2月27日(土)は長い一日だった:
通常通りに朝4時に目が覚め、先ず6チャンネルのニュースを30分間見てから5時過ぎに起床。先ず自分一人の為だけになった朝食の準備で、トースターにパンを1枚入れ、浄水器のBritaに水を入れ、ランチョンマットだかの上に皿とスプーンを乗せ、ジャムと蜂蜜を揃え、マグカップにNestleのdecafのインスタントコーヒーを入れて完了。それからPC部屋に電気を付けて起動させ、Emailが来ているかどうかを確かめた後に、ブログのアクセス数を調べて終わり。
そこで、リビングダイニングルームに戻って新聞を読み始める。ここまでで5時45分頃になっている。それからおもむろにヤカンに水を入れて沸かしにかかり、トースターのタイマーを2分半にセットする。これでお湯が適温に沸く方がトーストが焼き上がるのよりも早いのだ。食べ終えて諸々の薬を飲み終えても未だ6時半にもなっていない。それからは「親が死んでも食休み」で休憩。
7時過ぎでから思い直して頂門の一針の投稿用とブログ更新用の原稿に着手した。概ね45分以内には仕上がるので投稿とブログの更新まで完了しても未だ8時にもなっていなかった。それから新聞の読み残しを片づけてから食器類を洗ったがこれが、この作業が家内が入院した後に加わった日課である。
見るともなくテレビを見て暫く時の経つのを待って、10時少し前に小田急線の代々木上原駅前の吉田クリニックにプラセンタ・エキスの注射を受けに山手線と小田急を乗り継いで向かった。家内の速やかな回復の為にも当方が体調を万全な状態に維持せねばなるまいと思っているだけではなく、自分自身の為に毎週土曜日には欠かさず通っている。私は循環器系統の為にもこの注射は大いに役立っていると信じている。帰路では近所のコンビニで昼食用にとサンドイッチを購入したが、それでも未だ11時半にもなっていなかった。
また一休みの後に、2時過ぎに家内の経過を見に徒歩で5分もかからない東京山手メデイカルセンターに向かう。持参するのは前日の新聞と食事用に金属のフォーク。もう既に点滴が外れて食事が出ているが、未だ箸よりもフォークの方が使いやすいからと頼まれていた。部屋に到着してみると、何と名前入りの歩行器が準備されていて、看護師さんの介添えでベッドから降りて手洗いまで行って良いとの許可が出たとのこと。順調に回復しつつあるようで一安心。
当方は風邪を引いている訳ではないが、万全をして常にマスクをかけて見舞いに行くのだが、「ただでさえ大きな声で話さないものがマスクをかけていては益々聞こえにくい」と苦情を言われた。そこまで回復してきたのならば良いことではないかと思い、近所迷惑にならない程度の大きな声を出して語り、30分ほどいて退散。この病室からは北側になる我がアパートが手に取るように見えるほど近いのだ。
帰宅後に丁度間に合った我が国の「サンウルブズ」なるやや寄せ集め的な感があるテイームが、この度参加した世界の最高水準を行くラグビーのスーパーリーグでの初戦、南アのライオンズとの一戦(録画だったらしいが)を見た。確かに我が国のラグビーは昨年のW杯で見せたようにかなり強く且つ上手くなっていると認める。だが、そのスーパーリーグで優勝経験もあると聞かされたライオンズにはトライを一本取れただけで26対13と点差通りの実力差を見せつけられた敗戦だった。この試合はW杯よりも両軍が大きく広くパスを展開した攻防を展開したので、ラグビーとしては楽しく見ていられた。
夕食には恐らく80有余年の人生初のことだと思うが、先日ファミリーフェアーで購入してきた焼き肉風に味付けされた牛肉に家内の指示通りに白菜の葉を何枚か適当な大きさに切って加え、少量のサラダオイルも使っておそるおそる炒めるというかのか加熱するというべきか知らぬが、兎に角料理をしてみた。油が跳ねるのに辟易となって蓋を探してかぶせ、数分後に無事に終了した。あれほど沢山入れたと思った白菜は余り見当たらず肉ばかりになってはいたが、何とか食べられるようになっていたので、目出度し目出度しだった。デザートにはヨーグルトに蜂蜜をかけて楽しんだ。
夜になってからは一日の大活躍と馴れぬ料理の真似事でそれなりに疲労困憊したようで、9時からのテレ朝の警察もののドラマを寝室で横になって見ていたところ、肝腎の犯人が分かる辺りになる前に眠ってしまう有様だった。そうそう、テレビを見る前にチャンと家内の言いつけを守って家計簿の如きものに記帳をしておいたのだった。
この生活をこれから先に3週間以上続けられるのだろうか。29日(月)週明けに予定通りにジムにも行き出すし、3月1日には国際医療研究センター病院での循環器科の定期検診があってその後に調剤薬局にも回るので、確実に半日以上が費やされるのだから大変だ。尤も、その為のプラセンタ・エキスの注射があるのだ。でも、結構長い一日だった。最後に英語の講釈をすれば、矢張り”It was a long day.”なのだ。
