新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

2月9日 その2 第50回スーパーボウル観戦記

2016-02-09 14:48:10 | コラム
アメリカのスポーツ界最大の祭典:

昨8日の午前中はこのカリフォルニア州サンタクララで開催されたフットボールの言わばワールドシリーズである「スーパーボウル」の観戦で終わった。時差の関係で運悪く(?)我が国で中継を見られるのは月曜日の午前8時からになってしまうので、どれほどの方がこの中継をご覧になったかは知る由もない。だが、長年のフットボールファンとしては見逃すことはなく十分に堪能させられた。今年はデンバー・ブロンコス(本拠地=コロラド州)対カロライナ・パンサーズ(ノースカロライナ州)の対戦だった

念のために、スーパーボウル(Super Bowl)なる試合を簡単に解説しておけば、アメリカのプロフットボール・リーグの”NFL”には野球のMLBと同様に「アメリカン」と「ナショナル」の二つのリーグがある.だが、ここではリーグと称さずに”Conference”と呼んでいる。この両カンファレンスには16テイームが所属するのだから合計で32テイームがある。即ち、スーパーボウルとはこれら二つのカンファレンスの勝者が2月になって一度の勝負で全米の勝者を決めるという仕組み。しかし、MLBと同様にその前に各地区の優勝者とワイルドカードという一般的には良く解りにくい方式で選ばれた優勝し損ないの地区で2位だったテイームが参加するトーナメントで、各コンファレンスの勝者を決めるのだ。遺憾ながら、ちっとも簡単な説明ではなかったことをお許し願いたい。

ワールドシリーズと同じ仕組みならば、何故両カンファレンスの優勝者のテイームの本拠地で試合をしないのかとの疑問が出るだろう。それは聞くところによれば、地元開催にすれば途方もない騒ぎになるのだそうで、両者の地元を離れた言わば中立の都市を選ぶのだそうだ。この試合がどれほどの人気かと言えばテレビの視聴率が50%にも達するそうで、アメリカ人の半数が観戦していることになる。

そこで入手が極めて困難な切符を手に入れて全米から観戦に訪れる人たちが如何なる騒ぎをするかなどは、我が国で贔屓の引き倒し的な阪神ファンの応援振り程度にしか接しておられない方には想像も及ばないと思う。偉そうに言う私は勿論スーパーボウルなど見たことがあるはずもなく、テレビ観戦だけで後は受け売りが大部分だ。しかし、アメリカ出張中に何度もNFLとMLBの試合を見た経験があるので、彼らアメリカ人のお祭り騒ぎには数多く接してきた。

2010年1月1日にはカリフォルニア州パサデイナでNCAA(全米大学体育協会)の大学のフットボールを試合を9万人の観客の一人として観た貴重な経験もある。一般的にはこういう大きな試合にはその州内からでも多くの熱烈なファンが試合前夜にステーションワゴンとでも言うのだろうか、ハッチバック車(運転をしたことがないのであり自動車の種類には極めて暗い)の後ろのドアを開けてバーベキューセットを持ち出して駐車場でそれぞれの車で”tailgate party”と呼ばれるパーテイを開いてビールを飲んで前夜祭的に大いに盛り上がるのだ。何百台の車で一斉にパーテイーともなればどれほど賑やかかを想像願いたい。

その賑やかさは大変なもので、我が国にいては想像がつかないだろう。またその会場となる競技場の駐車場の広さと言えば、パサデイナで試合が終わった後で自分たちの車に到着するまで30分近く歩いたほどだったと言えばお解り願えるか。観戦にと言うか応援に来るのは勿論両テイームの熱心なファンなのだが、それ以外の者たちも参加するので、その都市は挙げてスーパーボウル一色になってしまうのは言うまでもないこと。この辺りが当にアメリカ的なのだ。

アメリカ西海岸時間の2月7日に開催された今年の(シーズンとしては2015年になるが)のスーパーボウルには、フットボールの大きな試合には付き物の「ハーフタイムショー」が賑やかに開催された。確か我が国では誰か女性タレント真似をするビヨンセ(Beyoncé Giselle Knowlse)というシンガーソングライターと奇矯な服装でも有名な歌手”Lady Gaga”(レイデイ-・ガガ=Stefanne Joanne Angelina Germanotta)も出演して大いに盛り上げたらしい。

「らしい」と言うのは理由がある。私はこの手のショーの間はトイレ休憩と心得ているので本気で観たことはないし、現場でも食べ物や飲み物の補給に売店に出て行く時間と思っているので先ず見たことがなかった。それにこういうアメリカ式の賑やかなショーにはいささか辟易となるので敬遠している。私は歌舞音曲も良いが、早く試合が見たいだけのことだ。

実は、何人ものアメリカ人に言われたことで「このようなプロの試合を実際に見る機会があれば誠に結構な事で、アメリカ人でもNFLの試合は観客席がほとんど年間指定席なのでなかなか見る機会がないもの。だから、貴方は幸運な外国人」なのだそうだ。また、別な人からは「NFLのゲームの観客の熱狂振りも確かにアメリカ的なものだが、NCAAのフットボールの試合での地元の熱心なファンの興奮と応援振りこそが本当にアメリカ的だ」とも聞かされていた。

