新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

2月25日 その2 我が国のラグビーの在り方

2018-02-25 20:07:14 | コラム
何処の国の代表なのか:

24日は何気なくチャンネルを変えていたら、冬季オリンピックではなくラグビーの中継に出会った。スーパーラグビーとやらで我が国(のはずだが)サンウルブズとオーストラリア代表が9人も入っているというブランビーズの対戦だった。申し訳ないが、食傷気味の平昌オリンピックよりも宜しいと思って観戦した。我が国の代表テイ―ムではないが、サンウルブズも中々のもので、ブランビーズをリードして見せてくれたのは大変結構なことだった。

私は以前からラグビー界の規定で両親の生まれた国がどうのとか、我が国で3年プレーすればどうのという国際的な取り決めがあるので、外国の選手でも規定に合えばその国の代表に選ばれる資格が出来ることに違和感を覚えていた。これに対してはラグビーの事情に精通しておられるkazkさんのご見解は違うのだが。

私は国際的な取り決めに従うことにまで異議を唱える気はない。だが、主要なポジションを外国人が占めていれば、純粋に日本人だけで代表テイ―ムを結成することが叶わず、日本人だけのラグビーの水準が国際的に見てどれほど上がってきたかが解らないのではないかという不満を持っているのだ。例えば、前回のW杯で活躍した五郎丸君でも、海外のテイ―ムに加入すれば中々正式なレギュラーメンバーに選ばれないのは何故かと思わずにはいられない。

ところで昨日のサンウルブズだが、敢えて外国人が何名いるかを数えてみる気もなかった。だが、これまでで最も外国人が多かったのではないかという印象だった。特にアナウンサーが何度も何度も「彼は間もなく代表になる滞在資格を得られる」とか「彼は帰化を申請中であって云々」と言っていたのが非常に鬱陶しかった。率直に言えば「国際的な取り決めに従っていれば、遠からぬ将来に我が国の代表テイ―ムは外国人か帰化人だけで編成されてしまうのではないか」という危機感すら感じさせられた。

私は何も国粋主義者でも何でもないが、ラグビーの強豪国でフル代表には入れそうもない連中が機会を求めて我が国に移り住んでくるようになりはしないかと怖れている。そのような選手で固めれば、それは強い代表テイ―ムが結成されるだろう。だが、そういうテイ―ムが世界的な大きな大会に出て好成績を収めたからといって、我が国のラグビーの進歩になるのかと懸念しているのだ。

偏見と言われれば甘んじて受け入れるが、世にも奇妙な髪型をして両腕に入れ墨をした選手たちが増えていることは、私には心から歓迎できないのだ。勿論、私でも「刺青」という文化に関しては、我が国と欧米の間には大きな違いがあるくらいは承知している。それでも、違和感は禁じ得ないし、あの連中は大方のスポーツクラブの会員になれないだろうし、公衆浴場だって入場拒否で苦労しているのではなどと、余計な心配までしている。

私の儚い希望としては「一度でも良いから、純粋に日本人選手だけで代表テイ―ムを結成し、世界的な大会に出て見せて欲しい」のである。例えば、主将がリーチ・マイケルと言われても「そうですか。頑張って下さいよ」と応援はするが、何となく割り切れないものが残るのだ。私は間違っているのだろうか。


2月25日は無気力な1日だった

2018-02-25 19:26:00 | コラム
気が重い天気だった25日:

25日は私が最も嫌いなというか「やる気」が起きない低温且つ今にも降り出しそうな天気で、1日中何もせずにボンヤリと過ごしていた。お陰様で冬季オリンピックも終わるところまで来たが、テレビもほとんど見ることなく終わった。

それでも、早朝のニュースと新聞で高木美帆の姉が新種目のマススタートとやらで優勝したのと、女子のカーリングがイギリス(とは言うがUKなのかイングランドなのかは判然としない)に勝って第3位に入賞したのは、その努力が報いられたのであって誠に結構だったという辺りまでは、未だ多少の意識と判断力が残っていた。

何故かは不明だったが、朝食後はずっと眠気に襲われて8時半過ぎからの張本勲の「喝」の時間までは辛うじて正気を保っていた。この番組の不思議な点は「何故あれほど頻繁に野球の関係者をゲストに呼んで他の種目を語らせるのか」という点だ。

本日は足さねばならぬ用事がいくつかあったと承知していたが、眠気には勝てず無為に終わった。19時を過ぎた今頃になって漸く少しだけその気になってきた次第で短いようで結構長い1日だった。

それにしても、野党は何故あれほど居丈高になって「裁量労働制」における厚労省のデータが不備なことを責め立てるのだろう。データが不備なことと法案そのものが不備であることは別問題だろうと思うのだが、撤回せよとわめき立てて、兎に角、嵩にかかって攻め立てている。彼らは何故あれほど喧嘩腰になるのだろうか。それが彼らの使命だとでも認識しているのだろうか。不可思議な連中だ。

80肩の痛みは早朝にはそれほどでもなかったが、昼前には矢張り痛み止めなくしては昼寝も出来ないほどになって、遂に服用してしまった。そう言えば、2~3年前の冬にYM氏が肩が痛くて腕が上がらないと言って、方々の病院に通っていたが結局は諦めていたのを思い出した。彼はその上がらない腕でも車の運転は出来ると言って2人で八ヶ岳に静養に出掛けていったのだった。彼は自然治癒するまでに約1年かかったと述懐していた。今度はそれが私の番になったらしい。