新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月30日

2014-10-01 16:26:35 | コラム
9月30日の出来事:

昨9月30日は午前9:30には国立国際医療研究センターの、午後3:30には歯科医の予約があってそこそこ多忙だった。

その中でも珍しい出来事があった。それは午後4時過ぎに眼鏡の調節が狂ったことに気が付き、大久保通りまで出た時のことだった。駅前ですれ違ったスマホとやらで中国語を話していた青年が、こともあろうに当方と色もデザインも全く同じのRalph Laurenのポロシャツを着ていたのだ。こういう経験をされた方はおられるだろうが、余り愉快なものではない。何となく出鼻を挫かれた感があり気が滅入ったままにパリミキに入っていった。

私のシャツは昨年軽井沢のアウトレットで購入したものだが、昨日までこの広い東京というか我が国で、同じシャツに出会ったことがなかった。まさかあの北アジアの国の人が同じものを着用に及んで大久保通りを闊歩するとは夢にも思っていなかった。あれは中国からでも持ち込んだものだろうか等と疑っていた。

昨日は午後からジムに出掛けて、帰りはバスに乗って帰ってきた。そのバスに乗り合わせた2人の小学生の女児が話し込んでいるのが聞こえた。そのうちの1人が「誰かと誰かのコラボで出来た云々」と言ったのを聞いて正直に言ってウンザリだったし驚きもした。

「コラボ」とはテレビに出る連中が近頃頻繁に使うカタカナ語である。これは言うまでもなく?”collaboration”でジーニアスには”[・・・との/・・・での/・・・間の]協同、提携、協力;共同制作[with/in/between]”とある。ここまで引っ張った訳はこれは言うなれば科なり難しい単語であり、私などはほとんど使った記憶がないような代物だ。

それが、カタカナ語に良くある例でいともあっさりとカタカナ語化されて、タレントと言われているような連中が「共同制作」と言って置けば良いものを格好つけて「コラボ」か「コラボする」等と言っているのだ。私はもしかすると「共同制作」か「協同」という漢字を使った熟語を知らないのではないかと疑っている。それが小学校の児童にまで浸透していたのだからテレビも力恐るべしだと痛感した。因みに、英語には”collaborate”という動詞がある。

もう一つテレビから。何のCMかは知らないが、外国人と覚しき者が”She had it all.”と大声で車(クルマ)の内で言う。その訳語は「いい女だ」なのだ。”She had it all.”の使い方としては正しいと言っても良いのかも知れない。だが、「いい女だ」は少し品がないだろう。もう少し綺麗な日本語にすべきではないのか。これをテレビのCMで聞いたのだから「由緒正しき表現だろう」などと勝手に解釈して使って欲しくない言い方だ。

私が強いて解釈すれば「あの女性は美女の条件を全て備えている(ないしは持っている)」辺りになるのかなと考えている。ここでも言いたいことは「これは上手い表現ではあるが、かなりくだけた言い方であり、時と場所を考えて使って欲しい。実は、私は余り使った覚えがない表現だ」とでも成るだろうか。私は「この辺りにも我が国の英語の在り方にはちぐはぐな点が多いな」と感じるのだが。