新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5月2日 その2 多忙だった4月末日

2016-05-02 08:28:30 | コラム
新大久保駅の混雑に変化が:

ゴールデンウィークとやらの2日目になって都心には人の出はまばらかなと思いつつ、午前10時前に代々木上原駅前の吉田クリニックに2週間振りにプラセンタ・エキスの注射を受けに出かけた。出発寸前に昭和20年の中学入学以来の級友が藤沢から午後から東中野に行くのでその前に会おうとの確認の電話があり、有り難いことと感謝しつつJR山手線の新大久保駅に向かった。

意外だったのは、最早Koreatownは衰退の一途を辿っていると思っていたにも拘わらず、狭い改札口前のホール(と言えるのか?)は往時の混雑振りだったこと。矢張り好天に恵まれた休日には婦女子が押し寄せるかと思いつつ新宿駅に向かった。そこで小田急線に乗り換えるのだが、此処でも人の波をかき分けて進んでいるかの感があるほどの混雑で、矢張り多くの人は近場に出かけるのかなと思わせられた。

11時過ぎに吉田クリニックから再び新宿駅に戻ってものは試しと地上に出てみれば、小田急百貨店も結構な混雑振りだったし、駅構内も明らかに小田急沿線の何処かに出かけるのだろう人たちで賑わっていた。これは読み違いだったかと反省して急遽帰宅し、級友の来訪に備えるべく早めの昼食をとった次第。そこにまた電話で相模大野を通過というので、1時までには新大久保駅に到着すると予測して出かけた。

その駅について驚かされたことには、呆れるほど多くの人たちが改札口を出てくるのだった。しかも、そのほとんどが若い女性たちではなく、白人ではない外国人、即ち、中国人とイスラム教徒に加えてごく普通の人と見える同胞の男性が多かったのだ。外国勢は兎も角として、この界隈に多くの男性が押しかけてくる現象はこれまでになかったことで、一体この人たちは何処に行く気かと大いに疑問に感じていた。

そこに級友が「暫く新宿駅を通ってくることがなかったので迷った」と言いながらやや見込んだ時刻よりも遅れて現れた。彼は早稲田出身であるから新宿駅には馴れているはずだが、それほど混雑していたのではないかと思って聞いた。そこから約1時間ほど、駅前のルノアールで久しぶりに語り合ったが、彼は未だに自ら設立した建設コンサルタント会社の現職の会長で、今では石破地方創生相のプロジェクトに2名の同期生と直接関与するなど意気軒昂たるものがあった。彼は私が昨年から入退院を繰り返していることを案じて多忙中に拘わらず立ち寄ってくれたのだった。感謝あるのみだ。

2時過ぎに彼を大久保駅で見送ってから帰宅して、3時の予約の歯医者さんに向かった。これはブリッジの歯の下になる歯の神経を抜いた後の処置で、連休中の土曜日の午後でも休んでおられなかったのだ。聞けば5月1日も地区の当番で診療されるのだそうだ。そういう当番医の制度があるとは承知していたが、実際にその医院に出会ったのは初めてだった。今度のような長期の連休ともなれば、急病人はどうするのかと気懸かりだが、そういう当人も何時発症するかも知れない重大な疾患を抱えているのでよそ事ではないのだ。だが、その際には国際医療研究センター病院の救急外来に行くしかないとは承知している。

歯医者さんでの治療が終わって4時前に帰宅して短いような長かっためまぐるしかった一日の予定が終わった。午前中にプラセンタ・エキスの注射を受けて体力を強化してあったとは言え、一日に三件もの予定をこなすことは病み上がりの後期高齢者にはかなりの負担で、夜には巨人がヤクルトに連敗する野球中継を楽しんで休養に充てた。

テレビドラマの台詞への疑問

2016-05-02 07:29:52 | コラム
「手術は成功しました」は疑問だ:

テレビドラマでは手術室から出てきた執刀医が必ず上記のように言う。私はこれが誤りであるとまでは言わないが、少なくとも正確ではないと思っている。もしも何か言うならば「手術が出来ました」くらいではないのか。事実、我が家では家内が2月24日に「すべり症」(腰椎分離)の手術を東京山手メデイカルセンターを受けた。その手術後に執刀医の侭田部長先生は「無事に終わりました」と私と長男に告げられたが「成功しました」のようなテレビドラマのようなことは言われなかった。私はその通りかなと思って承った。

現実には家内は手術後3ヶ月間は「階段の上下」、「お辞儀」、「腰を曲げる」(=床に落ちた物を拾うな)、「硬いベッドに寝る」、「重いものを持ってはいけない」等の行動の制限が課せられ、術前に注文生産されたコルセットの着用を命じられている。即ち、発症以前の日常生活を完全には取り戻せていないのだ。だが、確かに手術前には5分と歩けなかった状態は解消され、どれだけの時間でも距離でも歩けるようにはなっている

そこに、週刊新潮の最新号から「佳く生きるための処方箋」と題した連載を開始された今上天皇の執刀医だった順天堂医院長の天野篤先生が「外科医としては(手術は成功しましたかとの質問には)答えられない、いや、答えてはならないと思っています」と書いておられる。さらに2012年2月に陛下の心臓手術を執刀された直後の記者会見でも「陛下が術前に希望されたご公務と日常の生活を取り戻されたときに、初めて手術は成功したといえます。その日が来るのを楽しみにいたしております」と答えたと述べておられる。

当にその通りだと思って読んだ。我が家では未だ家内は日常生活を取り戻せる何歩かの手前である、たとえ何の問題もなく出歩けるようにはなっているし、上半身だけでの家事も出来るようにはなっていても。亭主として待ち望んでいるのは、手術後3ヶ月目の外来での診察と検査で、コルセットの取り外しと腰を曲げることの許可を頂けることだ。それで初めて手術の成功だったと言えるのだと考えている。