カタカナ語の濫用を戒めたい:
「またカタカナ語批判か」と思ってご一読を。
4年ほど前にメルマガ「頂門の一針」の主宰者・渡部亮次郎氏がNHKの「コンセプト」というカタカナ語を使っていたとご立腹だった。私も賛成だったが、こういう高度な?英語の単語をカタカナ語化して使うのも偶には結構かも知れないが、それ以外にもテレビ局では日常的に使っている言葉というか英語の解釈を誤って作られたカタカナ語は山ほどある。そこでその中から幾つか採り上げて批判していこう。
私の主張は「単語帳か単語カードの知識に基づいた英単語の恣意的な解釈から離れて、その単語が流れの中で如何に使われているかを正しく理解してから、カタカナ語花すべきだ」なのである。私はカタカナ語化を担当される先人の方々や現代のマスコミの方々は、英語の辞書をお持ちでないか、あるいは見向きもしないかの何れであるから、奇妙なカタカナ語を生み出せたと思っている。具体例に行こう。
トラブル trouble
解説)「言うまでもなく」と言っても良いだろうが、この言葉をテレビ局が使った時には「揉め事」か「何らかの問題が何処かで生じていた場合」か「何らかの故障、事故我あった時」か「刑事問題になりそうな事件があった時」だと受け止められる方が多いと思う。兎に角、事件の原因でも、諍いの原因でも、品質上の何らかの問題点でも、彼等は躊躇うことなく「トラブル」というカタカナ語で一括りにしてしまう。私はおかしいと思うし、元の英語の意味を何処まで弁えて使っているのかなと疑ってしまう。
大体からして、カタカナ語の「トラブル」を聞いて上に挙げた例のように視聴者がスンナリと受け入れてしまうことが恐ろしくもあると同時に、素晴らしい?我が国の学校教育における英語の成果だと思うのだ。
ジーニアス英和では先ず「心配、苦労、悩み、人にとっての心配事、苦労の種、厄介者」という具合に出てくる。2番目の項目で「・・・に関する迷惑、面倒:困難、災難、故障、骨折り、欠点」が出てくる。「揉め事」は第3番目だ。
では、Oxfordはどうなっているかと思えば「”~ についての a problem, worry, difficulty, etc., or a situation causing this」となっている。驚くことには第2項目は”illness” となっている。3番目が“something that is wrong with a machine, vehicle” とある。「揉め事」は見当たらなかった。
三省堂の「表音小英和 」では「苦労(の種)、骨折り;厄介者;揉め事、病気」の順であり、揉め事の優先度は高くなかった。
それでも、テレビ用語では頻繁に使われている。これほど広範囲な意味で使われていると知って、彼等に「具体的に日本語ではどういう意味かを解説するべきだ」と言ってやりたい。こんな言葉を安易に使って英語の小学校からの教育もないものだ。英語には“problem” という言葉がある。
ホール 多分 whole
解説)これは食べ物の番組で、美味い洋菓子(大きな円形のもので、一人前に切る前の形)を紹介する時に「ホールで買えば」等という形で出てくる言葉だ。私はもしかして「焼き上げたケーキ等をそのままの形で『放る?』ということかなというように受け止めた。だが、何度も繰り返して聞かされている間に、どうやらそれが「全体」を指す”whole”のことかなと気が付いた次第だ。だが、wholeは通常は形容詞で使われていて、このような名詞として使われる例もあるにはあると思う。
私はアメリカでもこういう使い方をするかどうかは知らない。また、wholeにアクセントを置かずに「ホール」と平べったく言われて、情けないことにwholeを思い浮かべられなかったのだ。ではwholeを日本語にすればどうなるのか、何方か教えて下さい。
ホールには他にも私には直ぐに理解できなかった例があった。それは複合語の「ホールスタッフ」というもの。解釈には未だに自信がないが、飲食店などでのウエイターかウエイトレスを意味するようだ。即ち、英語で書いてみれば hall staffらしいが、これでは意味不明だろう。かと言って漢字を使って「給仕人募集」などとすれば、如何に人手不足の今日では若者に嫌われるらしく「スタッフ」とカタカナ語して格好をつけたと推察している。
私の主張:
他にもこういう種類のテレビ局御用達のカタカナ語はいくらでもあるので、長年批判し続けてきた私も諦めかけて、日本語の一部として認めるしかないのかと考える時するある。そういうすでに「おかしい」と指摘してある例を挙げてみれば「コラボ」、「フリップ」、「シンプル」、「コンパクト」、「メジャー」、「デビュー」、「レトロ」、「ノミネート」等々と限りがない。最早、こういうカタカナ語を日本語に訳して見ろと言ってもテレビ局員たちや大学生もお手上げではないだろうか。まして、英語にして見ろと言えば恐らくお手上げだろう。
これとはまた別に旧来の漢字の熟語を消し去ってしまったかの感が深い「チームメイト」だの「クラスメイト」だのもあれば、「レベルアップ」や「イメージアップ」などという本当の英語にはそういう概念がない upとdownの恣意的な使い方もある。
結び:
私が1990年に連載を書かせて貰っていた業界の専門誌に「如何にも英語のようなカタカナ語を使うことが格好良く、教養ありげに見えるのだろう」と批判したカタカナ語だが、今や当時とは比較にならないほど増殖した。
私はカタカナ語をもう「お好きなように使いなさい。だが、何度でも言うが「この種の言葉のどれもが本当の英語とは無縁であると承知した上で」とだけは警告しておきたい。「もうこれ以上、日本語をカタカナ語化してどうする」と言いたいことに加えて「こんな誤解と混乱を招くカタカナ語を制限せずして、小学校3年から英語教育を」などと言うお役所には「カタカナ語の氾濫を如何お考えかともお尋ねしたいと思う。
