新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

「平昌オリンピックは見ないと言ったが」の訂正版です

2018-02-15 17:15:14 | コラム
中々成功しない白人の世界への切り込み:

14日の夕方は日テレのニュースを見ていたら、我が代表が南北合同テイ―ムと対戦する女子のアイスホッケーの試合に切り替わってしまった。そこで、見ないと言ったオリンピックを見てしまった。私はサッカーという団体競技で育ったので、スキーやスケート等の個人種目には余り関心も知識もないが、アイスホッケーはサッカーに通じるパスの組み立てがあるので、最後まで見てしまった。世界の序列では我が代表が9位で、韓国が22位だったはずだから、言うまでもなく勝って当たり前だと思っていた。

結果は合同テイ―ムが第3ピリオドにGKを抜いた6人攻撃を仕掛けてくれた際に追加点が取れたので、4対1でオリンピック参加史上初の勝利にはなったが、不満が残る勝ち方だった。それは鍛え方によると思うが、我が方の攻撃の形は寧ろバスケットボールにも似た形で5人が忠実にポジション取りをして、後陣に言わばポイントガードが控えて横のパス交換をするか前方の空いているFWにパスを出すという型通りの攻め方をしているとみた。

だが、如何なる指導があったかなど知らないが、綺麗にパスを回すための後陣へのバックワードパスか、相手が引いてゴール前を密集して固めている言わば壁のような守備陣に向かって無謀とも言えるロングシュートを多発している嫌いがあった。あれでは最初からひいて守っている合同テイームからはそう簡単に点が取れなかったのも当然だと思った。それにシュートそのものが不安定というか不正確で、何度も好機を逃していた。

私には「フォーメーションさえ守っていれば良い」とでも考えているのかと思わせられたほど、強引に自分で突破して点を取って見せようとの意欲が希薄に見えたのが残念だった。全般的にはパックの扱いも上手く、良く訓練されていたと思わせてくれた。残された課題は欧米人と当たった場合の体格と体力と身体能力の差を如何にして克服すべき点と決定力の向上だと思う。この辺りは我が国のサッカーの問題点にも共通するものがありはしないか。

女子の1,000 mのレースも見ていた。小平と高木は持てる力を出し尽くしても、オランダ勢に1秒の何分のいくつかの差で勝ちきれなかった。これまでの精進と努力は賞賛に値すると、心から褒めてあげたい。立派な成績である。持てる力を出し切って2位が限界だったというのは残酷だったと思わざるを得なかった。

話は変わるが、私はこれまでに何度も「我々日本人がアメリカ(欧州でも良いが)の会社で彼らの中に入って彼らと同等乃至はそれ以上に(物理的にも)働くのは非常に不利な場合がある」と言ってきた。それは彼らの会社のシステムは「彼らの体の大きさ、骨格、身体能力、持続力に基づいて設計されているので、我々が彼らよりもこれらの点で劣るとまでは言わないが及ばない諸々の点があるので、苦労する点が多いのは事実だと思う。だが、、頭脳というか知的水準では絶対に同等かそれ以上である」と思っている。

だが、こういう現実の問題点は実際に彼らの中に入って働くなり、競技をして経験してみなければ解らないものだと言える。換言すれば、外から見ていてだけは分かり得ないのだ。だからこそ、何度も「こういう不利な点を乗り越えて、所期の成績を残すのは容易でなないと言える」と指摘してきた。

今回の平昌オリンピックを見ていると我が国の代表選手たちが僅差で2位になってしまった種目を見ていれば、皆彼らの世界で彼らの身体能力と体力と(脚の長さも?)を基準にして開発され普及してきた個人種目である。そこに我が国の相対的に小柄で身体能力的にも劣勢に見える若者たちが果敢に挑んでいって、あそこまでの成績を挙げたのは、マスコミ共が「メダルを獲った」と大騒ぎする以上に立派な成果だっただろうと私は考えている。

私が言っていることの意味が解らないと言いたい方には「一度で良いから試しに外資系ではなくて、本当のアメリカの会社そのもの、それも大手製造業に高給で迎えられてみて、彼らの中で夜を日に次いで時差などは頭からないものと思って、早朝から深夜まで国の内外を移動しても、上から期待され、達成すると確約した成績を挙げる為に働き且つ移動し続ければ、どれほどの負担になるかが解る」と申し上げてみたい。オランダの強力な女子スケーターたちは、そういう環境が生みだした強豪なのだと思う。

大谷翔平も知ってか知らずにか、そういう世界に入っていこうとしている。彼らの生まれ持った強靱なというか、並外れた体力の恐ろしさは、彼らに対抗せねばならない立場に追い込まれて初めて解るものだ。私は在職中に火曜日に米国から帰ってきて出社したところ、木曜日か急に本社を訪問したいと欧州から回ってこられたお客様のアテンドに一泊で来いと言われて、また飛び立ったことがあった。ここで時差がどうのなどと言っているようでは使い物にならない世界だ。

