清原和博逮捕を騒ぎ立てるマスコミ:
昨日は朝から晩まで各テレビ局もスポーツ新聞もこの話題一色だった。多くの関係者というか感想を尋ねられた者たちは口裏を合わせたかのように「残念だ」と言った。それはそうだろう、まさか「しようがない奴」だとか「矢張りそうだったか」とはとても言えないだろうから。何れにせよ、マスコミの「知らなかった」的な伝え方には大いに違和感を覚えさせられた。この件は何年も前に週刊文春が採り上げていたことではなかったか。
私は究極的は清原個人の責任であり、誰だったか野球界の者が「気が小さい彼がそこに逃避した」という意味のことを言ったのが、かなり真相に近いと思う。清原のようにその筋の者のような威嚇的な言動をすることは「気が小さいこと」を自覚して隠そうとする現象であると、私は信じている。マスコミは華やかなりし頃の彼を「番長」だの何のと言って囃し立てたが、私は彼らが清原個人の実態を知らぬはずがなく、それを報じなかっただけだと、これは確信している。
先日、NPBのコミッショナーが今年プロに入った新人(「ルーキー」などという発音表記を誤ったカタカナ語は使わない、念のため)を集めてプロたる者の心得を教える講習会会を開いたそうだが、誠に結構なことだと思う。高卒だろうと、大卒だろうと、社会人野球経験者だろうと、何年も体育会の野球部の中で過ごしそこで育った来た者たちがプロになってしまったのだ。その中から、社会的常識が欠如してしまったスターが現れても、私は不思議ではないとすら考えている。社会常識は早期に教えておくべきだろう、何も野球界に限ったことではないが。
昨日、どこかの局が円グラフで、プロ野球界にいる者の70%超が、自分が野球を止めた後の生活に不安を抱いていると伝えていた。それは極めて尤もな不安感だと思う。そこに奇行もあって離婚に追い込まれた嘗ての(マスコミが挙って祭り上げた?)大スターが道を踏み外したことには、私はさしたる違和感を覚えないのだ。
これは「残念だ」というよりも、その世界しか知らずに育った者が、異なった一般社会(テレビタレントになることがその中に入るかどうかは知らないが)に40歳に近くなって入っていった時に、それまでの自分が通用しにくかったことに苦しさを味わっていった先にあったのが、覚醒剤だったとすれば、その責任が何処の誰にあるのか、私は俄に断定出来ない気もする。
清原には、ここから先にはこれまで以上に困難な人生が待ち受けているだろう。それを彼自身か、何処かの誰かが彼を支えて更生出来るのだろうか。私には解らない。