新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

検査入院の記

2014-04-20 15:58:09 | コラム
カテーテル検査の結果は良好:

4月17日の11:00に11回の病室に入ると、既に主治医から指示が出ていて即刻階下に降りて検査に向かう。先ずは1階で採血。次が2階で胸部X線写真を撮る。3番目が3階で心電図と検査室を駆け巡る。それでも12時の昼食の配膳に間に合ったという離れ業。そして夕方には病棟の主治医のI先生が来られて、「午前中の検査の結果は全て良好」と告知されて一安心。

その後で主治医が持参された翌日のカテーテル検査の同意書に署名。もう記憶が正しければ合計で7回もカテーテルによる動脈にstent留置の処置と検査を経験して承知していることで、同意書には「この処置には0.1%以下の率で死亡事故がある」と記載されている。一口にカテーテルと言うが、直径3ミリの冠動脈に2ミリのカテーテルを入れることはそれほどの危険を伴うのだそうだ。

2006年1月の最初の発症の時に救急車で担ぎ込まれた時にでも自分で署名していた。I先生から明日の検査は11~12時の間の見込みと告げられた。

これで明日までは自由なのかと言ってそうではなく、朝・昼・晩と就寝前に看護師さんが回ってきて検温・血圧・バイタル・便通の回数等のチェックがあるので部屋を空けていて良いとはならない。

18日の朝は付き添いの家人が到着した途端の11時に呼び出しがあり、規定により?車椅子でカテーテル検査室に向かう。この部屋の主任と覚しき看護師さんは06年の第1回の入院の時にリハビリを担当されたので顔見知り。「貴女の顔を見たくて何度も来た訳ではありません」と軽口を叩いて台の上に。

検査は恐らくこれまでで最短の40分見当で終わった。カテーテルを担当された医師からは終了と同時に結果良好と言われた。さらに室外のモニターで見ておられたI先生が「明日退院にします」と宣告された。さらに外来の主治医H医長も入ってこられて「お疲れ様」と一言かけて下さった。本当に「良かった」と思う。今回はこれまで苦しめられてきた造影剤が小水に回るための激しい尿意と戦うこともなく終わり、何となく気が抜けした感がった。

そしてまた車椅子で病室に戻って、今回の検査には問題がなかろうとは期待していたが一抹の不安があったので、結果が良くて兎に角一安心。夕刻にはI先生が来られて右手首のカテーテルを入れた切り口の止血の状態を確認されて巻いてあったテープをとってそこにカットバンをはって終了。先生からは「念のため、次回の5月20日のH医長の外来の診察の前に心臓の超音波検査をします」と通告された。

19日は今回は初めて土曜日の退院となったので、事務方から「19日は土曜日のために入院・検査費用の計算が出来ないので精算しない状態で退院となる。そこで、会計で支払確約書に署名してからお帰り願いたい」と告げられた。そこで1階に降りると、他にも何人かが同様な手続きをしておられた。当方も手続きを終えてから無事に退院した次第。

明るいうちに家に帰ってみれば、やや緊張感もあった2日間の入院から解放されて多少精神的疲労が生じたようで、何となく気が抜けたような状態で家人と検査の結果が良好で良かったと語り合っていた。

理研・笹井副センター長の記者会見に思う

2014-04-17 06:58:59 | コラム
笹井芳樹氏の社会人年齢に問題があるのでは:

昨16日に行われた理研の副センター長・笹井芳樹氏の会見の中継を聞くとも無く聞いていて思い浮かんだのが、私が最も親しくさせて頂いている某有名私大のT教授が嘗て「私の社会人年齢は大学院に進んだ22歳で止まっております」と述懐されたことだった。私はこれだけを伺っただけでも、T教授が尊敬に値する方だと十分に認識できたのだった。

笹井氏は精密に構築された論理で「この度の小保方女史のSTAP細胞の研究とその論文が"Nature"誌に発表されたことから巻き起こされた混乱等々には、上司であった自分には責任がないこと」を余り表情を変えることなく穏やかな語り口で述べて行った。私は「あー、矢張りその線で来たな」と思ったので、これ以上聞いてもほとんど意味がないと痛感した次第だ。

