新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

我が国から木材を輸出?

2015-03-19 09:04:46 | コラム
日本から木材の輸出が増加:

畏友・尾形美明氏から「日本からの木材輸出が伸びている。北米からの供給減が背景」と日経が報じていた背景に何があるのか」との問い合わせがあり、元世界的紙パルプ・林産物のアメリカのメーカーに勤務した者として、以下のような常識というか一般論を述べておいたので、敢えてご紹介する次第。なお、我が国から如何なる形で木材を輸出したかを知らずに答えていることをお断りしておく。

先ず指摘することは「アメリカでは紙パルプメーカは言うなれば林産物会社が縦の多角化を図って、製材品やその残渣である木材チップを外販するだけに止まらずパルプから製紙にまで手を広げ、さらには段ボール箱等の最終製品にまで進出して行った点」がある。即ち、住宅建築ようの製材品を作る会社が、一見別世界のような紙パルプに手を染めたと言えば解りやすいかも知れない。

建築用の製材品は主としてアメリカとカナダの西海岸の針葉樹地帯から切り出されるのだ。その樹種は通称”SPF”であるSpruce(トウヒ)、Pine(マツ材)、fir(モミ)が多く、それに加えてW社のお家の材であるDouglas fir(米松)等が中心である。これらは皆常緑樹で、総括した英語名は”softwood”である。建材向きであるが、製紙に適した優れた繊維で構成されている。しかも、直径が80 cm くらいに成長するまで伐採しないのだ。

それは、所謂「ツーバイフォー」=2インチ×4インチの製材品を切り出すためで。その残渣の外側の三日月形の部分がチップにされて製紙原料になっていく。そのチップは社内でも使われるし、日本にも大量に供給されてきた。そこを良く考えれば、建材用の需要があるからといって安易にに沢山切り出してチップが余計に出来ても、製紙側から需要がなければ、迂闊に製材用に成長した森林を切り出す訳にはいかないという矛盾を抱えることになる。

欧米では紙の需要が低迷したので、住宅産業が好調で製材品の需要が伸びても、残渣であるチップの行き所がなくなるという状態が何度も生じてきた。アメリカ南部か東部にも森林はあるが、その地方にある樹種は背が低く直径も小さい(小径木)闊葉樹(落葉樹)=”hardwood”で、製材品に向かないのである。その地域では製紙用には樹木一本を丸ごとチップにしている。故に、建材向けの材は出てこないのだ。

嘗ては世界最大の丸太、チップ、製材品、ベニヤ等の合板等の供給国だったアメリカとカナダからの輸出が紙パの不況と共に細ったところに、今年2月までアメリカ西海岸で港湾ストがあったために荷動きが止められたという事実があった。思うにその間に本来は木材の輸入国である我が国にも一時しのぎの需要が回ってきたのかと考えているだが。

我が国は基本的には闊葉樹国であり、建材用の製材品等はアメリカとカナダから輸入に依存してきた。これが我が国の林業を衰退させた理由だというのが一般論であると言えるだろう。勿論、国内にも建材用に針葉樹の林業を営んでいる会社はあるが、上場会社が皆無という中小企業が中心で、大規模な海外のメーカーとの国際競争力にかける恨みがあると言えると思う。簡単に言えばコストが違うのだ。。

思うに、アメリカでは新聞用紙を筆頭にインターネットに押され、ICT化の進捗に苛まれて、紙の需要が急速に減少し続けている。為にチップの需要も減り、林産物業界も迂闊に森林を切り出す事が出来ず、建材用の製材品が不足するという予期せぬ事態が起こったのかと推察は出来る。しかし、14年辺りまではW社の決算は木材を中心に好調だった。だが、最早世界の中心だった大手製紙メーカーがほとんど紙から撤退してしまったために、製材品の生産が滞ることは容易に想像出来る。

