新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

2月19日 その2 泣き言

2018-02-19 14:55:59 | コラム
平昌オリンピックの為に発想力が鈍った:

このところ、余り何事についても意見を述べていない状態に陥っている。その原因を考えて見るに「見ない」と言っていた冬季オリンピックの過剰なテレビと新聞の報道につい反応してしまって、例えば「羽生君が見事に連覇した」となると、ついそれに就いて如何なる講釈をするべきかと考え込み、「小平奈緒さんが宿敵の李相花を退けて優勝」すれば、その快挙を褒め称えねばなるまいかと文案を頭の中で練ってしまうという具合だ。気が付けば思考力がオリンピック中心になってしまったのだ。

このDPRKにかき回されたオリンピック以外にも世界中で色々な重要且つ難しい問題も起きているし、DPRKへの制裁の効果が何時頃実を結ぶかも重大な事柄だろう。トランプ様が言われる「全ての対策はテーブルの上に」も良く考えなくとも不気味だ。国内では野党が何時まで経っても佐川元理財局長の喚問を執拗に求めるなどという時間と国費の無駄遣いを続けているという事態もある。

即ち、国会ではこういうことではなく、朝鮮半島問題や中国の野望に対する対応策こそ真剣に討議されるべきだろうと言いたいのだ。この状況では将に金正恩の「北朝鮮に対する関心をオリンピックを利用して逸らさせよう」との罠に見事に嵌まっているのではないかとすら考えている次第だ。この先にパラリンピックまで控えているのでは、益々金正恩をほくそ笑ませるだけではないのか。


小学校3年からの英語教育を開始する必要はない

2018-02-19 07:45:22 | コラム
教え方次第では早期に英語嫌いを養成することになりはしないか:

私は日本語の能力が固まっていない小学校3年の児童に英語を教えるべきではないと固く信じている。その理由はこれから縷々述べていくが、我が国のこれまでの教え方を小学校にまで引き下げることに意味がないと思う。また、これまでに何度も指摘してきたように、実際にアメリカ人を含めた英語を母国語とする人たちが日常的に使っている表現の中には多くの慣用句と口語的表現に加えて隠語や符牒である slangも出てくるのだ。私が問題としたいことは、かかる言葉遣いは我が国の学校教育の英語では十分に教えられていないのではないかという点だ。

私はこれまでに何度も同じ主張をして来たが、この主張はこれからも繰り返していくべきだとすら考えている。私はもう20年以上も我が国の外国語教育の至らなさを繰り返して採り上げてきた。そして「英語教育が読解力と要らざる単語の知識だけを高めることを目的としていれば、現在までのところである程度以上その目的を達成していただろう」とは言って来た。だが、「我が国のように一般的な勉強(学問)の水準が高く、あらゆる分野に亘って国語で学ぶことが出来る態勢が整っている国で、万人の英語力を高める必要があるのか」との疑問も呈してきた。

更に、「英語を高い水準までものにする必要がある者たちが、それを本気で追求していけば良いのである」とも指摘した。そういう人たちはとは、海外に出ても自らの目指すところを追い求めようとする研究者や学者の方や、海外で仕事をしようと志す若者や、私(たち)のようにアメリカ乃至は外国の会社で彼らの一員として懸命に働こうとする者たちであろう。彼らが十分に意思の疎通を図れる段階を目指すか、“native speaker”並の水準を目標として学べば良いことで、現在の我が国で米国の支配階層に通じるような高い英語力を身につけても、それを何処で活かそうにもそういう場は何処にでもここにでも転がってはいないのだ。

私は何度か述べてきたが、1945年4月に旧制中学の1年生になるまでは、敵性語の英語などは見たことも聞いたこともなかった。英語の勉強はこの13歳から出発して十分に間に合った。上智大学で同級の惜しくも20歳代で亡くなった横須賀高校出身のK君の素晴らしい英語の実力には驚かされた。「世の中にはこんな奴がいるのだ」と自信家の同級生と語り合ったものだった。同時に彼の英語だけではない学力にも圧倒された。彼の英語力は既に“native speaker”並の領域に達していたが、それでも中学入学の後から学び始めたものだったと聞いて安心もしたし、同時に打ちのめされた気分にもさせられた。