私には彼笹井氏を批判も擁護もする気はない。彼は所謂象牙の等の中で純粋に培養され、その優れた頭脳を活かして研究の道を進まれてきた立派な方で、一般のビジネスの世界での責任論や倫理観とは別の世界で50年以上を過ごしてきたのだと思う。マスコミも芸人も屡々芸人がそうでない世界で生きて来た方と結婚すると「一般人」と呼ぶ現象と同じで、笹井氏も「一般人」ではない世界で育ちそ成長して過ごしてきたのだと思って眺めていた。

そういう勉強や研究の世界で優れた乃至は世界的な実績を残してきた方々を、かかる実績があるからと認めて一般的な組織内の管理職と同じような地位に就けて(あるいは就いて頂いて)、その結果がどうのとか、責任に取り方が云々するというのは、私は全く見当違いの批判だと思っている。笹井氏に一般社会と同様な責任を問いたい人は問えば良い。だが、それで研究者としての実績や地位を危うくして何とするという気がしてならない。

換言すれば「学問や研究の世界を外からだけ眺めていて、自分たちの文化と合わないからあれでは駄目」などと批判しているのと同じではないのかなと思うのだ。だが、だからと言って笹井氏の責任回避の態度には問題があるとは思う。私は誰でも彼に直言できる方が「貴方は貴方が住んでおられない世界には通用しがたいことを言っておられるのですよ。この世には貴方のとは別の文化もあるのです」と教えて上げれば良いのだがと思っている。

管理基準を何処に置くのか

2014-04-16 10:07:44 | コラム
管理基準の文化の相違が何をもたらすか:

先ほどミズノの管理基準と管理能力を、私にしてはヤンワリと批判した。これらを綜合すれば、「その国の企業社会における文化」の相違の問題であると言えると考えている。その辺りを経験に基づいて採り上げていく。

大雑把なのか立派なのか:
1980年代だったと記憶する。「W社製の紙のある物性値が、余りにもバラツキが激しい」と有力得意先の北欧の日本法人から苦情の申し入れがあって、購買部長さんがワシントン州の工場にまで製造の立ち会いに来られた時のこと。

現場に入られて抄紙機に設置された計測器の数値をその場で打ち出して、我が国で言えば現場の係長が「立派に我々のスペック内に入っている数値だ」と胸を張った。購買部長さんは「その数値の範囲は誰が決めたのか。そしてその範囲を知りたい」と尋ねられた。

係長は「プラス・マイナス5%で、このデータが示すように立派に基準内に収まっている」と答えた。しかし、購買部長さんは驚きで危うく倒れそうになってしまった。というのは「±5%とは、合計で10%ととは日本の感覚では考えられない大雑把な管理基準で、それを需用者側と打ち合わせすることなく設定しているアメリカ式生産者側の乱暴な感覚だ」という批判だった。

ところが、同じ日本の得意先でも製紙会社の紙加工事業部門でブラジルの現場にも出向の経験がある若手エンジニア-は、「それは違う。あれだけの重量がある厚い加工用原紙のあの数値を、W社は立派に我が社の許容範囲に適応するように管理して製造していると考えている。紙加工専業者と我々の間にはそれほどの感覚の相違がある」と、寧ろW社の技術を褒められてしまった。

全てが最終工程の責任になるようにする:
1995年にドイツの著名な印刷機製造会社の工場を、紙以外にも色々な業種の方が集まったツアーで見学したことがあった。その工場では現場で機械を操作している人たちは「マイスター」の資格を持っていると説明された。その動きと作業振りを見た鉄工所の社長さんが「全く無駄がない。流石だ。これだから世界に通じる印刷機が出来るのだろう」と感心された。だが、現職の頃には営業担当だった私にはサッパリ解らなかった。

