新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

アメリカという国 #3

2014-10-23 16:56:01 | コラム
アメリカの階層を考察すれば:

以下に述べていくことは22年以上も彼等の中で、彼等の思想・信条・哲学・論理・倫理・仕来り等々の異文化に従って働いてきた経験から学習ないしは習得した知識と判断に基づいているものであって、我が国で一般的に広まっている「アメリカとは」という定義と異なっている場合が多いと、予めお断りしておきたい。

*アメリカの政治・経済・外交・軍事・教育・医療・法曹界等を動かしているのは:
私はアメリカの人口の精々5%を占めるに過ぎないと見なしているアッパーミドル以上の層だと見ている。この層の特徴として見えるのが所謂良家や名門の一族と家庭であり、それぞれの一家には代々Ivy Leagueとそれと同等の私立大学の4年制大学は言うに及ばす、ビジネススクールや法科大学院出身のMBAやPh.D.が圧倒的に多い。彼等にはそういう大学での年間の今や5万ドル(約500万円)学費を当たり前のように軽々と負担する資力があることは繰り返し指摘してきた。

さらに極論的に表現すれば、こういう家庭の出身者でなければ、私は「上記のような分野で主導的且つ指導的な立場を占めることは極めて難しいのがアメリカであること」も、これまでに指摘してきた。しかも、自由で平等で誰にも均等に機会が与えられているかの如くに喧伝されているアメリカでは、この(白人というかWASPでも良いか)層に、他の層から横滑りするとか上昇してくることもまた極めて希なのであると言いたい。

*他の層の果たす役割は:
上記の全アメリカに君臨するかの如くに見える層とは重複することは先ずあり得ないと言って誤りではない。各層が担当する分野は言うなれば独立するものであって、例えば一般的な事務員(clerkと言って良いだろう)、労働組合員、レストランのシェフ、ウエイターとウエイトレス等に別けて考えてみても良いと思う。これらの分野がその家系で必ずしも代々引き継がれている訳ではあるまいが、こういう仕事に従事してきた者たちが上記の層に入っていく例は少ないと見ている。

換言すれば、既に述べてきたように各層間を移動する例は極めて少ないと言うことだ。私が見てきた限りでもその例は少なかった。しかも上述のように支配する者たちは有名私立大学の出身者にほぼ限定されるのであり、(アメリカでは私立大学よりも格が下と見られている)州立大学に入学すれば、その時点で自分の将来が限定されたというに近い一種の諦観のようなものを抱く者すらいるのだ。

その例として挙げておきたい者がいた。彼は私と懇談して述懐したのだが「自分は高校までは勉学に励まなかったので州立のオレゴン大学(University of Oregon)にしか入れなかったので、その時点で自分の将来が限定されたと知って愕然とした。そこで日本語を操れるようになれば、自分の親が担当するような対日貿易を大きな柱とする一流企業に受け入れられるチャンスがあると考えて、2年間日本語を学んで明治大学の政経学部に留学している」だったのだ。

彼等はこういう考え方をするのである。彼の家庭は日本留学を可能にする大企業の管理職だったのも幸いした。余談だが、2年間学んだだけの日本語が明治大学での講義に問題なく付いていけたと聞かされて、私は我が国の英語教育との差を見せつけられて落胆させられたのだった。

*我が国におけるアメリカの概念:
私はこれまでに述べてきたこと及び長年語ってきた「アメリカという国」は、我が国に広まってるアメリカとは多くの点で異なっていると思う。これは、これまでの経験からも言えることで、私の説を聞かれた方々が怪訝な顔をされるのにはもう馴れているし、驚かない。しかし、そのような既成概念と違うとからと言って、私の説を真っ向から否定しては頂きたくはないのだ。この世には色々な説も意見もあるのだから。

何故そう言うのかを解説すれば、私は今日まで述べてきたアメリカのビジネス社会の実態を事前に知らずして、アメリカの紙パルプ・林産物業界の大手の会社に転身し、そこの中核をなす上述のような家庭の出身者でMBAやPh.D.が支配し指導する会社の実態しか知り得なかっただけだ。そこには、ここまで述べてきたような他の層からの流入者は極めて希であり、彼等の実態は伝聞でしか語れないだけなのだ。

即ち、私が語る「アメリカという国」は、その5%が支配する会社でと言うかそのような場でしか経験出来なかった実態を語っているので、そうではない視点でアメリカを語ってこられた方々の説とは異なっているのは当然であると思っている。故に、読者諸賢におかれましては「こういう視点に立ったアメリカ論もあったか」というような大らかな視点からお読み頂ければ有り難いのであり、それでこそ私がここまで縷々述べてきた意義もあろうかと考えている次第だ。

*結び:
ここから先はさらに具体的に「日米企業社会における文化と思考体系の相違点」や私の好む「ビジネスマンの服装学」に入っていきたいのだが、この分野を事細かに記述したものは2003年以前のワープロ時代の作品であり、今更私の技術でPCに移すのは不可能であるし、それを如何にして再現するかに深く悩んでいる次第だ。打ち直す場合には一体どれほどの時間と労力を要するかを考えると気が重いのだ。だが、そうとばかり言っていられないので方法を模索中だ。

