新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

ノーベル賞物理学賞

2014-10-08 09:26:38 | コラム
赤崎・天野・中村の三氏がノーベル物理学賞を受賞:

私はこのお三方の受賞はこの上なく素晴らしくもあり、またお目出度いことであり、我が国の物理学の水準の高さをあらためて全世界に示したことだと思って、あらためて敬意を表している。赤崎勇氏は名城大学の終身教授であり、天野浩氏は名古屋大学教授であり、中村修二氏はアメリカのカリフォルニア大学・サンタバーバラ校の教授であると同時に、一部報道では既にアメリカ市民権を得ておられるようだ。

私がこの慶事に関するマスコミ報道の中で最も印象深かった点がある。先ず赤崎教授からで、記者会見でのインタビューに答えて淡々と有り難いことと言われ、誰にこのことを告げたいかとの愚問に「最早家内と二人だけで、何時ものように普通に知らせる」と言われたことだった。次は中村教授で、現地での英語でインタビューに応じられた後で「これ(受賞)で騒いでいるのは日本くらいのもの」と同教授の面目躍如たる一言を日本語で述べられた辺りだった。

私はこのお三方の業績に何らコメントできる知識も何もない。我が国では未だに何事にもせよ「世界に進出した」、「世界に認められた」、「世界の舞台で通用した」、「世界で高い評価を得た」等々のように「世界への進出と活躍と、世界での評価」を我が事のように喜ぶことに、何となく「どうしてかな-」と思わせられるのだ。特にノーベル賞の受賞には恰も国家としての大名誉であるかの如き評価をして言祝ぐのだ。それは結構なことだろうと肯定することは厭わない。

しかし、我が国が世界でも最も優れた国の一つであることは疑うべきもない事実として確立されているのに、何故ノーベル賞受賞で漸く世界に認めて貰えたことの如くに歓喜するのかなと思ってしまう。中村教授の一言にもこれと同じような響きを感じたのだった。回りくどいことを言わないようにすれば、私はマスコミのニュースとしての取り扱い方に疑問を感じているのだが。何も「受賞して当然」と言えというのではない。

何で何時まで経っても「世界での評価」をあそこまで有り難がるのかな。「何故受賞して当然だ」とは言えないのかということ。何となく「何故スエーデンの王立科学アカデミーが世界の最高権威の如き尊敬の仕方をするのかな」と感じるのは私の誤認識で、理解不足かなと思ってしまう。

最後に、中村教授は我が国における企業内の研究の成果が正当に評価されにくい点を明快に指摘されたのは、同教授のご経験が言わせているのだろうと解る。私はそこに「全員で一丸となって事に当たる」という我が国の会社の文化と、アメリカの何事につけても「個人が主体であり、各人が会社の店先を借りて個人企業主として研究なり営業を展開する」という文化の違いが如実に表れていると思っているのだ。中村教授はそこを良しとして、UCサンタバーバラ校を選ばれたのだろう。