新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5月13日 その2 退屈だった舛添都知事の記者会見

2016-05-13 16:14:26 | コラム
彼の三百代言的な品性を疑いたくなった:

13日の金曜日、舛添都知事の弁舌さわやか風の釈明記者会見の中継を寝そべって聞いていた。正座してまで聞くほどの代物ではないと思ったから。彼は昨日だったか「疑惑」が出た時点で「何の問題もありません」と言い切った上で、「懸命に調査しているところなので詳細は答えられない」と、これほど矛盾したことを当然のように言う辺りの感覚からしておかしかった。

今日も辻褄が合わない理解しがたい答えが多かったが、彼一流の明瞭な慇懃無礼的口調で滑らかに際どい質問にも答えて見せた。彼の手法だと思うのだが、如何なる質問に対しても全くよどみなく独断的に問題なしという風に断定的に答え、答えてさえあれば何の問題にもならないだろうと言わんばかりに答え続けて見せた。思うに彼自身は「用意した答えを出せばそれで事が足りる」とでも考えていたのだろうが、兎に角よどみなかった。

しかし、如何なる問題点を追求されても「自分には誤謬がない」というような、全く他人事のように言うだけで当人が真剣に反省している様子も、本気で詫びているようなことも全くないのは寧ろ凄いと呆れてしまった。正月に家族と温泉で過ごしているところに誰かがやってきて選挙対策の会議をやったなどと屁理屈を言うことがおかしいとは思わない人が都知事では、新宿に住む都民としては一寸困ったななどと嘆いている間に退屈で眠ってしまった。

少し残念だったのは、次から次へと質問する記者諸君も彼の矛盾点をつくことが出来ずにいるので、舛添都知事はさっさと次の質問者を指名して一瞬たりとも隙を見せない手を打ってきた辺りに不満が残る退屈な90分ほどだった。聞いていて「三百代言」という言葉を思い出さされた。今は彼を選んで一票を投じたのは誰だったのかと反省しきりである。

トランプの支持層とアメリカの考察

2016-05-13 08:14:49 | コラム
国民の1~5%が支配する国:

事ここに至っては、来たるべきアメリカの大統領選挙では共和党の候補者として指名を受けるだろうトランプが果たして当選するのかという議論が本格化してきたかの感がある。いや、当選したらとの危機感が溢れかかっているとも言えはしないか。そのトランプの支持層は従来の共和党のそれではなく、本来はオバマ大統領の支持基盤だったはずの所謂少数派(どうやら英語では”minority”ではなく”minorities”と複数にするようだ)だけではなく日の当たらなかった所謂”poor white”に至るまでの白人たちも彼の支持に向かっているようだと報じられている。そこで、これまでの経験に基づいて、これらのトランプ支持層とは如何なるものかを考えてみる。

アメリカ人の1%しかまともな者がいない論:
私は先頃ノースウエスト航空の機内で語り合ったアメリカの事情に通暁した同胞と「アメリカ人が100人いればまともな者は精々1人で、後は・・・」というアメリカ人の中でずば抜けて優れた者の1%論を論議し、そういうものだという点で折り合ったと述べたばかりだ。この議論をした1990年頃のアメリカの人口は2億6,000万人ほどで、今や3億2,000万人にまで増加し、minoritiesが白人の数を超える日も近いと言われている。

仮にその複数の少数民族の大多数がトランプ支持に向かうとすれば、彼が当選する事態は十分に起こり得るのだ。私は1~5%の支配階層が95%の者たちを支配すると言ってきた。即ち、その95%の中から雪崩を打ってトランプ支持に回ればクリントンに勝ってしまうこともあり得るとの説を唱えたくなった次第だ。

くどいようだが、私が何度も指摘した来たことで、アメリカ人の95%の垂直方向に身分も地位も上がる可能性がないと考えて、その階層がトランプを選んでしまう危険性はあるかということ。そこには勿論トランプが彼らにとって都合が良いことを吠えている点もあるが、私が恐れることは、何と言っても怖いのが彼らの思考体系が「二者択一」であることだ。彼らが「エイヤッ」とばかりにトランプ支持に走ってしまう危険性は低くないと思う。

