたいもだが、これも所詮は無理なお願いだろう。

「スタッフ」は既に採り上げたが、これは英語の意味とほぼ同じ使い方をされているので、言葉の誤用ではないのがせめてもの救いだ。だが、「職員」、「部員」、「局員」、「社員」、「従業員」という漢字を使った言葉は当に消滅の危機に立たされていると思う。私には何故時と場合で使い分けしないのかが解らないので困る。Oxfordには”all the workers employed in an organization considered as a group”とある。漢字を使った方が遙かに具体性がある表現ではないかな。

次に気に入らないのが「トラブル」である。これは以前にも取り上げて批判した。広辞苑には「トラブル」で「いざこざ。厄介なこと。悶着」とある。既に登録済みだ。ジーニアスには「心配、苦労、悩みとなっていて正式には[通例 a ~][人にとっての/・・・の持つ]心配事、苦労、悩みの種」となっている。カタカナ語化されたものではこれらの全てを含むようだが、マスコミでは屡々「揉め事」や「故障」や「品質の問題」を言いたくて使っているのは矢張り誤用だと思う。

ここに採り上げた例はほんの一部かと思う。私が言いたいことは「格好付けたカタカナ語を使うのは止めて、それぞれの状態を表現する為に適切な漢字を使って欲しいものだ」である。何でもカタカナ語を使えば、日本語の表現力が退化するのを恐れて主張するのだ。それはカタカナ語ではないが「素晴らしい」も「非常に美味」も「とても幸せ」等々を全て「最高」としか表現出来ない一部の運動選手やテレビに登場するAHOなタレントどもの悪影響が止まるところを知らない感があるので、敢えてこれも加えておく。