新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

2月20日 その2 裁量労働制とは

2018-02-20 16:18:30 | コラム
年俸制って事か?:

目下野党連合が躍起になって安倍総理以下を「隠蔽」だの何のと言って例によって例の如くに攻め立てているようだが、彼らの揚げ足取りに集約したような質問攻勢にはウンザリさせられる。尤も、今回は総理と厚生労働省側にも不手際があったようだが。実は、浅学非才の当方は「裁量労働制」とは何のことか解らずにボンヤリと聞いていた。

そこで先ず閃いたことがあった。それは、1980年代だったかに某大印刷会社で「フレックスタイム」の採用が検討されていて「コアタイム」だの何のと難しい言葉が飛び交っていた。こういう言わば「受注産業」的な業界では当然のように残業も多くなるし、営業の担当者などは遅くまで得意先に張り付いていなければ仕事にならないという大変さがあった。

だが、直ぐにどうやら今回問題になっている裁量労働制はそれとは異なる制度を指して言っているようで、中途半端な急拵えの知識では「年俸制」の導入を言っているのかと思った。だが、どうもアメリカの会社における「サラリー制」(労働組合員の時給制と対極にある)の社員の勤務態勢とも異なるようだった。

以前にも少し論じたが、私は日本の会社にも17年半も在籍していたので、日本とアメリカの会社の違いを論じることが何とか出来るのだが、どうしても理解できないことに「長時間の残業をせざる得ない事態」が発生し、その長時間の残業を悪の権化の如くに言われていることだった。単刀直入に後難を恐れて言うが「アメリカの会社よりも大人数で、アメリカの会社よりも少額の売上高の仕事を消化していて、何故それほど残業をせねばならない事態が発生するのか」と訝っていた。

アメリカのサラリー制の社員は全て会社側に属し、本社機構や工場の事務方にいる連中は全て年俸制であり、残業代など発生する訳がないのだ。本社機構にいる者などは「職務内容記述書」(Job description)にある項目を全てこなし切る前提で雇われているのだから、その為には朝何時に出勤して夜は何時に帰ろうと全てその者の判断と言うか裁量なのである。即ち、間に合いそうになければ朝は6時に出勤し、夜は9時まで残っていようと、その者の勝手なのである。

同時に、その年度の開始前に事業本部長なり誰なりの責任ある者と話し合って仕事の内容と年俸を決めてあるのだから、出退勤の時刻などは全て各人の裁量である。こう言うと如何にも簡単なことのように聞こえるかも知れないが、アメリカの会社では全て個人の主体性を重んじているから、部下などはつけて貰っていないのが普通で、頼りになるのはそのマネージャーよりも年俸が低い秘書さんだけである。

そこで、秘書さんには I’m paid for that. と I am not paid for that. とう決め台詞があって、自分に課せられた仕事だけしていれば良いのであり、もしもマネージャーが休暇のような時でも、その仕事の代役をする必要などないのだ。要するに「各人に与えられた仕事を何日でも何時間でもかけて消化するという前提で雇われているのだから、裁量も何もない」のだ。出来なければ、何処かの偉い方が言われた You are fired. が待っているだけの世界だ。

私は日本とアメリカの何れの制度が優れているとか、如何なる点に問題があるなどと言うつもりはない。これまでの「皆で朝一斉に9時までに出勤して皆で仕事を始めて一斉に帰宅し、同じ課や部に所属するのだからお互いに助け合って、同僚が苦しい時には手を貸して」という美しい文化があるところに、短兵急に恰も異文化の如き制度を導入することが改革になるのかなと、気になってしまった。私には制度そのものを変えたいのか、残業が悪であると見做しているのかが解らない。

私は何か誤解をしているか、誤認識があるのだろうか。



現代の若者は和食を好まないのか

2018-02-20 08:31:50 | コラム
海鮮料理店は満員の盛況だった:

19日は8時30分に出発して国際医療研究センター病院(NCGM)に検査(採血と心電図)に出掛けた。細かい話だが、大久保通りには大久保と新大久保駅前からNCGMの真向かいにある若松町の総務省・統計局までノンストップの都バスが9時前に2本出ている。昨日もこのバスを利用させて貰った、勿論シルバーパスで。

矢張り寒さで冷えたのか再来受付機を済まして手洗いに直行せざるを得なかったのだが、何となく「今日は採尿もありはしないか」との懸念があった。そこで採血の受付機に診察券を入れると、何としたことか採尿カップがコロンと転がり出てきた。「聞いてないよ」と心の中で叫んでいた。そこで慌てて採尿室に飛び込んだが、当然ながらここでは一苦労。後になって良く考えれば、何も直ちに採尿することはなく、落ち着いてからでも間に合ったと思った次第。

何れにせよ、無事に検査を終えて次なる目的地の高田馬場駅前のジムにバスを3回も乗り継いで向かい10時半にはストレッチを開始していた。何故これほど強行軍をするかといえば、2週間ほど前からS医師が「80肩だね」と診断された右肩の痛烈な痛みに悩まされており、暖めるのが良いと言われて入念なストレッチのウオーミングアップをしてからウオーキングに入り、その後で大浴場のユックリと風呂で体と肩を温めるのだ。ここの風呂にはジャクージーも付いているのも有り難い。

その後でジムに来ていた家内と落ち合って、駅前の雑居ビルの2階にある海鮮料理専門店で一寸遅い昼食。ここは先ず先ずの値段で先ず先ずのランチを出しているので人気があるようだ。昨日は広い店内は満員御礼の盛況だった。我々の隣のテーブルには6人の高齢のご婦人の団体?が陣取られて、あれやこれやと細かい注文をしては外国人のウエイトレス(ここでは給仕人とでも呼ぶべきか)を悩ましていた。遂には店長風の男性が出てきて何とか丸く収めていた。兎に角、この団体の大きな話し声も際立っていた。

この店内で目立った現象はと言えば、99%のお客は中高年だったということ。そこで家内とも語り合ったのだが「我々のように後期高齢者ともなれば、矢張り和食が量・質ともに合うようで、とてもマクドナルド等には魅力を感じない。更に、現代の若者はハンバーガーだの何のというファストフードで育ってきている世代であるので、刺身や天ぷら定食だの海鮮丼には見向きもしないのだろう」との結論に達した。

このビルには高田馬場地区の4大トンカツ店もあるが、ここには何時も11時30分の開店前から中高年が並んでいるし、その隣のランチで¥1,000の海鮮丼の店も非若者層に人気が高いようだ。私はこういう具合に我が国では食の分裂化があるように思えるのだ。だが、4大トンカツ店の一つであるNでは10時半にはもう若者が数多く並んでいる、開店は11時30分であるのに。Nには恐らく若者の心を捉える何かがあるのだろう。ところ、トンカツって純粋な和食かな。