新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

国歌は皆で歌え

2014-10-29 17:33:47 | コラム
クラシカルの歌手が起用された日本シリーズ第3戦:

昨28日夜は福岡のヤフオクドーム(こんな名前になっているとはついぞ知らなかったが)に移った日本シリーズの第3戦をNHKのBSで観戦した。この試合で良かったことは開始前の国歌を小泉という女性ソプラノ歌手に歌わせたことだった。非常に良い歌い方で本当に暫くぶりに国歌を聴いて感動した。

先ずはサッカー協会のよに奇妙な流行歌手に歌わせずに本格的なクラシカルの歌手を起用したこと(国際試合で和田アキ子に歌わせた不見識なことをする協会だ。非難する理由は解って頂けると思うが)で、次は最初の「君が代は」のところで「が」が綺麗に鼻音化されていたことが良かった。聞きやすかったし、綺麗な伴奏無し(カタカナ語では「アカペラ」)の独唱だった。国歌を歌わせる時には斯くあらねばなるまい。

一方のアメリカでは、 World Series なるものも佳境に入り、連日力対力の壮烈な打ち合いが続いている。私は自慢する気はないが、お陰様でアメリカでは野球、フットボール、バスケットボールのプロと学生の試合を数多く見てきた。ここでも試合開始前に国歌が色々な歌手によって歌われる。だが、嘗て業界の専門誌のコラムに書いたことだが、1990年代にあの “Oh say can you see ~”で始まる国家を歌うのは歌手だけではなく全観衆が起立して楽しげに超えたからかにに歌うのだ。これがあるべき形だろうと思う。

我が国では何とか言う反国家的な組合があって、国旗掲揚と国歌斉唱を否定と言うか拒否して大問題となっていた。その為だろうが、我が国は立ち上がらない奴もいれば、肝心の国を代表する選手たちの中にも口を閉ざしている者がいる始末だ。アメリカでの全員で歌う場にいて、この何とも嘆かわしい事態を思う時に、一度不覚にも落涙したことがあった。自分自身で「俺はこれほどの愛国者だったのか」と寧ろ感動してしまった。

それを横から見ていた嘗ての上司が「アメリカの国歌の為に泣いてくれて有難う」と握手を求められ、大いに混乱したものだった。アメリカであのような全員で歌場面に出会った方もおられるとは思うが、私は我が国でもこの点だけはアメリカを見習って貰いたいと願っている。

アメリカという国では「何処に行っても大小を問わず国旗が掲揚されているし、国民が国旗に対して敬意を払っており、国歌の独唱には和していく。これは勿論良いことだが、私はアメリカのように色々な国から移民してきた者たちを先祖とする国民が多く、また周辺の諸国やアジアからの流入が止まらない以上、何か中心になるものを設けてその下に国民が集うような形を採っているのだと考えている。この点が我が国と大いに違うのだ。

それだけではなく、野球の場合は “7th inning strech”と称して、皆が楽しげに “Take me out to the ballgame ~”を歌うし、荘厳にも聞こえる “God bless Ameica”の斉唱もある。あのアメリカ独特の文化というか雰囲気は何度味わっても楽しいもので、「出来るものならばまた行ってみたい」と思わせてくれる。

だが、私は我が国の野球でもサッカーでも多くの観衆が鉦や太鼓の鳴り物に主導されての騒音にも似た応援には辟易となってあの場にいたいとは思わない。アメリカ式の底抜けの明るさと一種の軽さを採りたいのは何故だろう。何れにせよ、全員で国家を心から国に対する尊敬の念を表して歌うようになる教育を普及させて欲しいと思っているのだ。

国立国際医療研究センターで思ったこと

2014-10-29 08:23:45 | コラム
マスコミは撤退し始めていた:

昨28日は午前8時48分頃に国立国際医療研究センター(NCGM)の入り口に到着した。そこには未だ数台の中継車が残っており撤退の準備中のようだった。しかし、今年の5月だったかに改装の他に大拡張された1階の大広場には、未だカメラを構えた者が数名残っていた。

