新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

2月28日 その2 It was along day!!

2016-02-28 16:27:01 | コラム
2月27日(土)は長い一日だった:

通常通りに朝4時に目が覚め、先ず6チャンネルのニュースを30分間見てから5時過ぎに起床。先ず自分一人の為だけになった朝食の準備で、トースターにパンを1枚入れ、浄水器のBritaに水を入れ、ランチョンマットだかの上に皿とスプーンを乗せ、ジャムと蜂蜜を揃え、マグカップにNestleのdecafのインスタントコーヒーを入れて完了。それからPC部屋に電気を付けて起動させ、Emailが来ているかどうかを確かめた後に、ブログのアクセス数を調べて終わり。

そこで、リビングダイニングルームに戻って新聞を読み始める。ここまでで5時45分頃になっている。それからおもむろにヤカンに水を入れて沸かしにかかり、トースターのタイマーを2分半にセットする。これでお湯が適温に沸く方がトーストが焼き上がるのよりも早いのだ。食べ終えて諸々の薬を飲み終えても未だ6時半にもなっていない。それからは「親が死んでも食休み」で休憩。

7時過ぎでから思い直して頂門の一針の投稿用とブログ更新用の原稿に着手した。概ね45分以内には仕上がるので投稿とブログの更新まで完了しても未だ8時にもなっていなかった。それから新聞の読み残しを片づけてから食器類を洗ったがこれが、この作業が家内が入院した後に加わった日課である。

見るともなくテレビを見て暫く時の経つのを待って、10時少し前に小田急線の代々木上原駅前の吉田クリニックにプラセンタ・エキスの注射を受けに山手線と小田急を乗り継いで向かった。家内の速やかな回復の為にも当方が体調を万全な状態に維持せねばなるまいと思っているだけではなく、自分自身の為に毎週土曜日には欠かさず通っている。私は循環器系統の為にもこの注射は大いに役立っていると信じている。帰路では近所のコンビニで昼食用にとサンドイッチを購入したが、それでも未だ11時半にもなっていなかった。

また一休みの後に、2時過ぎに家内の経過を見に徒歩で5分もかからない東京山手メデイカルセンターに向かう。持参するのは前日の新聞と食事用に金属のフォーク。もう既に点滴が外れて食事が出ているが、未だ箸よりもフォークの方が使いやすいからと頼まれていた。部屋に到着してみると、何と名前入りの歩行器が準備されていて、看護師さんの介添えでベッドから降りて手洗いまで行って良いとの許可が出たとのこと。順調に回復しつつあるようで一安心。

当方は風邪を引いている訳ではないが、万全をして常にマスクをかけて見舞いに行くのだが、「ただでさえ大きな声で話さないものがマスクをかけていては益々聞こえにくい」と苦情を言われた。そこまで回復してきたのならば良いことではないかと思い、近所迷惑にならない程度の大きな声を出して語り、30分ほどいて退散。この病室からは北側になる我がアパートが手に取るように見えるほど近いのだ。

帰宅後に丁度間に合った我が国の「サンウルブズ」なるやや寄せ集め的な感があるテイームが、この度参加した世界の最高水準を行くラグビーのスーパーリーグでの初戦、南アのライオンズとの一戦(録画だったらしいが)を見た。確かに我が国のラグビーは昨年のW杯で見せたようにかなり強く且つ上手くなっていると認める。だが、そのスーパーリーグで優勝経験もあると聞かされたライオンズにはトライを一本取れただけで26対13と点差通りの実力差を見せつけられた敗戦だった。この試合はW杯よりも両軍が大きく広くパスを展開した攻防を展開したので、ラグビーとしては楽しく見ていられた。

夕食には恐らく80有余年の人生初のことだと思うが、先日ファミリーフェアーで購入してきた焼き肉風に味付けされた牛肉に家内の指示通りに白菜の葉を何枚か適当な大きさに切って加え、少量のサラダオイルも使っておそるおそる炒めるというかのか加熱するというべきか知らぬが、兎に角料理をしてみた。油が跳ねるのに辟易となって蓋を探してかぶせ、数分後に無事に終了した。あれほど沢山入れたと思った白菜は余り見当たらず肉ばかりになってはいたが、何とか食べられるようになっていたので、目出度し目出度しだった。デザートにはヨーグルトに蜂蜜をかけて楽しんだ。

夜になってからは一日の大活躍と馴れぬ料理の真似事でそれなりに疲労困憊したようで、9時からのテレ朝の警察もののドラマを寝室で横になって見ていたところ、肝腎の犯人が分かる辺りになる前に眠ってしまう有様だった。そうそう、テレビを見る前にチャンと家内の言いつけを守って家計簿の如きものに記帳をしておいたのだった。

