新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

怖い物見たさで行ってきた中国

2014-10-18 16:09:47 | コラム
三回も旅してきた中国の思い出:

1980年代だったか中国に観光旅行が出来るようになった頃、高校の同期生で旅行代理店の役員だった者が中国担当を仰せつかって、何度も往復していた。そこで彼に尋ねた「中国ってどんな国」と。答えは「語ってはならないことになっているんで・・・」だった。W社の東京駐在だったアメリカ人もその頃渡航の機会を得て帰朝報告があった。その話しの中で覚えていたことは「農村地帯を幾ら歩いても機械と名付けたいものを遂に見なかった」という点だけ。

1994年に会社をリタイヤー後に怖い物見たさで、遂に1999年にパック旅行で初めて上海に行った。集団で取得したヴィザなので入管では全員が縦一列に並び、審査官が申告通りかと人数を数えるので粛々と歩くようにと添乗員に指示され、何と言う威張り方かと半ば呆れ半ば感心し、観光収入が欲しそうだが、それでもこういう姿勢に出る国なのかと先ず学習。

次は2002年には万里の長城を見たさに北京へ。上海とともにコースに入っていた蘇州で運河を¥1,000払って船で一回り。その水と沿岸の家の不潔さに「汚い」と声を上げた者がいた。すると「中国最高のガイド」と自称する女性が聞きとがめ「今、何と言ったか。不満がある者には即刻¥1,000を返すからここで降りてくれ」と決めつけられた。全員その剣幕に驚いて誰からともなく謝罪して、お許し頂いて船旅を続行した。

2005年に三度目の上海でのこと。豫園の観光が三回目になるので、我が夫婦はそれをパスして有名な南昌の小籠包を食べに行きたいとガイドに告げた。「それならば、単独行動を許す代わりに、団体を離れて何が起きても自己責任で処理する」との誓約書を書かされた。凄いと思ったのは、その書式が用意されており、二人で署名するだけになっていたこと。こちらを気遣うのではなく、現地の旅行社は免責であるというのが趣旨。当然の処置のようだが、署名を要求する姿勢が強硬。許可制だったのだ。

この時は専ら食べることに意欲的で「かの有名な」と枕詞を付けたい「南昌」に何とか入って行けた。昼時だったが意外にもテーブル席には余裕があり言葉は出来なかったが何とか注文して念願の小籠包を。確かに味にも数量にも価格にも十分に価値があるもので満足。この時は馴染みの商社の駐在員さんが紹介してくれ中規模の料理屋にも別の日に昼食に行ったが、ここは「流石」と唸らせてくれた。

しかし、その後に我が国で報道された中国産の食料品の衛生管理の状態を見れば「良くもあれだけ食べ廻って何となかったものだ」と言わば感動。上海で自由行動の日に夕食を食べ損ね、ホテル近くの日本式の蝋細工の見本が並べてある店で何気なく「誰か英語が出来る人いる」と言うと、かなりちゃんとした英語を話す若いウエイトレスが現れて、先ず先ずの解説付きの夕食を楽しんだ。

そのウエイトレスが付きっきりでサーヴィスしてくれるので「非常に親切で有り難かったが普段でもこうするのか」と尋ねると、(自慢話と思わないで頂きたいが)「私はてっきり貴方がアメリカ人だと思って会話の練習の絶好の機会だと思って付いていた」と答えられて恐縮したり驚いたりと同時に「上海では俺の英語がアメリカ式の発音に聞こえたか」と意を強くした。同時に「中国では若者にはここまで熱心に英語を学ぶ意欲があるのか」と妙に感心した。

実は、上海で折角だからと地下鉄も冒険と承知で利用した。そしてプラットフォームでどの電車に乗るべきかを来合わせた青年に路線図を示して尋ねた。すると、割りにチャンとした英語で”Are you Japanese?”と尋ねるので、「ひょっとして撲られるのかな」と身構えると「丁度その方向行くから案内して上げる」と一緒に乗って、道中しゃべることしゃべること。矢張り英会話の訓練台だったようだ。そして別れる際に”See you later.”と。これが使えるとは中国では良いことを教えているなと、我が国の教育と比べて落胆?!

私はパック旅行以外でもヨーロッパの諸国を回ったが、現地の人々やガイドがこの上海のような高飛車な態度で接してきたことがないので、その強烈さが一層印象的だった。私には反日や抗日の教育を受けた彼等が、我が国の団体だからそういう姿勢で臨むのか、そもそも中華思想の国では何処に国の人に対してもあの態度が普通なのかと思っていた。恐らく両方だろうが。

我が国が中国の旅行者が買い物に使う金を有り難がって優遇するのと(私は情けないとしか思えないが)対比すれば、その日中間の違いは歴然。私は我が国への反日精神と教育からか知らぬが高飛車なのに、我が国では遠来の”big spender”(かまたは” high roller” でも良いか)様への礼節を守り、売り場では通訳まで用意してお買い上げ頂く姿勢を採っていることを、どう評価しているのかを訊いてみたい気がする。

中国で気が付いたことは一部の東南アジアの国と同じで、買い物をする際に売り場の店員に現金を渡さないシステムの地が多いこと。値段の交渉は売り場の店員とするが。そこで買い取り票を貰って会計に行って支払い、その証明書を店員に見せて品物を受け取るのだ。即ち、店員に現金を渡せば商品共々何処かに消えてしまうことがあるからだそうで。

北京でガイドに買い物に連れて行かれた店で、バーバリのロゴ入りシャツが¥8,000だったので「なんちゃってなのに高い」と言うと「何を言うか、バーバリの下請けをやっている工場から生地とボタン等を貰ってきた作ったのだから純正のバーバリだ」と譲らず、結局¥5,000で買わされてしまった。そこで売られていた「なんちゃってRolex」を一行の若者が「偽物なのに高い」とからかい半分に値切った。すると売り場の若い女性は慌てず騒がず「何を仰るか。これは香港で作った本物のRolex」と切り返されて目を白黒。

考え方次第だが、中々興味深い点もあって面白い国だったという思い出でもある。もう一回行くかとお尋ねですか。「ノーコメント」はじつは「言外に肯定する」ととられるのでご用心を。否定する時には明快に「ノー」と言うこと。