新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

2月2日 その2 カタカナ語の弊害の考察

2018-02-02 13:23:41 | コラム
正しい英語を学ぶ障害になっている:

私は近頃テレビでも何でも、日本語の名詞の後に upとdownやinとoutを付けているのが気になって仕方がないのだ。それは、こういう前置詞(後置詞)や副詞を恰も動詞のように使っているのは、それなりにカタカナ交じり文として通用しているが、正しい英語を学ぶという観点から見れば、弊害としか思えないのだ。

例えば、2月1日から「プロ野球がキャンプイン」だとか「もっとレベルアップしなければ」や「プライスダウン」や「ゴールイン」や「イメージアップ(ダウン)」といったような使い方を批判したいのである。これらを本当のEnglishに訳してみろと言われれば、結構な難問であることがあるのだ。

例えば、「ゴールイン」である。私が通っているジムではインドアのトラックがあるので、海外のマラソンに出て完走した人たちが練習に来ている。彼らが着ているTシャツには Finisherとある。これで finishが「ゴールイン」に当たるのだと解る次第だ。

「レベルアップ」も多くのスポーツ選手が当たり前のように使っている。これを to improve the levelとしていた和英もあった。私が咄嗟に思い浮かべだのと同じだった。「プライスダウン」もかなり流行っているが、これは discountか reductionを使えば適切だと思う。話は逸れるが、私は「自己ベスト」というもも気に入らない。簡単明瞭に漢字4文字で「自己最高」と何故言わないのかと思う。“best”には名詞としての使い方もあるが、常識的には形容詞の「最上級」と見做すのであると思う。

プログレッシブ和英には「イメージアップ」は to improve the image としてあり、反対の「イメージダウン」は harmed (damaged/lowered) the image としてあったが、ここまで親切に載せてあったのには寧ろ感心した。「イメージチェンジ」は素直に to change one’s image としてあったのはそのまんまではないかと思った。

「キャンプイン」などは如何にも英語らしいが、既に指摘したとおり「イン」は動詞ではないのだ。私なりに何とか無い知恵を絞ってみたが、All the players got together to start their spring training camp.というのが出てきた。要するに熟語では表現しきれないことをカタカナ語二つで表せるのがカタカナ語の凄いところかも知れない。

こういう妙な一見英語風のカタカナの合成語をマスコミが乱発するから、何時まで経ってもまともな英語での作文の能力が育たないのかと思わざるを得ない。私は学校教育で「日本語と英語では根本的に発想が違うことと、安易にカタカナ語を作るな、使うな」と教えるべきだと言いたい。チャンと教えていないから、知識階層であるべき人がテレビに出て「フリップを出します」などと平気で言える醜態を演じるのだ。


英語の話

2018-02-02 07:55:35 | コラム
英語を考える:

英語の発音:
この厄介な点は「日本語とは使う顔の筋肉がまるで違う言語だ」という点にありと考えています。簡単な例を挙げれば Wの発音です。唇の両端を横に引っ張るような形になります。これとFとVの場合は下唇を歯で噛むような形になりますし、thは舌の先が見えることもあるので、英語は口の動きを見ていれば何を言っているかが解ることがあります。

本筋から外れますが awardを「アワード」とカタカナ語で表記するのは酷い誤りで、正確には「アウオード」であるべきです。また、workはカタカナ語で「ワーク」と表記されますが、これも原語と比較すれば不正確で「ワーク」の前に「ウ」を入れて発音すると本当のworkに近くなります。

私が在職中の頃の写真を見ると、時にはあの戦後にあれほどイヤだなと思って見ていた日系二世の顔付きになっていました。正直な感想を言えば「日系人のような顔付きだな」と些か自己嫌悪に陥りました。それこそが「正しく英語の発音に使う筋肉が適応できていた事」の証拠でもあったのですが。現在のように20年以上も日常的に英語で話す機会がなくなると、頭の中は英語に切り替わっていても筋肉と口が思うようには動きませんから、頭の中の発想に付いてこなくなります。