すると、その日の夕食会で製紙業界の大手の社員でグループ内の印刷会社の経営に携わった方が「実はとんでもないことがある。印刷機のメーカーは印刷会社から苦情が来ないように厳しい管理基準で機械を作っているのは解る。だが、彼等は木材繊維を使って作られている紙の物性値の管理が何処まで出来るのか、どれほどバラツクのかなどには全く考慮しない。そして、何か問題が生じると全て紙が悪いという一方的な結論を導き出す。私はこの会社の印刷機には苦労させられた」と反論した。

鉄工会社の社長さんは「それは我々の立場からすれば当然の自己防衛策だ。鉄工所としては自分たちに責任が来ないよう作ることを考えている。紙の物理的限界などに十分に配慮はしない。製紙業界が我々に合わせてくるのが当然だくらいに考えている」と言ってのけられた。非常に相互にとって考えさせられる内容の討論になったが、各業種が自分たちの都合を優先していることは良く解るだろう。

この場合は最終的に紙が印刷・加工される時点で、それまでに関連してきた業界の自己防衛策が厳しく顕れて「紙に完璧であれ」と要求いてくるものだと解った。しかも、各業種は次の加工ないしは製造段階が如何なる基準で動いているかなどには、ほとんど配慮していないのだとあらためて認識した。

話をミズノに戻せば、夜間に加湿器を止めると如何なる結果を生じるかに対する配慮に欠けた面があるというか、自分たちの管理基準で動いた結果で、マスコミを賑わす問題を提供してしまったのではないかと思う。私は加湿器のタンクに夜間に給水できない理屈が良く解らないのだが。

NPBのミズノ製ボールの問題点

2014-04-16 07:38:45 | コラム
ミズノの管理能力に問題が:

私は再三この件を採り上げるが、ボールの反発係数問題にはさしたる関心がない。昨日、ミズノが記者会見して原因を説明して謝罪していたのを聞いて、まるで一頃のアメリカのような「自らの非を正直に認めようとしない文化と同じだ」と感じた。あの社長の如何にも謝罪しているようで責任逃れをする姿勢に些か疑問を感じた。

何度も言ってきたことだが、アメリカには謝罪の文化はない。最大限の謝り方の"I am sorry."という全面的に責任を負う危険がある表現を使わず、精々"I regret ~."が限度である。これは「かかる事態が発生したことは遺憾である」と言っているだけで、損害の補償にまで責任を持つとまで踏み込んでいない。

関西に本拠を置くミズノもその文化を持っているようだ。「ボールの芯に巻くウールの糸の含有水分が不足したのは、加湿器を一晩中回すとタンクの水が切れるから止めて作業をした」との上海にある工場の代弁のようなことをシレッとして言ってのけた。これは自分たちの現地工場での管理能力不足を問われないように他人のせいにしたと、私には聞こえた。あれで通ると思っているとしたら凄い感覚であると言わざるを得ない。

私は「これでは危ないと解っていただろう」と疑っている。それでも、推定すると彼等は「それを承知で発送していたこと」になる。まさか、現地の工場に反発力を検査する人員なり設備なりがなかったとは思えない。全品とは言わないが抜き取り検査くらいしなかったのか。もしかしてする気がなかったのかと問いたい。

それで、今になって2,300ダースだかの在庫を検査して合格品を使って貰うなどという神経の太さを見せた。私は国産ではなく中国に工場を置いていた感覚の凄さにも感心した。あの場では「既に生産現場では万一の場合の品薄に備え、全力で正規品の生産を開始した」というのが正常の管理能力だと思うのだ。

張本勲は13日のTBSの番組で「世界中で同じ球を使うべくアメリカから持ってきたら」などと言っていた。これは見当違いだが、仕方がない発言だと思う。アメリカが果たして国内生産か何処か外国で作らせているか知る由もないが、彼等の管理能力が我が国は言うに及ばす中国よりも優れているとは到底思えないので、アメリからの輸入は回避する方が無難だ。

何れにせよ、私は「ミズノの管理能力の欠陥は厳しく追及されるべきだし、NPBもコミッショナーの入れ替えだけで事を済ませた経営と管理の能力を反省すべきだ」と思う。要するにミズノという企業の文化の問題だ。