新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

2月14日 その2 漢字語も面白い

2018-02-14 08:24:06 | コラム
字語と言うよりは当て字か:

昨日はオランダの正式な国名の表記等を採り上げたが、漢字では「和蘭」と「阿蘭陀」が当てられているようだ。それで「蘭」の字で表記されている場合が多いらしい。

実は、私はアメリカを米国と表記するのが個人的に好みではないので、ほぼ絶対的に「米国」は使わないようにしている。それは嘗ては「米利堅」と書いたことの名残だと思っている。音感から見れば「亜米利加」の方が未だ合理的だと思うが、省略して「亜国」とするとアルゼンチンになってしまうのだ。それでは、アルゼンチンがどうなっていたかと思えば「亜爾然丁」だったのである

なお、韓国語でも中国語でもアメリカは「美国」と表記され、それぞれ「ミグック」と「メイクオ」のように発音されている。それは中国では United States of Americaを「美利堅合衆国」と表記するからのようだ。決して「美しい国」だと言っている訳ではないらしい。

翻って我が国の場合を考えて見ると、昭和37年に大阪支店に転勤して解らないというか読めない地名が多くで困惑させられた。会社が使っていた営業倉庫我あったところは「百済」であって、歴史を感じさせて貰えたし、「放出」を「ハナテン」とは読めなかった。京阪電鉄の沿線にある「樟葉」や「枚方」もお手上げだった。京都に行っても「烏丸」はどう読んでも「カラスマル」じゃないかと嘆いていた。「太秦」だって解読不能だった。


カタカナ語の問題点を探る

2018-02-14 07:56:20 | コラム
バレンタインデーだと:

本14日は「バレンタインデー」だそうだ。私の若かりし頃にはこんな騒ぎはなかったので、関心も興味もない。だが、このカタカナ語のおかしさを指摘したいのだ。何時もカタカナ語を批判するようなことを言ってきたので、「またか」と思われるだろうが、ここはご辛抱の上ご一読賜りたい。

この言葉の英語表記は Valentine’s day であって所有格の “s” が付いている。カタカナ語化する際にはこういう所有格や複数を表す “s”は必ずと言って良いほど省かれてしまうのが特徴だ。それでも、我が国では「ヴァレンタインズ・デイのことだ」と誰もが理解するようになっている。この辺りの融通無碍なところが我が国の優れた点だと思うようにしている。

他に身近にある所有格省略の例に McDonald’sがある。これをマクドナルズと呼ぶ人はいないと思う。だが、歴とした所有格の“s”が付いている。即ち、強いて日本語にすれば「マクドナルドの店」とでもなるだろう。詳しいことまで知らないが、当初はマクドナルド兄弟が始めた店だったので、所有格になっているようだ。

今では滅多に聞こえてこないか、アメリカ製のテレビドラマで音声が吹き替えになっている場合に「~の店に行こう」という台詞が聞こえてくることが多かった。これは思うに、英語では Let’s go to McDonald’s.とでもなっているのだろう。これは名字、即ち family nameが使われているが、サンフランシスコのフランス料理の名店は、故人となってしまったオウナーシェフの名前(first name)を採って Masa’s となっていた。即ち、「マサの店」である。

長々と引っ張ってきたが、どうしても言いたいことは「会話も含めて英語を使う時には、このような文法的な誤りを絶対に犯してはならないのだ」と肝に銘じて欲しいのである。かかる過ちをすることは「自分から無教養であるか、非知的階層に属している」と名乗りを上げているのと同じになるからだ。換言すれば、尊敬されないという意味だ。

私は大学に入って千葉勉教授に厳しくこの大原則というか心得を教えて頂くまでは、英語とはそういうものだとは知らなかった。W社の中ではその辺りは誠に厳しかった。そういう過ちを犯しているからと言って、貴方の相手が真っ向から貴方を軽蔑するようなことはしないが、そういう印象を与えてしまうことは決して芳しいことではないのだ。

私が敢えてここで声を大にして主張したいことは「我が国の学校教育ではこのような基本的な原則をもっと正確に厳しく教え込んでおくべきだ」という点である。その点では行き届いていないと思って長年観察してきた。表現を変えれば「カタカナ語をどれほど使われようとご随意に」なのだが、英語の場合には文法には「十二分に注意をして知識階級に属していることを証明して頂きたい」のである。