世界最大のアメリカの製紙会社・International Paper(IP)等は2005年頃だったかに手持ちの世界最大の面積を誇った南部から東部の森林を売却した。理由は自社でコストをかけて育成するよりも、外部から購入する方が経済的という経営判断で、全世界の業界を驚かせた。W社は折角の全米最大の針葉樹林を維持したが、紙パの不況で徐々に本来の林産物会社に戻っていく形を採っている。IPと何れが賢明な判断かは歴史が証明するだろうか。

何れにせよ、アメリカでは住宅着工が盛んになって製材品の需要が復調し、さらに印刷(紙)媒体が復活し、紙や板紙の需要が回復してこない限り、紙パルプ・林産物業界の成長は難しいのではないかと言う辺りが結論かも知れない。しかし、もっと重要なことは、私の持論である「アメリカで起きたことは遠からぬ将来に我が国にも波及してくる」点にあると思う。

我が国の製紙産業は未だアメリカほど極端な業界の整理統合や、新聞用紙が10年間に需要が半減するというような荒波に曝されていない。即ち、将来を予測すれば「予断を許さない」という辺りが結論であろうか。

安倍総理の戦後70年談話計画

2015-03-17 09:04:04 | コラム
「謝罪の文化」がない国が何を言うだろうか?:

我が国のマスコミは「中国の総理・李克強は未だ出るとも出すとも決まっていないかのような70年談話を、全人代終了直後の演説で牽制した」と報じていた。例によって、彼等がこれを「戯言だ」という批判的な表現を使うことなどはなかった。

振り返れば、村山談話には「痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」という文言がある。謝っていたのだ。これは我が国の美風である「謝罪の文化」からすれば自然であり、何の不思議もない表現だと思う。しかし、中国(に限ったことではないが)や韓国や欧米の諸国のように「謝ること即ち経済的にも精神的にも全面的に責任を負う」という精神構造の持ち主から見れば、「謝罪したものを幾ら叩いても構わない」と思い込ませる効果があるのだ。

しかも、彼等の文化と思考体系では「謝罪したものに向かっては、水に流してやろうではないか」という寛容さはなく、過去の出来事に対して何時まで経っても執拗にその一件を捉えては「謝罪がない」の「歴史認識がどうの」と言っては責め立てる権利を留保したと思い込んでしまうのだ。その執念深さは「フェアープレー」と「潔さ」の文化が深く根付いている我が国では容易に理解出来ないものだろうと、私は長年懸念し続けて来た。

彼等は「水に落ちた犬を撃つ」文化を持っていると知れば、その執念深さには何ら奇異な点がないと解ると、私は考えている。

安倍総理が如何なる発想の下に「70年談話構想」を開始されたかを知る由もない。有識者委員会を招集されたとも聞かされている。その委員の中には「侵略戦争だった言いなさい」という意見を持つ大学長がいるとも報じられている。

何はともあれ、「謝罪の文化」の持ち合わせがない近隣の諸国は、安倍総理が有識者まで集められ十二分に構想を練られて、付け込まれる隙がない談話を仮に発表されたとしても、既に村山談話の時点で「謝ってしまっていた」のでは、彼等は如何なる理屈をつけてでも叩きに出るだろう事は予想出来ると思っている。彼等は国内の事情からしても、そうする以外の方策がないのだと思っている。

一部の識者は「談話不要説」を唱えている。それにも一理はあると思う。だが、出てもいない時点で牽制するような総理を戴く国が既に現れている。また、アメリカ大使を自国民が襲って重症を負わせても、大統領を始めとして大新聞が挙って「心の底からの謝罪の意」を表明しない国があったではないか。これが「謝罪の文化」の持ち合わせがない近隣の諸国の思考体系であることが明白だ。

だが、遺憾なながら、この態度の方が国際的標準であるかの如きに見えはしないか。彼等には「潔く自らの非を認める」事は美徳でも美風でもないという文化があるのだ。そうとでも思わないと、あの国の新聞論調で「この案件が発生し事によって、アメリカとの関係が一層強化される切っ掛け」等という根拠が見えてこないだろう。

