新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

ノーベル賞受賞の修二、中村教授に思う

2014-10-24 16:25:00 | コラム
受賞前に“tenure”を確保された実力に敬意:

私は中村教授にはここに至って一寸「毀誉褒貶相半ばする」といった風に感じさせられるのですが。だが、 UCは州立大学であっても全米で上位の州立大学に格付けされる質の高い大学で、そこでtenured positionとは矢張り只者ではないとその実力に敬意を表します。だが、米国籍まで取ってしまうほどではその方が万事都合が良いのかとも懸念しますが。

余計なことかも知れませんが、我が友YM氏はヴィザ申請の度にアメリカ大使館で「この経歴と職業ならば直ぐにでもグリーンカードが取れるし、市民権も」と勧誘されて「いたしません!!」と断り続けたそうで。「何で?」と担当官に怪訝な顔をされたとか。中村教授と彼の何れが変わっているのでしょうか。

恐らく中村教授という方は、自分一人で何でもしたがる方(ホウ)で、あの受賞演説でもしきりにfreedomと言っておられたことからして、我が国の「皆で一丸となって」や「欠席すると皆に迷惑がかかる」どころか、アメリカで言う「maternity leave(」出産休暇)を取るなら辞めろというteam workの世界」とはとても相容れないのか、ないしは体質が合わなかったのでしょう。

私にも確かにアメリカ式な勤務の仕方と出退勤には、良い面というか都合が良いなと思わせてくれる面がありました。だが、遅刻もなく、自分の都合で出勤・退勤しても構わず、有休を取ろうと何だろうと誰にも関係なく、仕事がたまって困るのは自分だけという、気楽な(ズボラでも何処からも苦情が来ない)世界は我が国の会社では望めないので中村教授が言われたfreedomは感じました。だがしかし、何処までやって良いのかという限度が解らず、正直に言って怖い面もありました。

このような文化の違いは目に見えないというか無形の怖があります。私の場合はそこを補ってくれたのが秘書の存在で、私の至らざる面を補ってくれてなお余りある能力でした。彼女とのコンビになってからの12年間を恙なく(いえ、正直に言えば多少以上ありましたが)リタイヤーまで引っ張ってくれました。中村教授もさぞかし有能な秘書さんと助手を従えておられるものと推察します。これはあの世界では必要欠くべからざることです。

話が変わりますが、中村教授の能力と実績に加えてノーベル賞受賞ともなれば、この先に先生は”tenure”以上、アメリカとUCに何を求められるのでしょうか。関心があります。私が失礼を顧みずに言えば、研究以外の面で”you know”連発の話し方をもう少しだけ、ほんのすこしだけ改良されると一層素晴らしいかなと思うのです。何れはその辺りを問われる場面が出てくるかと危惧するものです。

又もや余談かも知れませんが、University of California(=UC)はかの有名なる旗艦校の通称”Cal”のBerkeley(バークレー)等の10大学で構成されています。それぞれが独立の大学として運営されているのです。言うまでもないことで、所謂”UCLA”はLos Angeles校のことなのです。

消費税率10%への引き上げに思う

2014-10-24 09:02:16 | コラム
私はは感覚的に捉えて疑問視しています:

女性大臣二人が辞任し、後任の宮沢氏にもここから調べてきたのか一風変わった場所での支払いを政治資金から出したと鬼の首を取ったように、また野党が騒ぎ立てている。対北朝鮮の拉致被害者取り返しの重大案件もまたぞろはぐらかされるかに見えるし、韓国も国際的な批判があろうと我行かんとばかりに加藤前支局長の裁判に向かって盲進中だ。国内外に大小と軽重を問わず問題が多くなってきた

このような内憂外患が増殖中の時期にあって、自民党内で10%への引き上げ推進派と延期派に別れて議論伯仲とか報じられている。私は元々エコノミストような方々は日常的に現実の商業・鉱工業・小売業等の現実の場に立って市場の動きを身を以て体験しておられるのではなく、深く且つ広い知識と多くの統計資料をその明晰な頭脳の分析力を活かして、景気の動向を大所高所から論じておられる方々だと認識している。

私は在職中から、「景気なり市況を論ずるためには日常の仕事として市場に触れ、その動きと臭いを身体で感じて論ずるのが、多少奥行きが浅い観察になるかとは懸念するが、経験上も感覚的な捉え方の方が悲観的な見方となる傾向があっても、現実には実際の物事の流れに近いことがあった」という捉えている。現場を離れて論じても現実味に欠けると主張していた。

目下は安倍総理は7~9月期に数字が上がってきてから決断をされると報じられている。私が町を歩いて商店街を除き、食べ物屋を当たり、デパートの中に入って見れば、相変わらず「安売りで客を惹きつけよう」とする傾向が続き、テレビでは何をトチ狂ったか「原価が上がったがそれをお客様に負担して貰わないように歯を食いしばって価格維持で頑張る」などと、店主にお涙頂戴の台詞を言わせる始末だ。これでは体の悪いデフレの奨励ではないか。

私はつい先頃タクシーの暇潰しの場所が増えたことを採り上げた。マスコミは何かといえばアベノミクスのこうかがどうのと言い募るが、実際には消費者のために物価を低く抑えることこそが美風だと報じ、アベノミクスの先行きが怪しくなっていく方向に誘導しようと努めているようだ。朝日亡き後は?我々が安倍内閣の足を引っ張ると公言する気でいるようだ。

マスコミが何を言おうと彼等の勝手だが、4~6月期の結果があのように出たし、7~9月期でも化石燃料の輸入で利益を挙げた業種が潤い、円安で輸出が支えた業界が好決算をしているだけの状態にしか見えない。上述のように感覚だけでしか景気を捉えられない者が見れば、この先に10%に引き上げていった場合の結果は明らかだろうとしか思えない。2015年に入ってから何か強力に景気を引っ張る材料が待っているのならば話は少しは解るかも知れない。

何れにせよ、悲観論者の私は現場を離れた今では感覚だけで10%への引き上げが吉と出るとは考えていない。だが、政府にもお考えがおありだろうし、国際的な立場もあるだろう。海外への体面の方が国民の生活に与えるかも知れない負の影響よりも大事で、小泉流に「痛みを感じてくれ」と唱えるのだろうか。もしも財政赤字が一気呵成にバランスが取れた状態に戻った暁には「堪え忍ばされた国民に」に何か見返りがあるのだろうか。痛かっただけではたまらない気がするのだが。

引き上げ派も引き伸ばし派も事務所に籠もって会議したり気勢を上げる暇があれば、何とかいうバッジを外して銀座でも千住でも地方でも何処でもタクシーに乗って動き回って現実に触れ、景気に影響されている人たちの体感論を聞いてみればどうだ。言って置くが「統計は過去のことしか表さない。そんなものを頼りにしない」と本田宗一郎氏は言っていたのだ。直感も無視できないし、それを後から理論武装させればどうだ。