アメリカ人には日本人が何に何故悩むにかは解るまい:

普通のアメリカ人がそこまでの理解というか認識は出来ないと危惧します。また、彼らは「日本人がどういう場合に苦しむのか」は理解できていないと思います。拙著「アメリカ人は英語がうまい」で採り上げたように、初めて本土に入って I will buy you a drink.と言われても、それを直ぐには「一杯おごるよ」という意味には採れませんでした。

ここで buy you を使う発想は我々にはないと思います。因みに、プログレッシブ和英には Shall I treat you a drink?という例文が載っています。I will be the host.などという言い方もあります。

また、その数日後にM社の本社でコーヒーを持ってきてくれることになった秘書さんに How do you take it?と尋ねられて「コーヒーカップから飲むに決まっているじゃないか」と一瞬悩みましたが、何と「砂糖とクリームは要るのか」という質問でした。アメリカ人は我々がこんな事で悩むとは思わないでしょう。

これも何度か採り上げた翻訳家の誤訳ですが、デローリアンというGMを辞めて「デローリアン」という格好良いスポーツカーを創り出した人物の自叙伝「晴れた日にGMが見える(On a clear day you can see General Motors)」の翻訳本に「それは本社の赤ん坊だ」という一節がありました。

これはこの翻訳家はアメリカ人たちが内輪で使う口語的表現である babyの使い方を知らなかった悪い例である誤訳でした。実は、私はここまで読んで訳本を読むのを止めて、直ぐに出張する機会があったアメリカで原書を買いました。

原文は想像した通りで(正確な記憶ではないかも知れませんが) It’s a corporation‘s baby.でした。「それは本社が担当することだよ」でした。これは「仕事、責任で処理すること」という意味で使い Hey, that is your baby. None of mine. などのように言います。即ち、彼らの中で日常的に過ごしていないと、出会うことがない言葉遣いです。こういう言葉遣いやidiomatic expressions 等は馴れないと惑わされるのです。

ここで結論めいたことを言えば「私はアメリカ人乃至は native speakerに英語を教えられることには余り意味がない」と考えています。その人が余程日本とアメリカにおける「英語とEnglishの違い」を弁えて文化の違いにまで精通していれば話は違いますが、そんな人が英会話なんて教える仕事をしに日本に来ますか。

発声法が違う:
肝腎なことを言い忘れました。英語と日本語の大きな違いの一つに発声法があります。日本語は余り大きく口を開けて話す言語ではありませんが、英語は口先と言うよりも「腹の底から」の発声とでも言えば解りやすいと思います。私はアメリカに出張してその英語式の発声になるまでに、余程アメリカに馴れてからは1日で十分でしたが、当初は違いを把握できずに何故あのような声で話せるのかと悩みました。真似の仕方が難しいのです。

また、電車の中などで英語圏の者が乗っていれば直ぐに解ります。それは、私が最初は日本語とは波長が違うのかと思っていましたが、後に音域が日本語よりも高いのだと分かりました。因みに、中国人同士が話し合っているとうるさいのですが、中国語の音域などはまだ高いようです。その違いが発声法にあると思います。アメリカ人の声は言わば、「音吐朗々」のように聞こえるのですが、それに対して日本語は大きく口を開かない言語です。

顔の筋肉の使い方と発声法を彼らに合わせられるようになる日本人は少ないと思います。それは教え方にも依りますが、何処が違うのかと気付くには時間と経験が必要だからでしょう。気付いて真似ができるようになったところで所詮は獲得形質ですから、英語での生活から離れれば雲散霧消してしまう危険性が高いのです。だが、そのアメリカ人並みの発声を目指すよりも、正しくて品格がある何処に行っても恥ずかしくない英語を覚える方が先決問題ではありませんか。