この生活をこれから先に3週間以上続けられるのだろうか。29日(月)週明けに予定通りにジムにも行き出すし、3月1日には国際医療研究センター病院での循環器科の定期検診があってその後に調剤薬局にも回るので、確実に半日以上が費やされるのだから大変だ。尤も、その為のプラセンタ・エキスの注射があるのだ。でも、結構長い一日だった。最後に英語の講釈をすれば、矢張り”It was a long day.”なのだ。


ドナルド・トランプ氏に思う

2016-02-28 08:25:44 | コラム
看過してならないことは彼はIvy LeagueのMBAである点:

西海岸のワシントン州に本社を置く会社に長年お世話になったので仕事上ではニューヨークとは余り縁がなく、22年有余もアメリカの会社の2社の社員であったにも拘わらず、NYには2度しか訪れたことがなかった。かのトランプタワーにもそこが何たるかも意識せずに入ってしまっただけのことだったから、ドナルド・トランプなる方についての知識も極めて乏しかった。

そこに今回のトランプ騒ぎが持ち上がった。そこで取り敢えずWikipediaで調べてみた。意外だったのは22年間に私の周囲には、言うなれば掃いて捨てるほどいたMBAやPh.D.等から受けた紳士的で知性的な印象とはかなり異なるトランプさんは、何とIvy Leagueの一校であるペンシルベニア大学の出身でしかもそのビジネススクールであるかのWharton SchoolのMBAであったと判明したのだった。それは少なくともアメリカを支配する階級の一員であり、相当以上に知性的であってもおかしくない人物だということになる。それがあのマスコミが採り上げて騒ぐ暴言を連発する得意な不動産王の学歴だった。

言うまでもないことだが、Ivy Leagueであろうとなかろうと、アメリカの大学院で修士号を獲得する為には勉強も大変だが、高いdebateの能力が必要なのである。

私は彼のスローガンのように思える”Let’s make America great again.”は面白いと思って聞いている。先ずは「アメリカを再び偉大な国にしようではないか」がオバマ大統領の優柔不断な姿勢によって、嘗てのアメリカの地位が明らかに低下してしまったことをずばりと指摘しているようで、オバマに不満を覚えている本来は民主党支持の労働者層や少数派にも受けてしまったことを示していると見ている。

また「再度偉大な国にしよう」という主張は解りやすいが、そのコインの裏側にある事は「アメリカは偉大ではなくなった」との悲しい事実をトランプ氏な声高に全米に向かって唱えているのである。私はアメリカ人が本当にアメリカの地盤が沈下してしまい、プーチンや習近平に侮られていることを認識してしまったのであれば、どのようにして再度アメリカを偉大にするのかの政策を一向に明かさないトランプ支持に走ったとしても、さほど不思議ではないような気もする。但し、一握りのアメリカの富を支配する人たちや知性派のアメリカ人たちがトランプ氏をどれほど評価しているかは全く別の問題であろう。

私はトランプ氏の暴言と批判されるメキシコ人排斥論や、イスラム教徒締め出し論に何分かの理はあると思っている。それはオバマ大統領が選ばれてしまった頃に知性派で体制派の一人であるある大手メーカーのVPだった人物は、オバマ大統領論とは無縁にも聞こえる調子で「アメリカ建国時にはイスラム教徒など一人もいなかったし、我々は今でも彼らは不要である」と唱えた例もあったからだ。

私はトランプ氏の横紙破り的な発言を聞く度に嘗て我が旧制中学の同期生・石原慎太郎君の粗暴とも批判されたが、大衆受けしたと思っている多くの奔放な発言を思い出すのだ。あの発言で彼は剛胆で自由奔放な強気の性格だと広く世間に受け止められていたのではないかと思っている。だが、彼と小学校から同期だった者たちと私が往年の彼から受けた印象は、繊細で気が小さい穏やかな青白き勉強家であり、国会議員となってからの彼の在り方は想像出来ないのである。

ここにも私の持論である「全てのコインには両面がある」が適用出来ると思っている。トランプ氏と石原君の発言にはある程度共通するものがあって、それは気弱で繊細な性格を自覚する彼らがそれを弱点として認識し、極力その点を外部に悟らせまい見せまいとしてあの強気一点張りの言わば大言壮語となって現れているのではないかと考えている。トランプ氏の場合は語るべき具体的な政策が纏め切れていない点を覆い隠すべくあの発言で補っていると考えると少し解りやすい気がするのだ。

だが、Wharton SchoolでMBAは簡単に取れる学位ではない。もしかして彼が見えないところで懸命に政治を勉強したりしているのかも知れない。もしかして、その弱点を意識して十分にスタッフ(従業員ではない、参謀のことだが)を傘下に数多く集めていたりして。私は小説家だった石原君の情報収集能力を見るに付け、余程確かなスタッフを集めていたのではないかと疑っていた。