「またカタカナ語批判か」と思ってご一読を。
4年ほど前にメルマガ「頂門の一針」の主宰者・渡部亮次郎氏がNHKの「コンセプト」というカタカナ語を使っていたとご立腹だった。私も賛成だったが、こういう高度な?英語の単語をカタカナ語化して使うのも偶には結構かも知れないが、それ以外にもテレビ局では日常的に使っている言葉というか英語の解釈を誤って作られたカタカナ語は山ほどある。そこでその中から幾つか採り上げて批判していこう。
私の主張は「単語帳か単語カードの知識に基づいた英単語の恣意的な解釈から離れて、その単語が流れの中で如何に使われているかを正しく理解してから、カタカナ語花すべきだ」なのである。私はカタカナ語化を担当される先人の方々や現代のマスコミの方々は、英語の辞書をお持ちでないか、あるいは見向きもしないかの何れであるから、奇妙なカタカナ語を生み出せたと思っている。具体例に行こう。
トラブル trouble
解説)「言うまでもなく」と言っても良いだろうが、この言葉をテレビ局が使った時には「揉め事」か「何らかの問題が何処かで生じていた場合」か「何らかの故障、事故我あった時」か「刑事問題になりそうな事件があった時」だと受け止められる方が多いと思う。兎に角、事件の原因でも、諍いの原因でも、品質上の何らかの問題点でも、彼等は躊躇うことなく「トラブル」というカタカナ語で一括りにしてしまう。私はおかしいと思うし、元の英語の意味を何処まで弁えて使っているのかなと疑ってしまう。
大体からして、カタカナ語の「トラブル」を聞いて上に挙げた例のように視聴者がスンナリと受け入れてしまうことが恐ろしくもあると同時に、素晴らしい?我が国の学校教育における英語の成果だと思うのだ。
ジーニアス英和では先ず「心配、苦労、悩み、人にとっての心配事、苦労の種、厄介者」という具合に出てくる。2番目の項目で「・・・に関する迷惑、面倒:困難、災難、故障、骨折り、欠点」が出てくる。「揉め事」は第3番目だ。
では、Oxfordはどうなっているかと思えば「”~ についての a problem, worry, difficulty, etc., or a situation causing this」となっている。驚くことには第2項目は”illness” となっている。3番目が“something that is wrong with a machine, vehicle” とある。「揉め事」は見当たらなかった。
三省堂の「表音小英和 」では「苦労(の種)、骨折り;厄介者;揉め事、病気」の順であり、揉め事の優先度は高くなかった。
それでも、テレビ用語では頻繁に使われている。これほど広範囲な意味で使われていると知って、彼等に「具体的に日本語ではどういう意味かを解説するべきだ」と言ってやりたい。こんな言葉を安易に使って英語の小学校からの教育もないものだ。英語には“problem” という言葉がある。
ホール 多分 whole
解説)これは食べ物の番組で、美味い洋菓子(大きな円形のもので、一人前に切る前の形)を紹介する時に「ホールで買えば」等という形で出てくる言葉だ。私はもしかして「焼き上げたケーキ等をそのままの形で『放る?』ということかなというように受け止めた。だが、何度も繰り返して聞かされている間に、どうやらそれが「全体」を指す”whole”のことかなと気が付いた次第だ。だが、wholeは通常は形容詞で使われていて、このような名詞として使われる例もあるにはあると思う。
私はアメリカでもこういう使い方をするかどうかは知らない。また、wholeにアクセントを置かずに「ホール」と平べったく言われて、情けないことにwholeを思い浮かべられなかったのだ。ではwholeを日本語にすればどうなるのか、何方か教えて下さい。
ホールには他にも私には直ぐに理解できなかった例があった。それは複合語の「ホールスタッフ」というもの。解釈には未だに自信がないが、飲食店などでのウエイターかウエイトレスを意味するようだ。即ち、英語で書いてみれば hall staffらしいが、これでは意味不明だろう。かと言って漢字を使って「給仕人募集」などとすれば、如何に人手不足の今日では若者に嫌われるらしく「スタッフ」とカタカナ語して格好をつけたと推察している。
私の主張:
他にもこういう種類のテレビ局御用達のカタカナ語はいくらでもあるので、長年批判し続けてきた私も諦めかけて、日本語の一部として認めるしかないのかと考える時するある。そういうすでに「おかしい」と指摘してある例を挙げてみれば「コラボ」、「フリップ」、「シンプル」、「コンパクト」、「メジャー」、「デビュー」、「レトロ」、「ノミネート」等々と限りがない。最早、こういうカタカナ語を日本語に訳して見ろと言ってもテレビ局員たちや大学生もお手上げではないだろうか。まして、英語にして見ろと言えば恐らくお手上げだろう。
これとはまた別に旧来の漢字の熟語を消し去ってしまったかの感が深い「チームメイト」だの「クラスメイト」だのもあれば、「レベルアップ」や「イメージアップ」などという本当の英語にはそういう概念がない upとdownの恣意的な使い方もある。
結び:
私が1990年に連載を書かせて貰っていた業界の専門誌に「如何にも英語のようなカタカナ語を使うことが格好良く、教養ありげに見えるのだろう」と批判したカタカナ語だが、今や当時とは比較にならないほど増殖した。
私はカタカナ語をもう「お好きなように使いなさい。だが、何度でも言うが「この種の言葉のどれもが本当の英語とは無縁であると承知した上で」とだけは警告しておきたい。「もうこれ以上、日本語をカタカナ語化してどうする」と言いたいことに加えて「こんな誤解と混乱を招くカタカナ語を制限せずして、小学校3年から英語教育を」などと言うお役所には「カタカナ語の氾濫を如何お考えかともお尋ねしたいと思う。