小渕優子が辞任した件に思う:
ここでは敢えて「騒ぎ」と言い敬称も省いた。昨20日の夜はBSフジのPrime Newsに期待してチャンネルを合わせれば、私が長年民主党の中で最も嫌悪する福山が出ていたので、遺憾ながら見る主体をパシフィックリーグのCSとやらの最終戦に変更した。福山の品格の無さは彼等本来の場である野党に戻って一層悪化して、ゲストの日大法学部・岩淵教授のコメントを撤回せよと居丈高振りは、司会の反町が話題を急遽切り替えたほどだった。
福山が出ている以上この番組を見る意義はないと思ったほど、私は彼の品位に欠ける相手を悪し様に罵るだけの議論でも何でもない左派丸出しの討論の仕方を嫌うのだ。恐らくあの後で如何に安倍内閣と小渕・松島両前大臣を貶しただろうと思うだけで気分が悪くなってきたのだった。ここは勿論個人的感情丸出しである。統治能力がない海江田は所謂六人衆の表舞台への再登場を阻止できずに、福山如きが大手を振ってテレビにも出てきてしまった。
そこには飯島勲氏も出ていて、何故か繰り返し自費でコピーをとって会計報告を子細に検討した言っていた。その小渕事務所等の収支報告書には前支出項目に領収証が添付されており、明治座関連の収入と支出に疑義はあっても、きちんと整っていた点が不可思議であると指摘。さらに、赤旗が9月16日(だったか)に既に採り上げて問題にしていた案件であり、小渕側が10月になるまで放置していたのも不可解と、繰り返し主張していたのも何となく不思議だった。
私は小渕優子がどれほど優れた人材であって末は総理大臣にもと、マスコミが繰り返し報道する根拠も知らない、と言うか知る術もない。史上最も若い34歳で大臣に任命されたくらいは承知していたが、それ以上のことは解らない。だが、今回の騒動があって辞任した後のマスコミ論調は、産経ですら「議員の資格すら疑わしい」とまで断じている。他は推して知るべしだ。持ち上げた後で一気呵成に下げたのだ。
今更マスコミを批判するのも詮ないことだが、これでは私も何を頼りにしたら良いものかと悩むし、他の罪なき国民の皆様方も「アレッ」と思われるのではないだろうか。私は月並みな言い方で恐縮だが、兵庫県の何とか言う泣き叫んだ県会議員の例もあったことだし、政治家を職業とする連中の金の使い方が益々信じて貰えなくなると思っている。
即ち、将来の総理大臣候補があの有様では、他にもそういう杜撰なことをしているか私的流用をしている者がいるだろうと十把一絡げにされ、これまで以上に政治家が信頼されなくなるだろうという単純な考え方だ。
もう一つ不可思議な現象が「第三者委員会」だ。近頃は当事者であるべきご当人が何かといえばその責任を放棄しないまでも、「事態の究明」を第三者委員会を設けて解明して貰うと、何ら躊躇うことなく曰うことだ。自らが行ったことを他人に解明して貰わないと解らないとは如何なることかと批判したいのだ。典型的な例に朝日新聞の第三者委員会設置がある。既にお友達ばかりが委員だとの批判が出ている。委員会で批判をかわそうとの意図が明白ではないか。
小渕優子の例では会計処理であるから会計というか経理の専門家等に任せたいという一聴尤ももらしい表現。だが、そのくらいは大臣を辞めたことで時間も取れるのだから、責任を果たすと記者会見で述べた以上、自分で取り組んでみるべきではないだろうか。決算表の数字くらい読めるような修業をしてあるべきだったのではないだろうか。私には体の悪い責任逃れにしか聞こえないのだ。
会計処理に真相も何もないと思う。だが、可及的速やかに帳簿(とは言うが今やソフトウエアー化された時代でないか。それ故に専門家の第三者でなければ解らないという理屈か?)を整理して、自分の将来のためにも身の潔白を証明すべきではないか。なお、松島みどりは個人的というか私的と言うか生理的な感情から閣僚から消えてくれて良かったというのが、後難を怖れて言えば、正直な感情だ。