何卒、総理が招集された有識者委員会の諸賢が「文化の違い」を十二分に理解し認識されて適切な助言をなさって、もしも出されるのならば、総理が一分の隙もない談話を出されることを祈念して終わる。

14年度の広告費が6年振りに6兆円台に

2015-03-16 08:32:40 | コラム
景気は回復期に入ったか:

電通の集計によれば「14年の我が国の総広告費は6兆1,522億円と対前年比2.9%の成長で、消費税率の引き上げがあったものの、暦年では3年連続で対前年比で増加し、6年振りに6兆円を超えていた」となっていた。私はこの現象を取りも直さず(業種により跛行的ではあっても)景気が回復期に入ったことを裏付けていたものと捉えたいのだ。

その6兆円の総広告費を構成比で分析してみれば、マスコミ4媒体(新聞、雑誌、テレビ、ラジオ)が47.8%、インターネット(媒体費、広告制作費)が17.1%、プロモーション・メディア(屋外、交通、折込、DM、フリーペーパー、POP、電話帳、展示・映像他)が35.1%となっていた。

対前年比の成長率を見れば、マスコミ4媒体は+1.6%で、個別には新聞が▲1.8%、雑誌が0.0%、ラジオが+2.3%、テレビが+2.8%と新聞の衰退がやや目立っていた。インターネットは構成比が低いことも手伝ってか、+12.1%という高率の成長を維持していた。プロモーション・メディアは+0.8%を記録したに止まっていた。

そこで業種による出稿広告費を見ると、最大だったのが化粧品・トイレタリーの2,955億円(対前年比+5.6%)、第2位が食品の2,635億円(▲3.2%)、次いで情報・通信の2,609億円(+7.2%)、交通・レジャーの2,117億円(+0.9%)、第5位が飲料・嗜好品の2,106億円(+2.0%)となっていた。因みに、流通・小売りが第6位で以下自動車・関連品、薬品・医療用品、外食・各種サービス、ファッション・アクセサリーが続いていた。

参考資料:紙業タイムス社刊、FUTURE 15年3月16日号


今週のニュースから話題を

2015-03-14 09:04:17 | コラム
話題のニュースを深読みすれば:

北陸新幹線開業:
今週は何処のテレビ局を見ても「北陸新幹線開業」の効果に絶大に期待するが如き特集の花盛りである。しかも、一方では運転を終える長距離寝台列車を惜しむ鉄道ファンも嘆きと追憶が、これでもかと言わんばかりに採り上げられている。当方はこの方面には無知であるし、他所様のお好みに介入する意志が全くないので(Different strokes for different folks.)、お好きなようにと思って眺めているだけだが。

しかしながら、各局の北陸新幹線開業についての「太鼓叩き的持ち上げ方」の大袈裟な報道振りには些か辟易となるし、一体全体何のためにあれほど騒ぎ立てる必要があるのかなと、例によってその背景というか裏を読みたくなる衝動に駆られた。あの採り上げ方はJRがそういう作戦の展開を依頼した「コラボ」(カタカナ語だ!)なのか、あるいはテレビ側が無作為で実質的な無料のCMを打っているのではとすら考えてしまった。

CMを多発する背景にあるものは「当該企業が商品の先行きに不安感があり、発売前に過剰とも言える宣伝広告活動を始める」か「既に市場に出した商品の売れ行き芳しからず、何とか盛り上げねばと懸命になってPR活動をせざるを得ない」のだと、私は理解している。

それ即ち、経済活動の点から見れば、北陸地方には太平洋沿岸ほどの大いなる可能性というか将来性が見出せず、観光客への依存度を高めざるを得ないのではないかという読みである。だからこそ、ご当地の名物的食べ物をやたらに採り上げているのだという気がする。何れにせよ、蚊帳の外にある当方としては、最低限度の成功を祈って上げること辺りしか出来ない。