頂門の一針 3463号より

2014-10-23 07:37:51 | コラム
「話の福袋」欄の中山氏収録のN教授に関する件:

私には非常に興味ある記事だったので一寸長くなりますが、敢えて途中まで引用します。例によってマスコミ批判にもなる部分もありますが。

>引用開始
Shirou Kyoumen
『 もうC型肝炎じゃない妻を持つ夫のブルース 』 2014年10月19日
【日本人3人のノーベル物理学賞、シカゴじゃシラけているぜ! 】

米国企業の研究開発の末端の末端で働いている私は「日本人がまたやったなぁ!」とノーベル賞受賞者が発表された翌日に出勤すると言われるが同じ日本人として嬉しい。

IPS細胞の山中教授の時は「人間の細胞をリセットするなんて、どこまで日本人は優秀なんだ?」と同僚達から言われた。「日本人のIPS細胞の発見でうちの会社のバイオ部門も儲かるぞ!」と同僚達は喜び、うちのグループ企業の中のバイオ関係の会社や関連する検査装置を開発している会社の株価も実際に上がった。

しかし今回の青色発光ダイオードの発明での日本人の受賞に私は非常に迷惑している。言っておくが、ノーベル賞受賞の会見なんて、世界中のテレビで放映されるものであり、勿論うちの会社の研究開発のメンバーは全員観ているし、シカゴのテレビでも繰り返し放映される。

私の同僚達がN氏(筆者注:原文では伏せ字)のノーベル賞受賞の会見を観て驚いてしまった。今までのノーベル賞受賞者の中であの日本人は最低の研究者だと口々に言うのである。

同時受賞した赤崎勇氏と天野浩氏は日本が誇る優秀な研究者であるが、カリフォルニア在住のN氏はもはや日本の国籍ではなく、アメリカ国籍なので、アメリカ人のノーベル賞受賞者としてアメリカのテレビは取り上げるので、アメリカではN氏中心に報道されてしまうのは仕方ないのだ。

赤崎勇氏と天野浩氏は日本が誇る優秀な研究者なのに、それを台無しにしてしまっている。非常に勿体無いのだ!

先ず最初に私が感じたのは彼の英語が私と同じぐらいに滅茶苦茶下手であるということだが、それは置いといて、彼が会見で話したのはほとんど日本の悪口ばかりである。

彼は日本企業での研究発環境は奴隷並みであり、会社を退社した後も企業秘密漏えいの疑いで訴えられたりして、日本では研究者達がどれだけげられているかを世界中の人達が観ているテレビカメラの前で力説しているのである。

彼が下手な英語で勤めていた会社が発明特許を独占したことや、莫大な利益を会社にもたらした自分の発明に対して数万円の報奨金だけしか貰っていない不公平さを興奮しなから話していた。

それに彼が渡米後にその会社から企業秘密漏えいの疑いで提訴されたこともAnger(怒り)という言葉を使って日本企業の酷さを身振り手振りで力説していた。

カリフォルニアでのN氏の会見は日本のテレビでも流れているのだろうか。私の同僚達は1000歩譲って、彼の話しが本当だとしても、ノーベル賞受賞のキッカケになる研究の機会を与えてくれた日本企業に対するAnger(怒り/恨み)が研究のエネルギーになっているなどというふざけた内容を世界中の人々が観ているノーベル賞の受賞会見で発言するのはノーベル賞受賞者を汚すような品格のない行為であると皆は口を揃えて言う。

ノーベル賞を受賞するような科学者は人種を問わず、世界中の子供達が憧れるものであり、ああいう日本人を自分達の子供が真似したら将来にとんでもない世の中になってしまうと言うのだ。

あんな恨みを人前で言うノーベル賞受賞者を今まで観たことがないと同僚達は言う。

申し訳ない! 同じ日本人として恥ずかしい!(以下略)
>引用終わる

私はここまでハッキリとものを言われたKyoumenさんと、収録された中山さんに敬意を表したい。N氏がご自身が在籍された会社を訴えたかと思えば、今回の言わば悪口雑言には呆れる前に寧ろ感心していた。「感心」よりも「寒心」の方が適切かとすら思って聞いていた。N氏が国籍を移されたことは風の便りに聞いていた気がするが、マスコミ(テレビと新聞のことだが)が正面切って採り上げず、賞賛だけだったのも何時ものことで敢えて採り上げる話題でもないと考えていた。

またKyoumenさんが「私が感じたのは彼の英語が私と同じぐらいに滅茶苦茶下手であるということだが」と言われたN氏の英語は、最初は原稿を読んでおられたようで「何だ、やるじゃないか」と思って聞いていたが、会社に対する”anger”に触れた辺りから雲行きが怪しくなっていったのには「あの品格は如何なものか」と寒心し始めた。

