AIの進化が英語にも及ぶのでは:
国文学者にして英語にも造詣が深いKS氏が、私のここ数日の英語論を読まれて寄せられた感想の興味ある一部を引用してみよう。
<これからAIが進化してくると、「スマホに向かって日本語を呟けば、そこそこの英語に訳してもらえる時代」がそう遠からず来るはずです。じつは、今の小学生は、「英語ができなくても、日常生活やサービス業務には困らない世代」だと思っています。>
私も至極ご尤もだと思った。何分にも既に人が電脳の将棋にも囲碁にも勝てない時代になっているのだから。問題はそういうアプリケーションに誰がどうやって英語を教え込むかではないかと思わずにはいられない。それは、我が国にそういう能力を備えた人がどれほどいるかが疑問だからだ。何時の日か It’s a head quarter’s baby. でもto get away with murderでも shithole でも stretch one’s imagination too far away でも誤訳しないようなAIが出現するだろうとは予測できる。
仏文学のTK博士は「実用フランス語なんてない」と断言されたと聞く。私は始めから「実用性」だけを目指すようなことを考えずに、目標を広範囲で尚且つ高いところに定めて取り組めば、そこまで到達する過程でもかなりなり立派な英語力が備わってくるものだと考えている。低いところを狙えば、知らぬ間に swearword の世界などに踏み入ってしまうことになるのだ。
私自身のことを振り返れば、アメリカの会社に転進してからは常に何とかして周囲に数多くいる知的水準の高い人たち並みになろうと思って、彼らが仕事の場と私的な会話で使う「これは良いな。優れているな」と思った表現を記憶して真似するだけを、ひたすら心掛け出来たのだった。その結果がTK博士が言う「支配階層の英語」に知らぬ間になっていただけだと思う。要するに「優れた環境と、良いお手本に恵まれるか否か」が重要だということだ。
自分自身は一度たりと言えども「英語学」などを身につけようと目指したことはなかった。それは「英語などは科学でも学問でもなく、意思伝達の記号ではないのか」と信じていたからだ。そして、それを学ぶ手段としては中学から高校まで「音読を重ねているだけで試験で良い点が取れてしまう、理数系とは違って頭を使わないでも済む学科だ」とも考えていた。尤も、その背景にGHQの秘書の方に「英語だけで考えること」等々の大原則を教えられた利点もあったとは思う。
子供たちにどうしても英語を教えたければ、試験などで縛らずにもっと気楽に勉強できるような方法を考えるべきだろう。それも、これまでに成果を挙げられなかった既製の科学としての英語を教えてきた先生方使っていては、百年河清を待つに等しい事態になると本気で危惧する。私以外にも何人かが音読だけで上手くいった例も参考にして、教え方改革が必要だと思う。
なお、後難を恐れて言えば留学などは金がかかるだけで余り役に立たないと思う。それと、外国人というか native speakerたちは「は日本人は英語を学ぶ時にどういうことに苦しんでいるかが解っていないと思っているべきだ。即ち「無闇に何処の馬の骨かも解らない外国人を連れてくるな」と言いたいのだ。
我が国まで来て英語を教えたいなどという連中は、先ず「食い詰め者では」と疑ってかかっても良いだろう。まともな能力と一流私立大学のMBAのようなチャンとした学歴があれば、自国で良い職に就けているはずだ。アメリカにおける私立大学と州立大学の格差をより正確に把握しておく必要があると思う。
KS氏も言われたように、何時の日かAIに英語を教えて貰うようになるかも知れない時代だ。AIには shithole などという言葉などを使わせないように仕込んでおくと良いだろう。
国文学者にして英語にも造詣が深いKS氏が、私のここ数日の英語論を読まれて寄せられた感想の興味ある一部を引用してみよう。
<これからAIが進化してくると、「スマホに向かって日本語を呟けば、そこそこの英語に訳してもらえる時代」がそう遠からず来るはずです。じつは、今の小学生は、「英語ができなくても、日常生活やサービス業務には困らない世代」だと思っています。>
私も至極ご尤もだと思った。何分にも既に人が電脳の将棋にも囲碁にも勝てない時代になっているのだから。問題はそういうアプリケーションに誰がどうやって英語を教え込むかではないかと思わずにはいられない。それは、我が国にそういう能力を備えた人がどれほどいるかが疑問だからだ。何時の日か It’s a head quarter’s baby. でもto get away with murderでも shithole でも stretch one’s imagination too far away でも誤訳しないようなAIが出現するだろうとは予測できる。
仏文学のTK博士は「実用フランス語なんてない」と断言されたと聞く。私は始めから「実用性」だけを目指すようなことを考えずに、目標を広範囲で尚且つ高いところに定めて取り組めば、そこまで到達する過程でもかなりなり立派な英語力が備わってくるものだと考えている。低いところを狙えば、知らぬ間に swearword の世界などに踏み入ってしまうことになるのだ。
私自身のことを振り返れば、アメリカの会社に転進してからは常に何とかして周囲に数多くいる知的水準の高い人たち並みになろうと思って、彼らが仕事の場と私的な会話で使う「これは良いな。優れているな」と思った表現を記憶して真似するだけを、ひたすら心掛け出来たのだった。その結果がTK博士が言う「支配階層の英語」に知らぬ間になっていただけだと思う。要するに「優れた環境と、良いお手本に恵まれるか否か」が重要だということだ。
自分自身は一度たりと言えども「英語学」などを身につけようと目指したことはなかった。それは「英語などは科学でも学問でもなく、意思伝達の記号ではないのか」と信じていたからだ。そして、それを学ぶ手段としては中学から高校まで「音読を重ねているだけで試験で良い点が取れてしまう、理数系とは違って頭を使わないでも済む学科だ」とも考えていた。尤も、その背景にGHQの秘書の方に「英語だけで考えること」等々の大原則を教えられた利点もあったとは思う。
子供たちにどうしても英語を教えたければ、試験などで縛らずにもっと気楽に勉強できるような方法を考えるべきだろう。それも、これまでに成果を挙げられなかった既製の科学としての英語を教えてきた先生方使っていては、百年河清を待つに等しい事態になると本気で危惧する。私以外にも何人かが音読だけで上手くいった例も参考にして、教え方改革が必要だと思う。
なお、後難を恐れて言えば留学などは金がかかるだけで余り役に立たないと思う。それと、外国人というか native speakerたちは「は日本人は英語を学ぶ時にどういうことに苦しんでいるかが解っていないと思っているべきだ。即ち「無闇に何処の馬の骨かも解らない外国人を連れてくるな」と言いたいのだ。
我が国まで来て英語を教えたいなどという連中は、先ず「食い詰め者では」と疑ってかかっても良いだろう。まともな能力と一流私立大学のMBAのようなチャンとした学歴があれば、自国で良い職に就けているはずだ。アメリカにおける私立大学と州立大学の格差をより正確に把握しておく必要があると思う。
KS氏も言われたように、何時の日かAIに英語を教えて貰うようになるかも知れない時代だ。AIには shithole などという言葉などを使わせないように仕込んでおくと良いだろう。