遂にマスコミが小渕優子の議員辞職まで言い始めた:
結論から言えば、私は「小渕優子のこの度の不始末は、安倍総理の念願である「女性活用論」だけの問題ではなく、小渕優子という特定の女性の使い方を誤ったことが主たる原因であると同時に、彼女自身が自らの未熟さの責任を負うべきものだ」と考えている。言うなれば「所管する官庁が何処であれ、大臣向きではない未熟な素材だったこと」が最大の問題だった。
私は9月14日に既に女性の活用法を論じており、それをあらためて要約すれば「女性の質も適性も千差万別であり、その向き不向きを見誤るか判断を間違えて起用すると、折角の女性が持つ如何なる男性も敵わないような優れた天賦の才を活かし切れない結果に終わるものだ。男女はお互いにその至らざると言うか欠陥を補い合い、長所を見抜いて活用するというか相互に補完し合うのが最善ではないだろうか」となる。
やや長くなるが、その9月14日の一文を如何に引用するので、ご面倒でもご一読賜りたい。
>引用開始
(前略)
私がW社でリタイヤーするまで12年間も遣えた?秘書の女性には素晴らしい能力があった。それが何処にあったかと言えば、秘書として仕事の裁き方以外に、ボスとして私の性格の至らなさを完全に(私の性格、趣味嗜好、余り他人様に気付かれていない人嫌いというか人見知りする傾向がある等々の欠陥に至るまで)把握し、私には出来ないことを補完してくれていたことだ。(中略)
私は毎日彼女が練り上げてくれた予定表に基づいて動いていれば良かっただけで、秘書が育ってくれればどれだけ有り難いかを痛感している日々だった。引退する時などには、多くの秘書から「これから先に彼女なくして生活していけますか」と皮肉られたほど依存していたものだった。
正直に言えば、何も女性に限ったことではなく男性にも日本の会社式の管理職に不向きな人はいるものだ。私などはその一人だっただろうと自認しているつもりだ。彼女は私の営業しか出来ない能力を見抜いて、私をその支配下におき、どのように仕事を進めさせれば二人で最高の成果が上がるかの舞台を設定してくれていた。私はその彼女の掌の上で踊っていれば良かったと言えるかも知れない。
彼女の事業部の仕事に対する理解と認識の度合いは高く、取引先の担当者の人物評と評価の適切さには男性にはない鋭さがあって、私はそこに依存することで無事に好関係を樹立出来た得意先の担当者もいたほどだった。
即ち、男性のマネージャーと女性の秘書の間で相互にその特徴を活かして補い合えるのが、職場と家庭またはそれ以外を含めての、男と女の存在というか間柄だと思っている。換言すれば、指導者や管理職の地位に据えることが、必ずしも最善の女性の能力の活用法ではないのではないかと考えているのだ。
私は総理に「そういう男性の至らざるを補って最大の効果を挙げる高い能力を持つ女性を、如何に活かしていくかもお考え願いたい」と思っている。そして、その女性を適材適所で活用し、地位を与えられない場合は、その高い補完と補助の力を活かし、地位(=rank)の代わりに所謂『禄を以て報いよ』で対応して行かれたら如何か」と考えている。(後略)
>引用終わる
引用の方が主体であるかの如き論じ方になってしまったが、私は総理が上記のような視点に立って女性の活用をお考えになった方が、より良い成果が(民主党如きに批判されないように)上がるのではないかと、烏滸がましくも密かに考えているのだ。実は、私は松島みどり起用と聞いた途端に否定的な議論を展開した。その根拠は単に彼女が某新聞の出身だということだけではなく、あの種の職業の方には往々にして何処か自分が一般人よりも偉いものだという錯覚をしている人が多いので、危うしと思ったのだ。それ故に、あれは失敗人事だと考えたのだ。
結論から言えば、私は「小渕優子のこの度の不始末は、安倍総理の念願である「女性活用論」だけの問題ではなく、小渕優子という特定の女性の使い方を誤ったことが主たる原因であると同時に、彼女自身が自らの未熟さの責任を負うべきものだ」と考えている。言うなれば「所管する官庁が何処であれ、大臣向きではない未熟な素材だったこと」が最大の問題だった。
私は9月14日に既に女性の活用法を論じており、それをあらためて要約すれば「女性の質も適性も千差万別であり、その向き不向きを見誤るか判断を間違えて起用すると、折角の女性が持つ如何なる男性も敵わないような優れた天賦の才を活かし切れない結果に終わるものだ。男女はお互いにその至らざると言うか欠陥を補い合い、長所を見抜いて活用するというか相互に補完し合うのが最善ではないだろうか」となる。
やや長くなるが、その9月14日の一文を如何に引用するので、ご面倒でもご一読賜りたい。
>引用開始
(前略)
私がW社でリタイヤーするまで12年間も遣えた?秘書の女性には素晴らしい能力があった。それが何処にあったかと言えば、秘書として仕事の裁き方以外に、ボスとして私の性格の至らなさを完全に(私の性格、趣味嗜好、余り他人様に気付かれていない人嫌いというか人見知りする傾向がある等々の欠陥に至るまで)把握し、私には出来ないことを補完してくれていたことだ。(中略)
私は毎日彼女が練り上げてくれた予定表に基づいて動いていれば良かっただけで、秘書が育ってくれればどれだけ有り難いかを痛感している日々だった。引退する時などには、多くの秘書から「これから先に彼女なくして生活していけますか」と皮肉られたほど依存していたものだった。
正直に言えば、何も女性に限ったことではなく男性にも日本の会社式の管理職に不向きな人はいるものだ。私などはその一人だっただろうと自認しているつもりだ。彼女は私の営業しか出来ない能力を見抜いて、私をその支配下におき、どのように仕事を進めさせれば二人で最高の成果が上がるかの舞台を設定してくれていた。私はその彼女の掌の上で踊っていれば良かったと言えるかも知れない。
彼女の事業部の仕事に対する理解と認識の度合いは高く、取引先の担当者の人物評と評価の適切さには男性にはない鋭さがあって、私はそこに依存することで無事に好関係を樹立出来た得意先の担当者もいたほどだった。
即ち、男性のマネージャーと女性の秘書の間で相互にその特徴を活かして補い合えるのが、職場と家庭またはそれ以外を含めての、男と女の存在というか間柄だと思っている。換言すれば、指導者や管理職の地位に据えることが、必ずしも最善の女性の能力の活用法ではないのではないかと考えているのだ。
私は総理に「そういう男性の至らざるを補って最大の効果を挙げる高い能力を持つ女性を、如何に活かしていくかもお考え願いたい」と思っている。そして、その女性を適材適所で活用し、地位を与えられない場合は、その高い補完と補助の力を活かし、地位(=rank)の代わりに所謂『禄を以て報いよ』で対応して行かれたら如何か」と考えている。(後略)
>引用終わる
引用の方が主体であるかの如き論じ方になってしまったが、私は総理が上記のような視点に立って女性の活用をお考えになった方が、より良い成果が(民主党如きに批判されないように)上がるのではないかと、烏滸がましくも密かに考えているのだ。実は、私は松島みどり起用と聞いた途端に否定的な議論を展開した。その根拠は単に彼女が某新聞の出身だということだけではなく、あの種の職業の方には往々にして何処か自分が一般人よりも偉いものだという錯覚をしている人が多いので、危うしと思ったのだ。それ故に、あれは失敗人事だと考えたのだ。