女子のマラソン選手選出:
またぞろ「陸連というのは懲りない人たちが主体になっている団体のようだな」と思わせる揉め事(近年は「トラブル」というカタカナ語が戸籍を得ているのは遺憾だ)が報じられた。陸連に食いついた増田明美さんは「主観的な選考」と表現したが、私は寧ろ恣意的ではないのかなと感じた。主観が入った不可思議な代表選手選考は既に全柔連だったかが、国内予選で敗退した田村(谷?)を選んだという実績がある。

私はこれらの競技団体の委員たちの資質を論じる前に「何度も選考レース(試合)を続けてその結果で主観を云々されるよりは、いっそのことアメリカ式に一度の予選の試合を開催し、そこでの一発勝負での順位で選んだ方が、言われなきというか論議の的となりそうな批判を回避出来て、賢いのではないかと言って上げたい。

私が見る問題点は「彼等委員さん方ははそれぞれの競技種目では優れた選手だったのだろうが、余りに世情に暗いというか疎いのではないか」に尽きる。しかも、過去にこうして選ばれた連中が「結果、オーライ」ではなかった例が多かったというのも困ったものだと言いたい。話は変わるが、悲しいかな、我がサッカー協会も徐々にそのいう域に入ってきたかの感があることだ。

政治と金と議員の不品行:
年度内の予算成立を阻止しようとするのだろうか、民主党は大西とか言う議員を筆頭に、ここを先途と自民党の下村文科相と中川政務官を責め立てている。また、マスコミは「政治と金」と題して「政治」を批判し続けるが、先攻の民主党側も岡田代表にも飛び火ししてきて「撃ち方止め」とせざるを得ないとなったとも報じられているのだ。あの時間浪費作戦は国費の無駄遣いとしか思えないが、そうさせた自民党にも非があるだろう。

私はこの案件は断じて「政治と金」と見なすか呼称するのではなく、その程度の政治資金とその規正法に対する認識を持つ連中が政治を家業ないしは稼業に選んで出てきたことを問題にすべきだと思って見ている。彼等は自分で作った規正法の内容を知らない訳がないにも拘わらず、「皆で渡れば怖くない」式なやり方を繰り返しているのだ。マスコミは彼等の意識の低さと資質をより厳しく論うべきだと信じている。

また、不可思議なことはそういう規制(規正?)があると承知しているはずの企業側も平気で?献金する点だ。そういう違反行為をしている企業側を何故マスコミは一言も批判しないのかということ。報道を見る限りでは「過ちを犯しているのは政治側だけのことで、お金を出してしまった経済界は不問に付されて良いのか」という疑問が湧く。

実は、私にはこの疑問に対する答えを用意してある。それは極めて簡単なことで、マスコミというか宣伝広告媒体でもある彼等にとっては会社というか企業側は全てスポンサー様だからなのだ。これ以上何か言う必要もないだろうと言いたいほど明快な答えではないか思うが、如何なものだろう。今や、紙(印刷)媒体も電波であるテレビもラジオも皆一様にネットに食われている時代だ。その時にスポンサーのご機嫌を損ねる行為に出る訳に行かないと読んだのだ。

中川侑子政務官の件は既に採り上げたので、ここではあれ以上には追わない。安倍さんのお眼鏡違いなのかと思う面もあるが。

3月11日のスポーツ観戦

2015-03-12 10:11:49 | コラム
冷静な批評家は失望した:

昨11日は午後3時に外来での心臓リハビリテーションの予約があって、国立国際医療研究センター(NCGM)に出掛けていった。外出出来る範囲が限定されている身には、健全な身体での徒歩ならば30分ほどの距離にあるNCGMでの僅か1時間足らずの運動は最早楽しみでもある状態だ。

