新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

韓国の行き過ぎた姿勢

2014-10-09 10:28:08 | コラム
ソウル中央地検に:

産経の加藤前支局長が在宅起訴された。

私はこの一件は単なる度重なる事情聴取で終わるのかと秘かに危惧していた。これまでの韓国が公の場で採った姿勢を見る限り、「恨」であるとか「反日」や「抗日」以上の何か意図的な件が多く、今回も我が国の中で発行された記事を訳して注釈を付けて訴え出たと聞けば、そのままで放置しては彼等の体面の問題になるかとすら考えていたからだ。

そこに、仁川で開催されたアジア大会であの愚かという以外ない国対国が念頭にない窃盗事件を起こした愚か者を、10万円程度の罰金で放免したのを極めてきな臭い他に何らかの意図を秘めたかの如き措置かと認識していた。考え過ぎか。

果たせるかな、この度の起訴である。如何なる判決に導く意図があるのかは、私如きが予想も予測もすべきではないと思っている。だが、簡単に終われば良いがと念じるだけだ。

私はアメリカの会社に転じる前の1970年から韓国の中ないしは小規模財閥のご一家との仕事上のつきあいがあった。そして、W社在社中とリタイヤー後にもオウナーの会長とはソウルに旅する度にお目にかかって、アメリカの紙パル業界から経済全般を語っていたものだった。会長は2000年代に入った頃に84歳だったから、日本統治時代の育ちであり、お互いに何の感情的対立もなく穏やかな交流だった。

会長はご子息全部とお孫さんまでの8人を全てカリフォルニアのUniversity of California の俗に言う「バークレー」か”UCLAの4年制ないしはビジネススクールに留学させて国際化を図っていたので、対日批判はか抗日ではないと思ってお付き合いしてきた。それだからといって私が韓国が友好的だとは考えていないし、その一家と会社が韓国を代表しているというような認識もない。だが、韓国に対する認識は少し甘かったかも知れないと考えたこともあった。

即ち、経験上からも韓国人が国を挙げて「反日」であり「抗日」ではないようかと、甘く見ていたかも知れない。

しかし、この度の起訴からはこれまで以上に異常な感覚が見えてくるもので、我が国に向かって来る姿勢を見せており、予断を許さない重大な国際的な問題だと思って憂慮している。安倍政権が毅然たる姿勢で対処されるものと期待している。

言葉は生きているのか:

2014-10-09 09:01:12 | コラム
私は日本語を変化させているのは誰だと問いたいのだ:

私はテレビが主犯だと信じている。テレビの音声を聞いていれば解ることで「それが正しい日本語か」と疑わせる言葉、熟語、表現が絶え間なく出てくる。それだけではない、私が長年批判し続けているカタカナ語などは最早「テレビ語」の重要な一部となっていると解る。面白いもので、いざこういうことを論じようと思うと先程まで頭の中に沢山あった例が出てこないのだ。言って置きたいことは「耳から入る言葉の影響力は強い」のであり、それ故に、変化させている主犯がテレビではないのかという点だ。

そこで、思い付くままに挙げていこう。先ずは「ら抜き言葉」から。最早「食べられる」ではなく「食べれる」が普通になってしまってやや違和感が薄れたが、テレビの画面では発言者が何と言おうと下の方に「ら」を入れたスーパーインポーズ(カタカナ語だ!)というのか字幕が出てくる。既に「ら抜き」は男女や年齢別を問わずに遍く普及しており、ここで私が何を言っても何ともならないだろうと諦めている。

「下の名前」も批判し続けた。姓名とは名字と名前で構成されていると、私は信じているのだ。だが、テレビ語では「名前」を「下の名前」と表現するようなキャスターと出演者の為の用語ハンドブックが出来ているようだ。「下」というのも奇妙なことで、今や日本語は左から右への横書きが普及しており、姓名を縦に書いた名刺などついぞお目にかかったことはない。それでも「下の名前」というのは「何でだろう」とテツandトモの真似をしておこう。

私は広範囲に普及した「お会いする」が不思議でならない。Atokでは「お会いする」と入れると「他の敬語に言い替え可能」として「お目にかかる」が出てくる。私は「お目にかかる」の方が正調かと信じているのだが、如何なものだろう。