私にはかかる言動がノーベル賞受賞に至った研究と業績を貶めるものが否かは解らない。だが、あのような公式の場であそこまで言われるとは「変わった方だな」とあらためて痛感した次第だ。そこで余計かも知れない英語の講釈だが「変わった方」と言いたければ「普通に変わっている」のであれば”different”で事足りると思っている。我が国の英語教育で覚えた方は屡々”eccentric”を使われる。だが、これは「常軌を逸した」であるとか「他人から普通ではないと見なされる」となってしまうので、かなり極端な人を指すと思う。もしかしてN氏は矢張り常軌を逸しているのかも。

アメリカという国 #2

2014-10-23 06:42:49 | コラム
一冊の本では語り尽くせないかも:

前回既にこのように論じましたが、その難しさに挑んで先ずはその一部から述べていきます。

日本人を見下していたアメリカ:
私は1945年からGHQに秘書だった方と交流があったとは既に述べました。記憶は最早定かではありませんがGHQの中に入ってアメリカ人と語る機会が出来たのは46年になってからだったか。Coca Colaという当時は我々には手が出なかった炭酸飲料を飲む機会もあり「何だこの薬臭くて苦いものは」と思っていました。

その後、伯父の持つ鵠沼海岸の二軒の貸家のうちの一軒を如何なる縁があったのか、Chase Bankに夏場に「海の家」として貸すことになり、日本人の行員がアメリカの会社でどのように扱われていたかを知りました。戦勝国の驕りを見出しました。それ故に、1954年の今で言う就活の際には如何なることがあっても、仮令大学求人があっても、外資系は選ぶまいと固く心に決めていました。

それが如何なることか、新卒後から17年お世話になった日本の会社を辞める決心をして、1972年にアメリカの会社に転身しました。それも、光栄にもMead Corp.のオウナーファミリーの当主に面接試験をされたので、何処となく安心感があったのかも知れません。さらに1975年にはWeyerhaeuserに移りました。

その二社で経験したことは大袈裟に言えば地べたを這いずり回っているかの如き苦労というか英語にすれば"job secutiry"が微妙な場所で、外国語を使って働かねばならず、しかもいつ何時”You are fired.”と宣告されるかも知れない危険な立場だったのです。

日米間の文化の違い:
そこで10年も過ごす間に徐々に「日米相互間に存在する文化の違い」を知るようになり、その環境に対応する術を知りました。また、彼等に対して無謀にも直接に指摘したように、彼等の中にはとても抵抗も対抗も出来ないような優れた者は1%程度しかいないという実態と、残る99%には「大きな幅での質の違いというかブレがある」ものだと解り、我々の均一な資質ではやり方次第では十分に対抗可能と知りました。

そこで「如何なることがあっても彼等が俺を馘首することは99%ない」という妙な自信と信念を持って、怖れることなく上司でも同僚でも立ち向かっていき、その外国の会社の中での自分の位置の確保に努力しました。しかし、その地位とても何時如何なる事件かミスがあれば自信は揺らぎ、1%に急降下するハラハラするような世界でした。

我が闘争:
そういう立ち位置を確保して彼等の長所には極力学び、短所は遠慮なく突いていき「彼等を怖れさせるよう」努めました。何が何でも自説を曲げることなく突き進んでいないと自分の立場が危うくなる世界ですから、飽くまで抵抗し自分の主張を貫かねばならない戦い?でした。特に彼等の二進法的思考回路は柔軟性に欠ける言わば単細胞的で崩しやすいものであると解ったのも、強力な防衛手段(彼等はammunition等と言いますが)となりました。

文化比較論で売り出す:
そういう経験を重ねてから彼等の社会と世界を内側から見て「文化の違い論」を唱えるようになり、これが社内でも好評になっただけではなく、リタイヤー後も輸入紙の脅威にさらされ始めた流通業界で講演する機会を与えられ、また「アメリカ人は英語がうまい」の上梓の機会まで得て、やがてそういう材料をコラムにしたし、SBSラジオのコメンテーターの場も与えられ、頂門の一針にも投稿の機会が出来て、ブログを始める切っ掛けにもなって、今日に至っております。

我が独特の見解:
既に述べたように、私のような経験をしてから「アメリカとその文化と思考体系」を論じる人が極めて少ないので、何か異端の徒の如くに捉えられる傾向があるのは止むを得ないことと理解しております。しかし、「人は誰でも独自の意見を持っているものであり、他人と異なる意見を述べるのに躊躇は不要」というアメリカの文化を未だに引きずっていると指摘されれば「当然でしょう」と胸を張らずに答えます。それほどあの世界で過ごした22年の経験の影響が強烈だったのですから。

自信があろうとなかろうと、他人様と意見が違おうと何だろうと、英語で自己を主唱して、負けてはならないという世界は、経験しないと解って貰えないと思います。実は、この辺りにこの世界出二進法で突き進んでいかねばならない一か八かの勝負の危険というか恐ろしさがあるのです。