悲壮感漂う日本シリーズ:
昨25日は午前中にアメリカはMLBのローヤルズ対ジャイアンツのワールドシリーズ(Wシリーズ)の第4戦目を途中まで見てから、別途に論じた第995回武藤記念講座参加のため外出し、帰宅後の18時からは日本シリーズ(Nシリーズ)の第1戦を最後まで観戦した。
Wシリーズの方は第3戦目までを少しは見てあったし、過去のシリーズの試合を見た経験からも言えることで、言うなれば「力と力の壮烈なぶつかり合いで、目に物見せてくれるぞ」という悲壮感などは希薄であり、それなりの緊張感を見せるものの勝つためには力の限りを尽くすというゲームの展開である。時には選手たちが感情も露わに衝突もするが、感情論には先ず流れていかない。
一方の我が国の野球は何処まで行っても甲子園野球の延長線上にあり、と言えば野球関係者から白状が来るのはほぼ間違いないと思っている。その意味は甲子園の野球は地方予選を勝ち抜いてきたとは言え、言うなれば”sudden death”のトーナメント方式なので、一試合ごとに負ける訳にはいかないと慎重に事を運んで、少しの機会でも逃さないように犠牲を払うバントで走者を得点圏内に送っていこうとする作戦を指すのである。細かく丁寧な試合運びだ。
そこに漂う非常に緊張した悲壮感まで漂う感覚はアメリカではあり得ないことで、言うなれば玉砕戦法式に「次なる作戦はなく、鍛え抜いた練習の成果を期待しており、失敗な許されない」という感覚の厳しい試合なのだ。一方のアメリカ式では力と力の勝負であり、最初のプランが失敗した場合に備えて第二の作戦が用意されている世界だ。この辺りが私が常に指摘する”contingency plan”があるゲーム運びである。
アメリカ式を極論的に言えば、何処まで行ってもビジネスであり、大雑把であるとも形容したいほど個人の技量に賭けており、各人もまた「やってやろうじゃないか。見ていろよ」という感覚で試合をしている。我が国のような「ティームの為に、苦労してきた皆のために」であり、言うなれば我が身を犠牲にすることを厭わない美しい精神を持って戦っているのだ。アメリカ人はこういう個人の世界を「個人のcredit」等と言っている。我が国ではかかる個人のためという精神ではスポーツをしていないと思う、特に事全国大会やNシリーズともなれば。
話しが長くなった。そういう精神とよって来たるところが違うシリーズでありながら、昨夜はTBSで北野武が「メッセンジャーとスタンリッジ(本当はスタンドリッジだろうが)が投げ合い、ゴメスとマートンが打って、呉が試合を締めたと言うが、外国人ばっかりで日本シリーズか」と皮肉っていたのがとても印象的だった。
昨25日は午前中にアメリカはMLBのローヤルズ対ジャイアンツのワールドシリーズ(Wシリーズ)の第4戦目を途中まで見てから、別途に論じた第995回武藤記念講座参加のため外出し、帰宅後の18時からは日本シリーズ(Nシリーズ)の第1戦を最後まで観戦した。
Wシリーズの方は第3戦目までを少しは見てあったし、過去のシリーズの試合を見た経験からも言えることで、言うなれば「力と力の壮烈なぶつかり合いで、目に物見せてくれるぞ」という悲壮感などは希薄であり、それなりの緊張感を見せるものの勝つためには力の限りを尽くすというゲームの展開である。時には選手たちが感情も露わに衝突もするが、感情論には先ず流れていかない。
一方の我が国の野球は何処まで行っても甲子園野球の延長線上にあり、と言えば野球関係者から白状が来るのはほぼ間違いないと思っている。その意味は甲子園の野球は地方予選を勝ち抜いてきたとは言え、言うなれば”sudden death”のトーナメント方式なので、一試合ごとに負ける訳にはいかないと慎重に事を運んで、少しの機会でも逃さないように犠牲を払うバントで走者を得点圏内に送っていこうとする作戦を指すのである。細かく丁寧な試合運びだ。
そこに漂う非常に緊張した悲壮感まで漂う感覚はアメリカではあり得ないことで、言うなれば玉砕戦法式に「次なる作戦はなく、鍛え抜いた練習の成果を期待しており、失敗な許されない」という感覚の厳しい試合なのだ。一方のアメリカ式では力と力の勝負であり、最初のプランが失敗した場合に備えて第二の作戦が用意されている世界だ。この辺りが私が常に指摘する”contingency plan”があるゲーム運びである。
アメリカ式を極論的に言えば、何処まで行ってもビジネスであり、大雑把であるとも形容したいほど個人の技量に賭けており、各人もまた「やってやろうじゃないか。見ていろよ」という感覚で試合をしている。我が国のような「ティームの為に、苦労してきた皆のために」であり、言うなれば我が身を犠牲にすることを厭わない美しい精神を持って戦っているのだ。アメリカ人はこういう個人の世界を「個人のcredit」等と言っている。我が国ではかかる個人のためという精神ではスポーツをしていないと思う、特に事全国大会やNシリーズともなれば。
話しが長くなった。そういう精神とよって来たるところが違うシリーズでありながら、昨夜はTBSで北野武が「メッセンジャーとスタンリッジ(本当はスタンドリッジだろうが)が投げ合い、ゴメスとマートンが打って、呉が試合を締めたと言うが、外国人ばっかりで日本シリーズか」と皮肉っていたのがとても印象的だった。