お陰様で一度だけシアトルのワシントン大学の7万人収容の”Husky Stadium”でUCLA対University of Washington”のフットボールを見る機会を与えられた。そこでは地元の人品骨柄卑しからざる老夫婦がハスキーカラーの紫色のスーツを着用して「それいけー」や「殺せ」と髪振り乱して立ち上がって応援する有様を見て「なるほど、これもアメリカか」と納得したものだった。ここでもそうだが、我が国のプロ野球の応援と違って、鉦や太鼓に金管楽器の騒音がないだけ、アメリカの方が落ち着いて見ていられる。但し、周りの観衆が熱狂の余りに立ち上がると、悲しいかな私には何も見えなくなってしまうのが問題だった。

試合のことを何も言わないではないかと言われそうだが、下馬評が高かったQB Cam Newtonを擁するPanthersがBroncosの強力な守りにNewtonが封じ込められ、試合内容は競ってはいたが、24対10と予想以上の大差で39歳のQB、Peyton Manning率いるBroncosに押し切られてしまった。試合は勿論面白かったのは言うまでもないこと。

私は暫くぶりに第試合で選手全員どころか観客も一緒になって国歌斉唱をする光景に接して良いことだと思わせられたし、その懐かしさに胸を打たれた。と同時に、我が国では一向に選手たちも含めて居合わせた全員が国歌を歌わないことが如何にも残念に思えてならなかった。

鞭打ち症を回顧すれば

2016-02-09 09:06:42 | コラム
鞭打ち症には外傷がないので:

「頂門の一針」第3924号で川原俊明氏が下記に引用するように「むちうち」を採り上げておられた。

<むち打ちは、交通事故の中では比較的軽い傷害として受け取られているう えに、他覚所見がないことが多いため、被害者救済が充分なされないこと があります。その上、注意してもらいたいのは、症状が軽いからと言って、被害者が受 傷の初期段階で適切な治療を受けなかった場合には、後々、思いもよらず 不利な結果を招くことがあります。>

誠にご尤もであると思う。

私も1985年10月4日にシアトルの郊外での貰い事故で右横からの鞭打ちの被害を受けて、その後半年間に深刻な後遺症に悩まされ、神経性下痢と情緒不安定などで入退院を繰り返すことになった。そこで、参考までにその頃の経験を回顧してみる。実は横からの方が後方からと言うか縦方向に打たれるよりも厳しいのである。

私はアメリカでのことだから左ハンドルの車の後部座席の右側に座っていた。その車が左折するところに時速約50 kmの速度でフォードMustangが突っ込んできて私は左側の座席まで飛ばされ眼鏡は飛んだし、ドアで右顔面を強打されたと思っていた。意識はあった。ところが、アメリカの救急病院の雑な診断では肋骨が1本折れただけだったが、息も出来ないほど痛みが厳しかった。頭痛がすると訴えると「そら」と言って小さな氷嚢をくれた。

1週間後に帰国して信頼する高名な脳神経外科医の志沢先生(残念ながら若くして亡くなってしまった)に診て頂いた。先生は頸椎の捻挫を見落としているいるのが信じられないとの診断だった。そして、最短でも40日は休養しないと鞭打ちの後遺症に苦しめられると警告された。それはそれとして、何かもかも自分一人で処理せねばならないアメリカの会社の仕事の進め方だったし、悪いことに10日ほど休んで復帰せざるを得ない事件が発生していた状態だった。

すると大手得意先の購買課長さんに「鞭打ち症には外傷がないので周囲に理解されない危険性があるし、誰にも同情されない嫌いがあるので十分に注意されたい。無理は絶対に禁物」と忠告されたものだった。確かに事故直後は右目の周りが青くなる内出血があったが、それが治まった後では確かに傍目には正常風だった。しかし、その後に襲ってきた絶え間ない激しい頭痛と朝は起きられない倦怠感に吐き気に加えて肩こりには本当に苦しめられた。

だが、出勤せざるを得ない事情があって休むわけにはいかなかった。すると、上記の苦しみの上に神経性下痢が始まって食事をするのが怖くなった上に、通勤が困難になってきた。事そこに至っても確かにあの購買課長さんの予告通りに「外見はあくまで正常」だったのだ。それだけではない、頸椎の損傷がもたらした症状だったのだろうが、記憶喪失の如き様子まで現れてきたし「俺は正常だ」と思い込んでいる時は荒れていたと家内にも秘書の女性にも後に言われたものだった。

事ここに至っては仕事は諦めて入院するのだが、交通事故は健康保険が適用されないと知って「下痢」ということで取り扱って貰った。アメリカでの事故だったのでシアトルのセーフコフィールドで我が国にも名前は知れ渡っているだろうSafecoの保険に、私が乗っていた車の所有者が入っていたのでそれを適用して貰ったがその保険の補償は誠に微々たるもので、帰国後にかかった治療費を賄うことなど到底出来なかった。

そして、半年後の11年4月から仕事に復帰したのだが、その頸椎の捻挫を治して下さったのは近代医学だけではなく、未だに時々お世話になる整体の野路秀樹先生だった。何とか出勤出来る状態になるまでには入院した辻堂の病院でも針治療のようなリハビリもあった。ここまででもお解りの方もあるかと思うが、鞭打ち症は単なる打撲や頸椎や脊椎の損傷だけではなく、神経や精神状態にも災いをもたらす実に厄介な難病であると思っている。

当時は湿度の変化に極めて敏感になっており、体調の変動で翌日の天気予報が出来るほどだった。即ち、高い湿度が禁物だということである。