新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

2月13日 その2 1ミリシーベルト

2016-02-13 16:50:55 | コラム
丸川環境相は失言をしたのか:

私はこの1ミリシーベルト云々の件は菅直人総理の暗黒の時期に起きた民主党政権の取り返しのつかない失態だと信じております。1ミリシーベルトが如何におかしいかは多くの専門家と言われた大学教授たちがハッキリと指摘していました。それをそのままに言った丸川珠代環境相の何処か悪いのか理解出来ません。謝る必要など毛頭ありません。何れにせよ、民主党の得意技である「言いがかり」であり、それをリベラル派のマスコミが喜び勇んで「失言」と報じているだけでしょう。

私はいきり立っていた細野の顔を見るにつけても論評する気にもならず、今まで沈黙しておりました。また、丸川珠代環境相の器量の問題とするかの如きマスコミ報道は、安倍内閣を傷つけるために意図的に強調する彼らの得意技でしょう。

ジャズボーカル論の続編とカタカナ表記

2016-02-13 11:06:36 | コラム
上手い歌い手と名前のカタカナ表記:

昨日の私の「ジャズボーカル論」について、佐藤一が以下のような素晴らしいボーカルを提供して下さった。

<先日、たまたま聞いたJazzです。

https://youtu.be/tJsRlhpetGs

あのビートルズのポール・マッカートニーがスタンダードを歌っていたのです。発音や歌詞のことは私にはよく分かりませんが、なかなか上手いですよ。

My one and only loveと言うとジョニー・ハートマンの痺れるような声が最高です。前半はコルトレーンのサックスソロ、続いてハートマンのボーカル。

https://youtu.be/cT1YTkl0-NY>

早速聞きました、佐藤氏に感謝しながら。私の感想は「ポール・マカートニーには恐れ入りました。UK訛りで一寸歌詞が聞きにくいのですが、上手いことは相当なもので、嘗て有名なトランペット奏者だったチェッと・ベーカー(Chet Baker)の中性的と評されたボーカルにも似た雰囲気で驚かされました。マカートニー対する認識不足だったかと反省せざるを得ませんでした。

次なるジョニー・ハートマンとコルトレーンのこのアルバムは長年の愛聴盤です。特に”My one and only love”の上手さなどは何故ハートマンの人気が長続きしなかったのかと思わせられたほど良いのです。YOUTUBEのお陰様でセアラとエラのものまで懐かしく聞けました。実は、今この原稿のBGMで聞いているのがSarah Vaughn(と敢えてアルファベット表記した)のコンピレーションもののCDです。これには"My one and only love”は入っていませんが、彼女の傑作である"Lover’s Concerto”が入っています。

ここで蛇足かも知れませんが、何故"Sarah"をアルファベット表記したかを。この名前は屡々というか当たり前のように、我が国では「サラ」とカタカナ表記されます。またカタカナ英語論かという前にご一読を。英語読み(発音記号)を無理矢理にカタカナ表記すれば「セアラ」となるのです。それを裏付けるように2011年に亡くなった「セーラ・ローウエル」という父親がアメリカ人で母親が日本人のタレントがいました。

彼女の氏名は"Sarah Vera Lowell”なのです。彼女がそうしたのか親御さんがしたのか知る由もありませんが、言語に忠実にカタカナ表記すると「セーラ」も近いのかも知れないでしょう。最近のキラキラネームでは「(高梨)沙羅」や「紗良」や「咲良」や「彩良」等々が数え切れないほどあります。それらは思うに素直に"Sarah”か"Sara”をローマ字読みしたのでしょう。私はそれをおかしいとか、誤っているとか批判するつもりはありません。自分で自分のお子さんに付けた名前ですから。だが、将来外国に出た時に通用すると思っておられたならば、「セアラ」か「セーラ」と「セ」にアクセントを付けて呼ばれて当惑するかも知れないのです。

余計なお世話ですが、ローマ字読みへの疑問と、未だに外国人風の名前にあこがれがあるのかなと思って、この機会に採り上げてみたまでです。