差別か:
また、米銀の著名なデイーラーだったO氏も嘗て指摘されたことで、銀行の組織には”clerk”という先ずそこから這い上がることがない職位で入行した人たちがいて出世とか自分を磨いて偉くなろうなどとは考える必要もなく向上心は気迫だと聞いている。私が長年在籍した製造業の世界では地方と言わずに工場にいる事務職や所謂製品課等の職員は皆「地方採用」で先ず余程のことがない限り本社機構に上がっていくことはない。しかし、そこにも「寄らば大樹の陰」ではなくても、少なくとも大樹の葉の裏くらいの安定感があるのだ。

そういう連中にはトランプが言うことが小気味良いように聞こえるかも知れない。私は実質的に本社機構の中に組み込まれてはいたが、諸般の事情があって本来は交流することがない工場の事務職や組合員たちとも話し合い、色々と講釈を言わざるを得ない機会が頻繁にあった。彼らの本社の管理職たちに対する思い(畏怖の念、羨望、敵対心等々の複雑なもの)も聞かされていた。組合員たちには白人もいれば英語もろくに分からないアジア系もいるので、彼らとの対話にはそれなりに苦労したが、彼らのものの考え方も少しは認識できていた。

労働組合員と会社側:
それでは、組合員は虐げられて不幸せかと言えばそれは誤った見方なのだ。彼らは労働協約もあって法律の庇護の下にあり年功序列で昇級するから、本社機構の中にいる者たちのように懸命に働くことも、懸命にになって仕事を覚えて働かなくとも先ず職を失う危険性がない立場にあるのだ。しかも、一生組合員の身分で終わると承知しているのだから、マニュアルに定められたことをやっていれば安泰なのだ。そのような組合員に「懸命に努力して品質改善をしないと日本市場で最大の市場占有率を取れない」などと言っても、初めのうちは”None of my business.”だったのは不思議でも何でもなかった。

そういう世界であれば、製造業の本社機構の中にも銀行で言う”clerk”と同じようなスピード出世などあり得ない者たちもいるのだ。彼らは言わば上述の90%に属すると言えるのだ。マネージャー以上副社長に昇進する者たちはIvy League等の私立大学のMBA乃至はPh.D.であり、入社した時点で”speed track”と言われる出世街道を進んで行く。全く別世界の連中なのだ。但し、この街道を走行する者は一度でも失敗すれば地位も職も失う危険性が常に99%もある。

そうではない者たちの意欲を向上させるのは至難の業だった。それは彼らは与えられた仕事をその給料に見合うように無難にこなしていれば失業(失職)の危機もないのだ。しかし、そういう者たちの多くは4年制の州立大学出身者もいる。中には意欲を持って夜学に行っても紙パルプ学の単位を取って工場の管理職になろうと励む者もいるというように千差万別である。しかし、彼らがどれほど頑張っても地位は上がらないのだ。この辺りが我が国の会社と違い過ぎる点だ。

出世意欲:
従って彼らの中には適当にお茶を濁すような仕事をする者たちもいる。私はその連中を何度怒鳴ったか覚えていないほど厳しく接した。彼らの中には「言えば解る」者もいたが、何度教え諭しても態度を改める気もない者たちがいた。それはある程度当たり前で、心を入れ替えても出世の道がなければ一所懸命にはならないのだ。その連中の前に如何に人参をぶら下げるかは私の仕事ではなかったが、彼らを教え諭さないことには私の仕事に差し支えが生じるので、敢えて嫌われ役を買って出たのだ。アメリカは我が国のように悪平等に近い平等な世界ではないので、虚しい気はしたが”better late than never”の考えで当たってきた。

実は、かく申し私もW社転身が決まって人事部に登録に行った際に「君の身分は生涯東京事務所の一マネージャーであり、それでも良いと思って入社するのか。覚悟はあるのか」と確認された。こういう国の会社組織の話をする日本人は少ないだろうとは思う。しかし、身分も地位も上昇しなくても何歳になっても業績次第で昇給していく。そこには定年制もないのだ。もっと聞きたいとでも言われる方があれば、喜んで何処にでも行って語る用意はある。

結び:
だが、Wしゃ引退後22年も経ったが、未だ嘗て私が知り得たアメリカの深いところまで突っ込んで語ったことはない。それは言わない方が良いとも考えていた為だ。日米間の企業社会の文化も違えば、我が国アメリカとは違い過ぎる。我が国の基準でしかアメリカを見てこられなかった方々に「私のアメリカ論」を展開しても余り手応えがなかった。だが、またそれを放置しておいては良くない時期が来たような気がするのだが。