沖縄県庁に反対派が座り込み:
仲井間知事の埋め立て承認に対して圏内の反対派が座り込み、マスコミは知事の暴挙を批判する県民の声を流してくれている。例えば「あれはうちなんちゅーではない」などと言わせて。
私は良く解らないのだが、民主主義政治の下では「自分たちの代表を自らの意思で投票で選んで自分たちの意思を政治に反映されてくれ」となっているらしい。即ち、格差があろうとなんだろうと一票を投じて委任したはずだと思っている。
しかし、(あの県庁に押しかけている中にどれほどの職業運動家がいるか不明だが)沖縄県民は仲井間知事に自分たちの意思と意向を代表してくれとして支持したのではなかったのだろうか。それが今になって(金に目がくらんで)裏切られたようなことを言い出している。マスコミのその矛盾を言う前に知事の批判から入っている。
私は我が国には戦争が終わって間もなく「民主主義政治」が導入されたと記憶している。この原則は多数決だと教えられたはずだ。だが、その後それほど日が経たない間に「民主主義=平等(それも悪平等に極めて近いもの)」にすり替わっていったと思っている。いや、リベラル的と言うか社会主義的な事を指すのが民主的だと信じ込まれているようになったとすら言いたい。
その辺りを最も曲解している姿勢を見せているのが一部の政治家であり報道機関だと思わせられることが屡々だ。仲井間知事を選んだのは沖縄県民であったし、民主党に政権を与えたのも我らが国民の皆様だったのを忘れてはならない。私は民主党に懲りた多くの国民の皆様が今回は自民党を選んだのだと信じている。信じて選んだはずの安倍総理を批判するのは天に向かって唾するようなことではないのかな。
仲井間知事の埋め立て承認に対して圏内の反対派が座り込み、マスコミは知事の暴挙を批判する県民の声を流してくれている。例えば「あれはうちなんちゅーではない」などと言わせて。
私は良く解らないのだが、民主主義政治の下では「自分たちの代表を自らの意思で投票で選んで自分たちの意思を政治に反映されてくれ」となっているらしい。即ち、格差があろうとなんだろうと一票を投じて委任したはずだと思っている。
しかし、(あの県庁に押しかけている中にどれほどの職業運動家がいるか不明だが)沖縄県民は仲井間知事に自分たちの意思と意向を代表してくれとして支持したのではなかったのだろうか。それが今になって(金に目がくらんで)裏切られたようなことを言い出している。マスコミのその矛盾を言う前に知事の批判から入っている。
私は我が国には戦争が終わって間もなく「民主主義政治」が導入されたと記憶している。この原則は多数決だと教えられたはずだ。だが、その後それほど日が経たない間に「民主主義=平等(それも悪平等に極めて近いもの)」にすり替わっていったと思っている。いや、リベラル的と言うか社会主義的な事を指すのが民主的だと信じ込まれているようになったとすら言いたい。
その辺りを最も曲解している姿勢を見せているのが一部の政治家であり報道機関だと思わせられることが屡々だ。仲井間知事を選んだのは沖縄県民であったし、民主党に政権を与えたのも我らが国民の皆様だったのを忘れてはならない。私は民主党に懲りた多くの国民の皆様が今回は自民党を選んだのだと信じている。信じて選んだはずの安倍総理を批判するのは天に向かって唾するようなことではないのかな。