そういう事が基準の世界で好成績を残したあの高木、小平、原、高梨、渡部、平野という人たちは、ただ単にメダルとやらを獲っただけが立派な成績だったと褒め称えるのでは片手落ちだと思う。

平昌オリンピックは見ないと言ったが

2018-02-15 08:33:42 | コラム
中々成功しない白人の世界への切り込み:

14日の夕方は日テレのニュースを見ていたら、我が代表が南北合同テイ―ムと対戦する女子のアイスホッケーの試合に切り替わってしまった。そこで、見ないと言ったオリンピックを見てしまった。私はサッカーという団体競技で育ったので、スキーやスケート等の個人種目には余り関心も知識もないが、アイスホッケーはサッカーに通じるパスの組み立てがあるので、最後まで見てしまった。世界の序列では我が代表が9位で、韓国が22位だったはずだから、言うまでもなく勝って当たり前だと思っていた。

結果は合同テイ―ムが第3ピリオドにGKを抜いた6人攻撃を仕掛けてくれた際に追加点が取れたので、4対1でオリンピック参加史上初の勝利にはなったが、不満が残る勝ち方だった。それは鍛え方によると思うが、我が方の攻撃の形は寧ろバスケットボールにも似た形で5人が忠実にポジション取りをして、後陣に言わばポイントガードが控えて横のパス交換をするか前方の空いているFWにパスを出すという型通りの攻め方をしているとみた。

だが、如何なる指導があったかなど知らないが、綺麗にパスを回すための後陣へのバックワードパスか、相手がゴール前を密集して固めている言わば壁のような守備陣に向かって無謀とも言えるロングシュートを多発している嫌いがあった。あれでは最初からひいて守っている合同テイームからはそう簡単に点が取れなかったのも当然だと思った。それにシュートそのものが不安定というか不正確で、何度も好機を逃していた。

私には「フォーメーションさえ守っていれば良い」とでも考えているのかと思わせられたほど、強引に自分で突破して点を取って見せようとの意欲が希薄に見えたのが残念だった。全般的にはパックの扱いも上手く、良く訓練されていたと思わせてくれた。残すは欧米人と当たった場合の体格と体力と身体能力の差を如何にして克服すべき点だと思う。この辺りは我が国のサッカーの問題点にも共通するものがありはしないか。

女子の1,000 mのレースも見ていた。小平と高木は持てる力を出し尽くしても、オランダ勢に1秒の何分のいくつかの差で勝ちきれなかった。これまでの精進と努力は賞賛に値すると、心から褒めてあげたい。立派な成績である。持てる力を出し切って2位が限界だったというのは残酷だったと思わざるを得なかった。

話は変わるが、私はこれまでに何度も「我々日本人がアメリカ(欧州でも良いが)の会社で彼らの中に入って彼らと同等乃至はそれ以上に(物理的にも)働くのは非常に不利な場合がある」と言ってきた。それは彼らの会社のシステムは「彼らの体の大きさ、骨格、身体能力、持続力に基づいて設計されているので、彼らよりもこれらの点で劣るとまでは言わないが、及ばない諸々の点があるので、頭脳という価値的水準では負けていない」と思っている。

だが、こういう現実は実際に経験してみなければ解らないのだ。換言すれば、外から見ていては分かり得ないのだ。だからこそ、何度も「こういう不利な点を乗り越えて、初期の成績を残すのは容易でなないことが言える」と指摘してきた。

今回の平昌オリンピックを見ていると我が国の代表選手たちが僅差で2位になってしまった種目を見ていれば、皆彼らの世界で彼らの身体能力と体力と(脚の長さも?)を基準にして開発され普及してきた個人種目である。そこに我が国の相対的に小柄で身体能力的にも劣勢に見える若者たちが果敢に挑んでいって、あそこまでの成績を挙げたのは、マスコミ共が大騒ぎする以上の偉業だろうと私は考えている。

私が言っていることの意味が解らないと言いたい方には「一度で良いから試しに外資系ではなくて、アメリカの会社そのもの、それも大手製造業に高給で迎えられてみて、彼らの中で夜を日に次いで時差などは頭からないものと思って、早朝から深夜まで国の内外を移動しても、上から期待され、達成すると確約した成績を挙げる為に働き且つ移動し続ければ、どれほどの負担になるかが解る」と申し上げてみたい。オランダの強力な女子スケーターたちは、そういう環境が生みだした強豪なのだと思う。

大谷翔平も知ってか知らずにか、そういう世界に入っていこうとしている。彼らの生まれ持った強靱なというか、並外れた体力の恐ろしさは、彼らに対抗せねばならない立場に追い込まれて初めて解るものだ。私は在職中に火曜日に米国から帰ってきて出社したところ、木曜日か急に本社を訪問したいと欧州から回ってこられたお客様のアテンドに一泊で来いと言われて、また飛び立ったことがあった。ここで時差がどうのなどと言っているようでは使い物にならない世界だ。

そういう基準の世界で好成績を残したあの高木、小平、原、高梨、渡部、平野という人たちは、ただ単にメダルとやらを獲っただけが立派だったと褒め称えるのでは片手落ちだと思う。