ここでは敢えて「騒ぎ」と言い敬称も省いた。昨20日の夜はBSフジのPrime Newsに期待してチャンネルを合わせれば、私が長年民主党の中で最も嫌悪する福山が出ていたので、遺憾ながら見る主体をパシフィックリーグのCSとやらの最終戦に変更した。福山の品格の無さは彼等本来の場である野党に戻って一層悪化して、ゲストの日大法学部・岩淵教授のコメントを撤回せよと居丈高振りは、司会の反町が話題を急遽切り替えたほどだった。
福山が出ている以上この番組を見る意義はないと思ったほど、私は彼の品位に欠ける相手を悪し様に罵るだけの議論でも何でもない左派丸出しの討論の仕方を嫌うのだ。恐らくあの後で如何に安倍内閣と小渕・松島両前大臣を貶しただろうと思うだけで気分が悪くなってきたのだった。ここは勿論個人的感情丸出しである。統治能力がない海江田は所謂六人衆の表舞台への再登場を阻止できずに、福山如きが大手を振ってテレビにも出てきてしまった。
そこには飯島勲氏も出ていて、何故か繰り返し自費でコピーをとって会計報告を子細に検討した言っていた。その小渕事務所等の収支報告書には前支出項目に領収証が添付されており、明治座関連の収入と支出に疑義はあっても、きちんと整っていた点が不可思議であると指摘。さらに、赤旗が9月16日(だったか)に既に採り上げて問題にしていた案件であり、小渕側が10月になるまで放置していたのも不可解と、繰り返し主張していたのも何となく不思議だった。
私は小渕優子がどれほど優れた人材であって末は総理大臣にもと、マスコミが繰り返し報道する根拠も知らない、と言うか知る術もない。史上最も若い34歳で大臣に任命されたくらいは承知していたが、それ以上のことは解らない。だが、今回の騒動があって辞任した後のマスコミ論調は、産経ですら「議員の資格すら疑わしい」とまで断じている。他は推して知るべしだ。持ち上げた後で一気呵成に下げたのだ。
今更マスコミを批判するのも詮ないことだが、これでは私も何を頼りにしたら良いものかと悩むし、他の罪なき国民の皆様方も「アレッ」と思われるのではないだろうか。私は月並みな言い方で恐縮だが、兵庫県の何とか言う泣き叫んだ県会議員の例もあったことだし、政治家を職業とする連中の金の使い方が益々信じて貰えなくなると思っている。
即ち、将来の総理大臣候補があの有様では、他にもそういう杜撰なことをしているか私的流用をしている者がいるだろうと十把一絡げにされ、これまで以上に政治家が信頼されなくなるだろうという単純な考え方だ。
もう一つ不可思議な現象が「第三者委員会」だ。近頃は当事者であるべきご当人が何かといえばその責任を放棄しないまでも、「事態の究明」を第三者委員会を設けて解明して貰うと、何ら躊躇うことなく曰うことだ。自らが行ったことを他人に解明して貰わないと解らないとは如何なることかと批判したいのだ。典型的な例に朝日新聞の第三者委員会設置がある。既にお友達ばかりが委員だとの批判が出ている。委員会で批判をかわそうとの意図が明白ではないか。
小渕優子の例では会計処理であるから会計というか経理の専門家等に任せたいという一聴尤ももらしい表現。だが、そのくらいは大臣を辞めたことで時間も取れるのだから、責任を果たすと記者会見で述べた以上、自分で取り組んでみるべきではないだろうか。決算表の数字くらい読めるような修業をしてあるべきだったのではないだろうか。私には体の悪い責任逃れにしか聞こえないのだ。
会計処理に真相も何もないと思う。だが、可及的速やかに帳簿(とは言うが今やソフトウエアー化された時代でないか。それ故に専門家の第三者でなければ解らないという理屈か?)を整理して、自分の将来のためにも身の潔白を証明すべきではないか。なお、松島みどりは個人的というか私的と言うか生理的な感情から閣僚から消えてくれて良かったというのが、後難を怖れて言えば、正直な感情だ。