4時過ぎに帰宅した後のテレビ番組の期待は、午後7時からの男子 U-22 のサッカーとその裏番組となっていた侍ジャパン(という何とも時代感覚欠如の名前をつけた)NPB代表対欧州代表の野球、さらには世代交替に如何にも苦しみ抜いているかの如き「なでしこ」(この愛称も戦時を想起させられて嫌悪している)のアルガルペカップとやらの下位の順位決定戦だった。優勝争いにかすりもしなかったのだ!しかしながら、その全ての試合で懸念していた欠陥が余りにも極端に露呈されていたので失望落胆させられ、静かに怒り狂っていた。

手倉森監督率いる U-22のサッカー:
先ずは相手のミヤンマーが弱すぎた男子のサッカーから。何度も指摘し続けて来たことだが、仮令 U-22 の段階まででも来た連中は子供の頃から教え込まれた小さく纏めるというか、年齢の段階と中・高の学校の段階でのトーナメントに勝ち抜くためのサッカーしか出来なくなっているのだ。

換言すれば、一国の代表となるためか、欧州等のリーグに進出して一本目のポジションを取れるような身体能力というか技術というか大きさを知らずに育ってしまってきたのである。彼等はただひたすら「ティームの為に一丸となって」、「綺麗にパスを回して得点の機会を作り出そう」、「自分の力で突破しようなどという個人で目立とうなどするな」というサッカーをするのだ。「一丸となって」などは実に心地良く響く「社是」であり、「ティーム是」でもある。

だが、個人が目立とう、自分のためにやろうというような西欧の連中との文化と精神構造の違いの前には「一丸となっただけ」では戦いきれない場面が多過ぎはしないか。先頃のW杯予選敗退然り、WBCでも勝ち抜けられなかったのを如何に説明するか。

私は入院中にアジアカップのオーストラリア対韓国の「相手に当たって倒すことを厭わず、当たられるのを怖れず、自分の突破しようとする道を塞ぐ相手は倒すのが当然だ」とでも形容したいほど、その当たり方がルール内なのかと思わせるほどの乱暴と形容したいサッカーを見て、彼等はどういう環境でサッカーを教えられて今日まで育ってきたのかを知って、大変興味深いものを学んだのだった。

言うなれば「フェアープレー賞」獲得の常連の我が国のサッカーとの相違点だ。綺麗事では何もサッカーだけではなく、国際政治でもタジタジとなってしまう例が多いのではないのか。いわれのないことを言われれば、怖めず臆せず言い返す度胸と場慣れが必要ではないのか。

昨日の U-22 の連中は弱小国相手に9点も取った。だが、飽くまでもフェアーに綺麗に点を取っただけで、「ここ一番俺が目に物見せてやろう」という気迫を感じ取れなかった。相手の弱さから見れば個人技で何とでもなると見える場面でも「綺麗なパス回し」が優先されるし、一寸前が詰まっていれば、弱敵相手に「見事にピッチを広く使う後方へのパス展開」という弱気というか積極性の欠落だった。

しかも、前半で7点取れながら、掛け持ちしていた野球からチャンネルを変えてみれば後半には2点しか取れていなかった。アナウンサー(青島とかいったが)の歯の浮くようなタイコモチ的な褒め言葉が虚しい勝利だった。あの年齢層であの綺麗事のサッカーでは世界の荒さに耐えきれる訳がないと諦めの境地で眺めていた。

小久保監督率いる野球:
解説者だった衣笠は心優しき広島OBで、しきりにシーズン前だからとかばい立てしていたのが痛々しかった敗戦だった。ここでは各個撃破で選手を批判しよう。先ずは小久保が4番に推す中田翔。素質はあると見るが打ちやすい球を遠くに打つだけで、難しい球種やコースには投手の期待通りに倒れてくれる粗雑な打者で、小久保のお眼鏡違いだろう。往年の失投打ちの名手・原辰徳を想起させてくれるもろさがある雑な打者だ。