私の強調したい点は勉強法さえ適切であれば、13歳というか中学入学の年齢から始めて十分に間に合うと言うか、外国人にも通用する英語力は身に付くものだという点だ。また、私は大学1~2年の時に偶然のご縁で中学1年の男子生徒を英語だけとの条件で家庭教師を引き受けたが、その子は高校を卒業するまで英語だけは「オール5」を取っていた。また某商社では2年目の若手の個人指導を依頼され2年足らずでその課で一番の英語の使い手に育てることが出来た。

では、彼らに何をどのように教えたかと言えば、上記のK君の勉強法とも同じだった「先ずは音読である。それも中学1年程度の教科書の繰り返しての音読、それも完全に暗記・暗唱できるまでの音読から始める。それは音読を重ねていけば自ずと意味が分かるようになるものなのだ。そして何度も暗記した教科書の暗唱の繰り返しだった。

単語帳などは一切作らないようにすることも重要だ。意味が分からない言葉に出会えばその都度辞書を見て覚え、絶対に書き込みはせず、英文和訳などはせずに英語のままで意味を覚えるように努めることだ。単語を覚えることを禁じたのは「単語は単なる部品であり、部品をバラバラと並べても製品にはならないのだ」という意味で、飽くまでも流れの中でその使い方を覚えるのが、上達への道である」と経験からも確信しているのだ。

商社の若手に繰り返して教え込んだことは「こういう場合はこう言えば良いのかと記憶するように」と「自分が言いたいことを日本語で思い浮かべてそれを訳すような真似をすることなく、覚えているこれはと思う表現でしゃべって見よ」だった。

何だ、それだけでは成功例が少ないではないかという反論の如きものには何度か出会った。こちらから言ったことは「それでは我が国の学校教育の英語での成功例はどのくらいあったのですか」だった。また、「私が唱える英語の勉強法で教えられる教師などいない。偏った理想論では」とも批判されたが、それも育て損なった方々のご意見として承っておくだけのことにした。

また、我が国の英語教育で気になることがある。それは無闇矢鱈に“native speaker”を有り難がることだ。私の英語をフランス文学のTK博士がいみじくも「支配階層の英語」と喝破されたが、普通に我が国で暮らしていれば仮令アメリカ人でもそういう階層の人たちの言葉に直に接する機会はそう滅多にない。即ち、余程気を付けていないと「何処の馬の骨かも解らない英語圏の国の者を、仮令それがトランプ大統領の支持層のような下層の出身であっても、有り難く押し戴くような結果になりはしないか」ということ。そういう「英語の品格と品位を聞き分けが出来る人がどれほどいるのか」という問題である。

私はトランプ大統領が“I’m gonna ~.”であるとか、“I wanna ~.”のような表現を濫用されることを非難した「上品ではない」と言って。それが彼の支持層以下に向かっての表現であり、我々日本人が初歩の段階で真似て良い言葉遣いではない。だが、そうと知って「あの言葉遣いを真似てはいけません」と教えられる人がどれほどいるのだろうか。我々は先ず“I am going to ~”や“I want to ~”をまともに使えるようにすることを優先すべきだ。

尤も、トランプ大統領が最近正式な場で使われた表現では、かかる下層階級向けの言葉遣いは影を潜めている時もある。要するに、語りかける相手次第で使い分けをされているかのようだ。「流石は富豪で、Ivy Leagueの大学の出身者だ」と認識出来た。

私は誰も彼もが支配階層の英語を目指して学ぶこともないだろうと考えている。そういう教え方をすべきか否かの議論は一先ず措くが、TOEICだの何のと、試験と資格ばかりに集中した教え方を考え直して、実際に支配階層の人たちとの交流にも役に立つような英語を教えられるような人材を野に求める必要もあるのではないかと思っている。

私は実際に海外市場の現場でかなり優れた英語力の持ち主に何人も出会っていた。だが、現行法では彼らには大学以外で教壇に立つ資格がないとも聞いた。そのような優れた英語教育の適格者が不足していても、小学校3年からを強行するのかと思うと、決して好ましいことではないと言わざるを得ない。