銀座には矢張り中国人が多かった:
10日の午後に1時間ほど時間潰しに表通りを三越から松屋まで歩き、店内にも入ってみた。銀座にも偶には行くことはあるが、平日の午後4時過ぎに歩いたのは何年振りかの記憶すらなかった。三越から松屋までは僅かの距離だが、それでも噂の通りに大きな声で喚きあう(のように聞こえるのが彼等の言語である)中国人の集団に店内と同様に数多くすれ違った。
三越銀座支店の中に入ったのは2010年代に入ってから始めかと思うほど久し振りだった。ここでは一部の人が言うように客数が少ないと感じた。以前にも指摘したことで、品揃えの範囲が狭く魅力に乏しく、しかも新宿の百貨店に馴れた身には、高額な商品が多過ぎる感が否めなかった。ではあっても「銀座だから、まー良いか」と思ってやり過ごした。感覚的な捉え方をすれば、店内の照明が暗く何となく圧迫感が残った。
松屋はその昔には松坂屋とともに木曜日がお休みの二流デパート決めつけられていたものだった。因みに、三越は月曜が定休日の一流店だった。今や百貨店には休日がないようで、全部が横並び一線のような感が深い。松屋は何となく地下の食品街に入って見た。なるほど、中国語の通訳という名札を付けた若者がいて奮闘していた。この売り場の品揃えは新宿の伊勢丹には遠く及ばないという印象だった。但し、1階の照明は明るく三越よりは印象が良かった。
今から20数年前は銀座何するものぞ、日本に来て銀座通りを歩いて感心するような外国人は田舎者だと決めつけて、何ら臆するところがなかった。しかし、リタイヤーして新宿西口の百貨店だけしか見る機会がなくなった今では、高校生の頃に感じた「銀座は凄いな」という思いが復活したし、中国人が多いと感心しているようでは時代遅れかなと、何となく劣等感に苛まれてしまった。
帰路はその昔の文堂(こんな字だったかな)の通りを歩いて有楽町の駅に向かったが、その間にスマホをヘッドセットを使って喚き続ける若い中国人の女性が私の後ろを歩き続けたのには閉口した。何分にも上述のように中国語は音域が高くうるさく聞こえるので。しかし、如何に不況が続いたと言え、中国からの観光客の出費に依存せねばならないような商法は私は感心できないのだ。自国民が沢山買うような品揃えは出来ないのかな。
百貨店として苦境脱出策として依存するのは解らないでもないが、そこまで追い込んだのは誰の責任だろか。個人消費を盛り下げた失態の責任は政府だけにあるのか。経営者たちも問題がありはしないかと考えながら、懐かしき有楽町駅から山手線で新大久保に向かった。実はそこにも中国人が増えているが、彼等は買い物をしに来ている訳ではないのが困るのだが。
余談だが、新卒で雇って頂き17年間お世話になった日本の会社の本社は有楽町にあり、この駅で毎日乗り降りしていたので懐かしきというのだが。また、何も東京の銀座と断るまでもないだろうが、日本中何処に行っても銀座があるので、敢えて東京のとした次第だ。
10日の午後に1時間ほど時間潰しに表通りを三越から松屋まで歩き、店内にも入ってみた。銀座にも偶には行くことはあるが、平日の午後4時過ぎに歩いたのは何年振りかの記憶すらなかった。三越から松屋までは僅かの距離だが、それでも噂の通りに大きな声で喚きあう(のように聞こえるのが彼等の言語である)中国人の集団に店内と同様に数多くすれ違った。
三越銀座支店の中に入ったのは2010年代に入ってから始めかと思うほど久し振りだった。ここでは一部の人が言うように客数が少ないと感じた。以前にも指摘したことで、品揃えの範囲が狭く魅力に乏しく、しかも新宿の百貨店に馴れた身には、高額な商品が多過ぎる感が否めなかった。ではあっても「銀座だから、まー良いか」と思ってやり過ごした。感覚的な捉え方をすれば、店内の照明が暗く何となく圧迫感が残った。
松屋はその昔には松坂屋とともに木曜日がお休みの二流デパート決めつけられていたものだった。因みに、三越は月曜が定休日の一流店だった。今や百貨店には休日がないようで、全部が横並び一線のような感が深い。松屋は何となく地下の食品街に入って見た。なるほど、中国語の通訳という名札を付けた若者がいて奮闘していた。この売り場の品揃えは新宿の伊勢丹には遠く及ばないという印象だった。但し、1階の照明は明るく三越よりは印象が良かった。
今から20数年前は銀座何するものぞ、日本に来て銀座通りを歩いて感心するような外国人は田舎者だと決めつけて、何ら臆するところがなかった。しかし、リタイヤーして新宿西口の百貨店だけしか見る機会がなくなった今では、高校生の頃に感じた「銀座は凄いな」という思いが復活したし、中国人が多いと感心しているようでは時代遅れかなと、何となく劣等感に苛まれてしまった。
帰路はその昔の文堂(こんな字だったかな)の通りを歩いて有楽町の駅に向かったが、その間にスマホをヘッドセットを使って喚き続ける若い中国人の女性が私の後ろを歩き続けたのには閉口した。何分にも上述のように中国語は音域が高くうるさく聞こえるので。しかし、如何に不況が続いたと言え、中国からの観光客の出費に依存せねばならないような商法は私は感心できないのだ。自国民が沢山買うような品揃えは出来ないのかな。
百貨店として苦境脱出策として依存するのは解らないでもないが、そこまで追い込んだのは誰の責任だろか。個人消費を盛り下げた失態の責任は政府だけにあるのか。経営者たちも問題がありはしないかと考えながら、懐かしき有楽町駅から山手線で新大久保に向かった。実はそこにも中国人が増えているが、彼等は買い物をしに来ている訳ではないのが困るのだが。
余談だが、新卒で雇って頂き17年間お世話になった日本の会社の本社は有楽町にあり、この駅で毎日乗り降りしていたので懐かしきというのだが。また、何も東京の銀座と断るまでもないだろうが、日本中何処に行っても銀座があるので、敢えて東京のとした次第だ。