私は彼のあの染め上げた頭髪に嫌悪感を持たせられて好みではない。そういう事に気が回っているようでは、その精神状態では大きく育ちにくいと思っている。

山田哲人は昨年大いなる実績を残した。当方は彼が目立ってくる前から将来何かになって化けてくるかも知れないかな程度の期待を持たせて貰っていた「上の下」の素質の若手かと思っていた。今回の2試合ではある程度は打って見せてくれた。だが、何となく大振りの傾向が見えて一寸不安だった。

今年は大方のティームから昨年の倍以上の警戒をされるだろうから、変な言い方だが折角あそこまで育っていながら大振りなどしていては正念場になりはしないか。

筒香嘉智も横浜高校の頃から見ていたが、打ちやすい球を遠くに打つ素質を持っていたので、マスコミが囃し立てたがるのだろう素材とだけ評価していた。果たせるかな、良い指導者がいない横浜(DeNA)では時間がかかっている。一昨日はここぞという時に安打が出たし、得点圏打率最上位の力と賞賛された。私はどういう場面で打てかが不明な打率では未だ彼を評価出来ない。何分にも下位の球団の打者なのだから、相手投手だって気楽ではないのか。

広島の菊池涼介のように「守備が良いな」と秘かに評価してきた野球有名校出身でない者があそこまで多くの識者や有象無象に評価されて、日本代表に上り詰めてきたのは好ましい。私は今回は球団が肯んじなかったのか、出ていなかった楽天の藤田一也の守備力は高く評価してきた。彼は打者と球種毎に守備位置を変えて投手を助けてきたと見たし、野球説明者(解説などしていない者が多い)もそう評価してみせるようになった。菊池と交代で使って見せて欲しかったよ、小久保さん。

個人別はこれくらいに止めて、小久保監督の恐らく各選手たちの先を見据えての選択だっただろうティ-ムが案外に不揃いだったし、中田等のお眼鏡違いが散見されたのは、先行きに不安なものを見せられた。別な表現を使えば「誰が中心になって引っ張っていくのか」が見えなかったのだ。例えば、W杯を取った際の澤穂希のような存在がいない選手構成なのだ。それってもしかして小久保の問題かな。

女子のサッカー:
何度も言ってきたことだが、W杯獲得は素晴らしかったのだが、その後の発展が芳しくないのだ。なでしこリーグまで組織されたのは斯道奨励のためには誠に結構だったとは思う。だが、斯道奨励が何時の間にかリーグ戦で勝たんが為のサッカーになり、その下部組織の如き高校の段階でも全国大会のトーナメントに花が咲き、そこに水準を揃えて小さく纏まった選手が沢山育ってきた。

その結果が「男子顔負けの後ろと横へのパス回し」であり「パスのためのパス」であり「自分で眼前の相手を抜いて局面を打開して見せよう」としないと釜本が嘆いたような「皆で一丸サッカー」になってしまった若手が育ったことだ。昨夜のアイスランドなどはW杯獲得メンバーだけで試合をすれば、軽く5~6点は取れただろう弱敵だった。だが、前半はゼロに終わり、後半に宮間と大儀見が入って漸く1点取れた始末だった。

あのなでしこリーグ戦と高校全国大会で勝ちたい監督たちが育てだ選手を任されて、世代交替を何とかしなければならない佐々木監督はさぞや苦労しているのだろうとお察し申し上げている。昨日は久し振りに鮫島を見たが、あの黄金時代のメンバーの中での鮫島だったと、あらためて認識せざるを得なかったのは気の毒だった。反対側に近賀いて、岩清水と熊谷がいての存在感だったということ。

それに佐々木監督には澤を抜いた理由を訊きたい。中心を欠けばあんなことになると解っていたはずだ。宮間は名手だが、澤あっての存在であると再確認されたのは気の毒だとすら思ったのはひが目か。菅沢だの高瀬だのはなでしこリーグでは通用するが、余程心を入れ替えて練習をしないとW杯などには通用しないと当人たちが解ってきたのではないか。ここでも「フェアープレー賞」狙いにならないことを祈るだけだ。