通常通りに朝4時に目が覚め、先ず6チャンネルのニュースを30分間見てから5時過ぎに起床。先ず自分一人の為だけになった朝食の準備で、トースターにパンを1枚入れ、浄水器のBritaに水を入れ、ランチョンマットだかの上に皿とスプーンを乗せ、ジャムと蜂蜜を揃え、マグカップにNestleのdecafのインスタントコーヒーを入れて完了。それからPC部屋に電気を付けて起動させ、Emailが来ているかどうかを確かめた後に、ブログのアクセス数を調べて終わり。
そこで、リビングダイニングルームに戻って新聞を読み始める。ここまでで5時45分頃になっている。それからおもむろにヤカンに水を入れて沸かしにかかり、トースターのタイマーを2分半にセットする。これでお湯が適温に沸く方がトーストが焼き上がるのよりも早いのだ。食べ終えて諸々の薬を飲み終えても未だ6時半にもなっていない。それからは「親が死んでも食休み」で休憩。
7時過ぎでから思い直して頂門の一針の投稿用とブログ更新用の原稿に着手した。概ね45分以内には仕上がるので投稿とブログの更新まで完了しても未だ8時にもなっていなかった。それから新聞の読み残しを片づけてから食器類を洗ったがこれが、この作業が家内が入院した後に加わった日課である。
見るともなくテレビを見て暫く時の経つのを待って、10時少し前に小田急線の代々木上原駅前の吉田クリニックにプラセンタ・エキスの注射を受けに山手線と小田急を乗り継いで向かった。家内の速やかな回復の為にも当方が体調を万全な状態に維持せねばなるまいと思っているだけではなく、自分自身の為に毎週土曜日には欠かさず通っている。私は循環器系統の為にもこの注射は大いに役立っていると信じている。帰路では近所のコンビニで昼食用にとサンドイッチを購入したが、それでも未だ11時半にもなっていなかった。
また一休みの後に、2時過ぎに家内の経過を見に徒歩で5分もかからない東京山手メデイカルセンターに向かう。持参するのは前日の新聞と食事用に金属のフォーク。もう既に点滴が外れて食事が出ているが、未だ箸よりもフォークの方が使いやすいからと頼まれていた。部屋に到着してみると、何と名前入りの歩行器が準備されていて、看護師さんの介添えでベッドから降りて手洗いまで行って良いとの許可が出たとのこと。順調に回復しつつあるようで一安心。
当方は風邪を引いている訳ではないが、万全をして常にマスクをかけて見舞いに行くのだが、「ただでさえ大きな声で話さないものがマスクをかけていては益々聞こえにくい」と苦情を言われた。そこまで回復してきたのならば良いことではないかと思い、近所迷惑にならない程度の大きな声を出して語り、30分ほどいて退散。この病室からは北側になる我がアパートが手に取るように見えるほど近いのだ。
帰宅後に丁度間に合った我が国の「サンウルブズ」なるやや寄せ集め的な感があるテイームが、この度参加した世界の最高水準を行くラグビーのスーパーリーグでの初戦、南アのライオンズとの一戦(録画だったらしいが)を見た。確かに我が国のラグビーは昨年のW杯で見せたようにかなり強く且つ上手くなっていると認める。だが、そのスーパーリーグで優勝経験もあると聞かされたライオンズにはトライを一本取れただけで26対13と点差通りの実力差を見せつけられた敗戦だった。この試合はW杯よりも両軍が大きく広くパスを展開した攻防を展開したので、ラグビーとしては楽しく見ていられた。
夕食には恐らく80有余年の人生初のことだと思うが、先日ファミリーフェアーで購入してきた焼き肉風に味付けされた牛肉に家内の指示通りに白菜の葉を何枚か適当な大きさに切って加え、少量のサラダオイルも使っておそるおそる炒めるというかのか加熱するというべきか知らぬが、兎に角料理をしてみた。油が跳ねるのに辟易となって蓋を探してかぶせ、数分後に無事に終了した。あれほど沢山入れたと思った白菜は余り見当たらず肉ばかりになってはいたが、何とか食べられるようになっていたので、目出度し目出度しだった。デザートにはヨーグルトに蜂蜜をかけて楽しんだ。
夜になってからは一日の大活躍と馴れぬ料理の真似事でそれなりに疲労困憊したようで、9時からのテレ朝の警察もののドラマを寝室で横になって見ていたところ、肝腎の犯人が分かる辺りになる前に眠ってしまう有様だった。そうそう、テレビを見る前にチャンと家内の言いつけを守って家計簿の如きものに記帳をしておいたのだった。
この生活をこれから先に3週間以上続けられるのだろうか。29日(月)週明けに予定通りにジムにも行き出すし、3月1日には国際医療研究センター病院での循環器科の定期検診があってその後に調剤薬局にも回るので、確実に半日以上が費やされるのだから大変だ。尤も、その為のプラセンタ・エキスの注射があるのだ。でも、結構長い一日だった。最後に英語の講釈をすれば、矢張り”It was a long day.”なのだ。