NCGMがどれほど「リニューアル」されたかと言えば(実はここでまたカタカナ語論だが「レノヴェーション」=”renovation”の方が適切だと思う)地下の広場から3階まで中空となり片側ににエスカレーターと反対側にエレベータが設置され、今にも「私失敗しないので」と言って米倉涼子扮する大門未知子医師が出てきそうな豪華さだ。

カメラが狙ったのだろう40歳台のカナダ国籍の(日本人?)ジャーナリストは何処にも出ていかずに、隔離病棟(病室?)に留め置かれるようだ。NCGM側も要らざる混乱が生じないように配慮してマスコミが勝手に振る舞わぬように警戒態勢を採っていたと察する。だが、あの隔離され慎重に検査されている者を狙って何らかの特ダネになるかは、私には疑わしいとしか思えなかった。

私には1ヶ月も危険な地域に滞在したジャーナリストの意欲のほどは何となく解る気もするが、その後に未だ方々の空港を経由して我が国に入ろうとした無神経さに危険を感じる。あれが羽田空港だったからNCGMに送り込めたが、他の地方空港で検疫態勢が整っておらず、近くにNCGM級の病院がなかったところに降り立っていたらどうだったかを考える時に、矢張りEbolaの恐ろしさを感じてしまうのだ。

何故我が国でHalloweenが流行るのかな

2014-10-29 07:39:58 | コラム
仮装のお祭りじゃないと思うのだが:

去る25日(土)に2003年以来11年振りに六本木に出掛けた時の地下鉄の中で、女子高生が制服を着たままで奇妙な化粧をしているのを見かけて「何事か」と奇異に感じたものだった。迂闊にもそれが”Halloween”の仮装の為のものと気付いたのは大分後のことだった。そこで解ってきたことは、我が国でも何の目的があるのか解らないこの仮装が、近年益々流行り始め、Dホーテ辺りでもそのためのカボチャや衣装を売っている状態である。

正直なところ、私は1993年末まで20年以上もアメリカに仕事で出張し続けていながら、彼の地でのこの大騒ぎが何であるかを知ろうとも思ったことがなかった。しかし、たった一度10月31日にこの行事に出くわしたことがあった。その日は本社内の至る所であの仮装をした人たちがごく普通に仕事をしているのが、私の目には不思議としか見えない光景に思えて「矢張りアメリカ人はこういう騒ぎが好きなのかな」と感じていた。

その日は事業部本部長の副社長とともに外出の予定があり、駐車場への近道でパーティションで仕切られた迷路のような他の事業部のオフィスを通り抜けていった。そこでは打ち合わせ用の椅子とテーブルで数名のスーツ姿の部員が座っていた。その横を「一寸御免よ」とすり抜けた副社長は、何と”You guys look great in businessman’s costume.”と声をかけ、”Thanks. We tried!.”という具合で受けていたのだった。

副社長のジョークと反応を和訳しても面白くないかも知れない「(今日は仮装の日だ。)君らのビジネスマンの仮装は格好良いぜ」に対して「有難う。何とか受けようとしてみたのだ」という辺りになるだろうか。私はこの辺りがアメリカ人のジョーク好きを表していると思う。

私は我が国でクリスマスを大騒ぎする商業化が全く好みではない。こういうことはこの空騒ぎだけに終わるかと思えば、今度はハロウィーンと来た。言うなれば軽佻浮薄である。そこで私なりにその背景に何があるかを考えてみれば、矢張り商業目的であのお祭りを殊更に採り上げて、あのような衣装やカボチャの”objet”(フランス語らしい)を売ろうという魂胆かなと想像している。

因みに、”Halloween”とはキリスト教に由来するようで”All Saints Day”=「諸聖人の祝日」のことのようだ。これは、この度初めて広辞苑やウイキペデイアで調べてみて知ったことだ。あの仮装をしている人たちはここまで調べているとは思えないが、どうだろう。