ここからは氾濫するカタカナ語だ。先程も「華原朋美が誰それのカバーで」と言っていた。元は言うまでもなく”cover”であり、広辞苑では「すでに発表されている楽曲を、別の演奏者が演奏すること」とある。Oxfordには”to record a new version of a song that was originally recorded by another band or singer”とある。この二つの辞書の表現は明らかに違うが、どうも「他人が歌った曲を歌う」のは拡大解釈のようだ。だが、それをこのように説明すると長くなるので、カタカナ語にして逃げたのかと解釈。

こんな例は生やさしい方で、流れの中ではなく頻繁に出てくるカタカナ語を挙げていけば「これが果たして日本の報道か放送なのか」と疑いたいほどカタカナ語が多い。従業員か要員は全て「スタッフ」で括られて完全に戸籍を得ている。食べ物の味は「ジューシー、クリーミー、スパイシー、フルーティー」で表現せよとの規定があるようで、それを「最高」という熟語で締めるのだ。私は何の、何処がどのように最も優れているのかを聞きたいのだがね。

因みに、上記のカタカナ語の意味は「汁気たっぷり」、「クリーム状でなめらか」、「香辛料がよくきいている」、「果物の香りがある」であるか。だが、これでは余計な時間がかかるので節約する為に(CMの時間に食い込まないようにか)、カタカナ語にしたのだろうか。「チャンと言えよ」と言いたい。

「ソロデビュー」や「メジャーデビュー」等というフランス語との併用も普及している。「ソロ」は”solo”のことで広辞苑では「一人で歌い、または一個の楽器で楽曲を演奏すること」とある。私はこれは多くの場合に大人数のグループを離れて「一人の歌手として」新たに登場すること捉えている。「メジャーデビュー」とは「大手レコード会社からCD等を出すこと」と解釈している。言うまでもないことで「メジャー」とは”major”=メイジャーの誤りであり、デビューは”debut”というフランス語で「初演」や「初登場」に当たるだろう。

ここで問題にしてみたいのは”debut”は英語読みにすると「デイビュー」に近くなるし、”solo debut”も”major debut”も、このように英語にしてみれば意味を為さないようになってしまうのが好ましくない点だ。こんな事をしていながら、何処かで誰かが英語教育を小学校から等と言っているのはおかしくないか。

私は「ァップする」や「ダウンする」のように”up”やdown”の等の前置詞か形容詞が主な使い方である言葉の後に「する」を付けて恰も動詞であるかのように使っている流行も芳しいとは思っていない。だが、こういう使い方も最早日本語として戸籍を得てしまったいるので、阻止しようとは思わない。使っている方々が「これは真の意味の英語ではない」と解っていて欲しいと願うだけだ。因みに、Oxfordには動詞として使うこともあるとなっているが、お勧めしたくない。

似たような用法に「ランクイン」等というのがある。広辞苑にはチャンと「順位表に載ること。一定の順位内に入ること」とある。だが、”rank in”という英語の表現は知らない。では英語では何と言うのかと問われれば”rated among the list of the top 10”辺りかなと思ったりしてしまう。なお、「ベストテン」は上位10位以内のことだろうが、和製語であり”best ten”という英語はないと思っている。恐らく”top ten (10)”のことだろうか。

私は屡々使われている「アンケート調査」というのもおかしいと思っている。それはフランス語の”enquete”=調査ないしは調査法であり、その際に質問用紙を使うものだと解釈してきたからだ。即ち、「アンケート」と「調査」が重複だと言いたいのだ。因みに、”enquete”に当たる英語は”questionnaire””survey”辺りになるが、何故フランス語をデビューさせたのだろうか。聞いたところでは、フランス語を第二外国語から外した大学すら出てきた時代なのに。

ここまで指摘したのはテレビ用語のほんの一部であり、そう思ってお聞き願えれば「ここまでカタカナ語が広まっているのか」と驚かれるだろうと思う。私はこの変化の状態を聞いて「言葉は生きている」と言うよりも「言葉が殺されつつある」と言いたくなったほど、おかしな日本語とカタカナ語の濫用と元の英語かフランス語の意味を離れた誤用が多いと痛感した次第だ。